14、それから

 


 「…い…おい…ショウ、起きろって。」


 「うーん…なにぃ、こうくん…まぐろいちごぱふぇは、いらないよ…」

 「どんな夢見てんだよお前。ったく、昨日夜更かしするからだぞ。起きろよ、ほら。今日は搬入作業の日なんだろ。」

 ぼくがまた夢うつつを彷徨っていると、むいーっと、ぼくの右ほっぺたが引っ張られた。いたい。

 「んー…いひゃい…ほっへはひっひゃらはいへよ…ん?」

 ぼくは目をぱっちり開けて起き上がり、コウくんを見る。

 「やっと起きたな、ショウ。」

 コウくんはイタズラっぽく笑ってぼくの頬から手を離した。

 え、ちょっと待って。

 「コウくん消えたんじゃなかったの!?」

 「おう、オレも消えたと思ってた。そしたら今朝、こうなってた。」

 コウくんのことをよく見る。見慣れた顔に体格、服装のまま。だけどいつもなら半透明で後ろの景色が透けて見える体は、今は足先まで不透明だ。そしてさっきほっぺたを引っ張られた。もしかして…

 「…コウくん、生き返ったの…?」

 「どうやらそうみたいだな。」

 「え?え?ほんとに?ちょ、ちょっと確認させて。」

 「確認も何も見た通りだし、今オレお前の頬つねっただろ…別にいいけどさ…っておい、そこ触んな、くすぐったいだろ!腕だけでいいだろ確認で触るのは!」

 コウくんの頭や胴体を、いつかの映画で見たボディーチェックの時みたいに触って確認する。人の体温を感じるし、触れる。そして地面には影がある。

 「本当に、生きてる…」

 「だからさっきからそう言ってるだろ…ほら、もう離せよ。」

 コウくんがいつもの呆れ顔でぼくを見る。

 信じられない、夢みたいだ。

 コウくんが生きている。

 「ごめん…でも…コウくんが生き返って、ぼく…めちゃくちゃうれしいよ!よかった〜!」

 「!…おう、オレもすげー嬉しい。」

 ぼくが思わずコウくんの手を両手で包むように握ると、コウくんもその中で手を握り返してくれた。ボクより少し小さくて焼けて茶色いコウくんの手は、ちゃんと質量があって、ほんのり温かい。ああ、どうしよう、やばいよ、本当に嬉しい。

 「コウくん、よかったね!コウくんまたバドミントンできるし、コウくんのご家族さんもさ、きっと喜ぶよ!あとこれからもぼく達、もっと一緒にたくさん遊べるよ!やばいよ!」

 「そうだな。つーか、お前、はしゃぎすぎだろ」

 ぼくがコウくんの手を握ったまま興奮して腕をブンブンと振るのを見て、コウくんはおかしそうに笑い出す。

 だって仕方ないじゃん、嬉しいんだもの!

 ああ今日は、なんていい日なんだろう!今までの人生で1番幸せな日かもしれない!

 これからはどうしよう、でもとりあえず生き返ったお祝いするし、今までできなかったことも全部しよう、あと父さん達にコウくんを紹介できるよね、やった!あ、でもお家までコウくんを送らないと、ご家族がいるもんね、それから、それから…


 「あのね、コウくん、ぼく…」








ピピピ ピピピ ピピピ ピピピ 


 


 スマホに設定した無機質なアラーム音が、ぼくの意識を無理やり現実に引き戻すように鳴り響く。



ピピピ ピピピ ピッ


 昨日、念の為に設定してたやつだ、と思いながら、アラームを止める。スマホの時刻を見ると6時32分を指していた。

 床で寝てたから、体がバキバキになって痛い。カーテンの隙間の外に目を向けると、チュンチュンとスズメが鳴きながら飛んでいくのが見えた。水色の空が目に沁みる。快晴だなぁ…

 ノソリと床から起き上がり、部屋を見渡す。

 スクールバッグに服かけ、ベッドに画材道具に本棚、椅子に勉強机に、壁に貼られたたくさんの絵、バイト代で買ったテレビ。いつものぼくの部屋だ。

 でも今までと違って、なんだかどこか、物足りない空気だ。


 「…コウくん、いる?」



 いつもの返事は、返ってこない。


 「…夢かぁ」

 



 まだ眠い目を擦りながら、8時前にぼくは家を出た。搬入作業の日だから遅れないようにしないと、そう思ってはいたけれど、久しぶりに夜更かししてしまった。

 昨日はあの後、家に戻ってから久しぶりに自室で1日中コウくんと話した。

 ぼくが小4の頃からこっそり毎日練習して見せてなかった、コウくんの似顔絵やスケッチを見せると

 「お前、描きすぎ。」

って言いながらも、とても嬉しそうに一つ一つの絵を見てくれた。こんなことならもっと早く、全部見せてあげればよかったなぁ。

 流石に似顔絵っていうにはまだまだ下手くそだしなぁとか、こんなに描いてるとこ見せたら流石にコウくんも引いちゃうかな、とか思ってたけど…そんな気持ち、捨てとけばよかったや。

 「…それにしてもすげーな、こんなんもう絵日記じゃん。日付もあるしセリフまで書いてるし。つかオレこんなん言ってたか?」

 「まぁ、半分くらいは確かにそうかも?何を言って何をしたかとか、色々残したかったから。あと、言ってたよ。セリフ付きのは実際に言ってたやつしか書いてないし。」

 「…赤城先輩が試合出てるの初めて見た時、オレこんなんだったか?」

 「ふふ、もっとすごかったよ。叫んでた。ギリギリ聞き取れたのが『やっぱ赤城先輩すげーよ!』だったよ。」

 「マジか…全っ然記憶ないわ…恥ず…あ、このスマッシュ打つ絵、いいな。すげー構図とか、なんかかっこいいし。あれ?でもオレ、ショウの前でバドミントン見せたことないよな?そもそもできねーし。」

 「ないねー。動作はたまに見せてくれたけど。後でバドミントンのこと調べて、想像で描いたんだ。コウくんが試合してたらこんな感じかなぁって。」

 「マジでお前すげーな。もう画家になれんじゃん。」

 「そうかな?資料あったらそこそこは描けるよ?でもありがと。」

 そんなことを話してから、昔の思い出話をして、それからくだらない話もいっぱいした。

 最後の方は、ぼくにはもうほとんど見えないし、聞こえなくなっていたけれど、それでもコウくんは楽しそうにしていた。ぼくも、楽しかった。

 そしてコウくんは、ぼくが結局耐えきれなくて寝落ちしてしまったあとに、完全に消えてしまったみたいだった。


 朝の澄んだ青空の中、なんとなく、指でフレームを作ってそこから街を覗いてみる。

 横断歩道を渡る。もう今はしなくなったけど、昔は白線の上だけを歩いていた。コウくんによく車に気をつけろよって注意されたなぁ。

 蝉が元気に鳴いている。地面に落ちた死にかけの蝉で、ぼくがビビってたのをコウくんは笑ってたなぁ。

 空を見たら変な形の雲がある。下校時によく雲が何に見えるか、言い合ったりしたよね。あと、ぼくがどうしても見たくて、夜空のアンタレスを一緒に探したりね。

 近所の映画館の横を通り過ぎる。コウくんとはまだ数えるほどしか行けてなかったけど、楽しかったな。その後ゲームセンター行ったりとかもしたよね。

 線路を走る電車を見る。海や花火を観に乗って行った日のことを思い出すなぁ。あと水族館や動物園とかも2人で行ったよね。コウくん魚たちと一緒に泳いだり、動物の上に乗ったりしてたんだから、ぼく笑っちゃったよ。

 どこを見ても、コウくんとの思い出で溢れている。

 すごいなぁ。こんな小さい街でも、ぼくたち、色んなところに行ってたんだね。

 なんでか、いつもより少しだけ滲んで見えるフレーム越しの景色を眺めながら、ぼくは高校に向かった。

 

 「おはよーございますー。」

 「蒼山先輩おはようございます。」

 「ん、おはよう花園さん。」

 「お、蒼山。おはー。ってすげー眠そうな顔してんな。大丈夫かー?」

 「タケちゃんおはよー。大丈夫だよー。」

 眠そうな顔をしてたのか美術室に着くなり同じ2年の竹本くん…タケちゃんに心配される。ちゃんとシャッキリしないとね。

 9時になりコンクールに向けての搬入作業が始まった。

 「おーい、こっちだこっち、積んでくからどんどん作品持ってきてくれー!」

 先輩の指示に従いながら皆の作品を梱包し、外のトラックの荷台まで運ぶ。

 ぼくの作品を運ぶ際に見た部長の綾野先輩は、目を丸くした後ニッカリと笑った。

 「珍しく蒼山くんが終始難しい顔で何度も描き直してたから、完成するのか心配でずっと気になってたんだよね。でも、良いじゃんこの絵、絶対賞取れるよ。」

 「本当ですか?綾野先輩にそう言ってもらえるの嬉しいです、ありがとうございます!」

 絵が上手い綾野先輩に褒められて、へへ、と思わず笑みがこぼれてしまう。

 今回ぼくはあんまり賞とか気にしないままに描いていたけれど、「コウくん」がもし選ばれたらめちゃくちゃ嬉しいから、取れると良いなぁ。

 自分の作品をトラックに乗せてもらった後、ぼくは次に美術室に置いてあった、展示に使う工具やなんかが入った段ボール箱を運ぼうと持ち上げる。なかなか重い。

 「よいしょ、っと。」

 「蒼山先輩、それ俺が運びましょうか?」 

 「ん?ああ、ありがと。でも大丈夫だよ。山口くんは先に花園さんたちの梱包を手伝ってあげて?数がたくさんあって大変そうだからさ。」

 「わかりました。」

 ぼくが笑って言うと、1年の山口くんは素直に頷いて花園さんたちのところに手伝いに言った。

 多分、ぼくが重そうにしてるのを見て声をかけてくれたんだろうね。良い後輩だなぁ。

 美術室は2階にあり、階段を降りなければいけないのもあって、重いものを運ぶのって確かに結構危ないんだよね。

 でも2人がかりの大きい作品はともかく、全部終わるまでは何度も昇り降りするし、後輩にはなるべく負担の少ないことをさせたほうがいいよね。

 そう思いながらぼくは階段を慎重に降りる…が、途中でずるっと上履きの底が滑り、ぼくはそのまま一階まで落ちた。

 「おわぁああああ!?」

 「先輩!?」

 「蒼山くん!?ちょっと大丈夫!?」

 「オイまじか!蒼山大丈夫か!?生きてるか!?」

 上で梱包作業をしてた山口くん達も、一階のトラック前で荷台に荷物を乗せていた綾野先輩やタケちゃんたちも、ドドドド!という鈍くけたたましい音とぼくの反響する悲鳴を聞いて駆け寄ってくる。

 「だ…だいじょうぶ、です…」

 荷物を抱き抱えて尻餅をついたままの状態で、階段の真ん中らへんから一階まで滑り落ちたので、尻がめちゃくちゃ痛い以外、特に怪我も何もなかった。

 それにしても危なかった。一歩間違えたらぼくまで天に召すところだった…そんなことになったら皆に迷惑をかけるもあるけど、なにより成仏したコウくんが怒るどころじゃ済まない。

 もし今この姿を見られてても、それこそ烈火の如くコウくんは怒っただろうな…早々やらかしたなぁ…

 「お、お騒がせしました…」

 ぼくは心配するみんなに向かって苦笑いして立ち上がり、軽く埃を叩く。そして今度こそ慎重に荷物を運んだのだった。

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