13、「コウくん」
7月の終わり頃のある夜、ショウはオレに向かって
「明日の朝、うちの美術室に行くよ!」
と言ってきた。
何でも今日ようやく絵が完成したのと、明後日には搬入日なので、その前に1番にオレに完成物を見せたいとのことだった。めちゃくちゃ急だな。しかもよりによって明日か…まぁでも、ようやく見られるんだからありがたい。
そして当日、オレとショウは朝の7時過ぎに家を出た。
ショウは前日、興奮して眠れなかったのか、少し眠そうに目を擦りつつも歩いていた。こういうとこも昔から変わらない。そして寝起きだからか動きが少しノロい。
「夏だけど、この時間帯はまだ涼しいねぇ…」
「おい、信号点滅してるぞ。ほら、早く渡ろうぜ。」
「はーい…」
オレはショウをせっつきつつ移動する。
やっぱりこいつはオレが見えなくなってきているし、その見えない間隔が長くなってきていた。
そしてオレの方はといえば、体がとても動かしにくくなっていた。今のショウくらいの、ノロいスピードで移動するのが精一杯だ。
でもこいつの絵を見るまでは絶対消えない。ここまで来たのに、目前で終わってたまるか。早く、早く着け。
そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、ショウは相変わらずゆるゆる話しつつ移動する。いやきっと、それもわかってるだろうな…オレに聞き返したり目の前にいるのに探したりすることが明らかに増えたのに、まだ気づかないなんてことはあるはずがないしな…
異変に気づいてから今に至るまで、未だにオレはショウに「消えるかもしれない」と打ち明け、面と向かって話し合えていなかった。諦めてはいるものの、やっぱり「消えたくない」とオレがまだ往生際の悪いことを思っているからだ。
そしてオレが話したがってないことを、ショウはきっと察している。だから向こうからもその話を振ってこない。わざと、今も普段通りにしてくれているんだろう。
ショウは、そういう奴なんだ。昔からこいつには迷惑かけっぱなしだな、オレ…
「あとね、この前バイト行く時になんとなく川を見たらさ、なんとびっくり!ぼくの身長くらいの魚がいたんだよ!でも友達やバイト先の人に話しても誰も信じてくれないんだよねー。ほんとにいたのになぁ。」
「…オレはお前の言うこと、信じるよ。」
「本当?ありがと、コウくん。」
ショウは今は声は聞こえてもオレのことが見えていないのか、歩きながらよくわからない方を向いてずっと話し続けていた。その様子を見て、オレはグッと唇を噛む。
オレとショウは、もう10年以上の仲だ。そしてオレが死んだ時、たった一年そこらの間柄の奴ですら、あんな悲しい顔をしていた。
いくら今は独りでなく、泣き虫でもないくなったからと言って。オレが消えるとなったら、泣かなかったとしても、ショウは悲しみ傷つくかもしれない。
オレはまた、大事な奴を悲しませてしまうのが、怖かった。
頼むから勘違いであってほしい。明日あたりに元に戻って、いつも通りになってほしい…そう思っているが、きっとそんなことにはならないだろう。
…どうせどう足掻いたって消えてしまうなら、こいつの中にあるオレとの記憶も、全部消えてしまえばいいのに…
そんなことを悶々と考えているうちに、目的地に到着した。ショウの通う高校の正門をくぐり、職員室に向かう。ショウは鍵を受け取り、美術室の扉を開け、部屋の電気をつけた。
「本当は、外から目隠しして絵の前まで連れて行きたかったんだけどなぁ。」
「…幽霊だからな、オレ。物を通り抜けられるけど、お前も触れないし誘導は流石に無理があるだろ。」
「だよねぇ…あ、スイカ割りの要領でやるのは?コウくんに目を瞑ってもらって、ぼくが右とか左とか指示して来てもらうの。」
「いや、それはもうめんどいだろ…あとここまで来たらいいだろ。」
「それもそっか。」
そんなことを言いあいつつ、オレとショウはショウの絵が置かれている所まで足を進める。生徒作品や美術道具が所狭しと置かれている中で、教室の真ん中をあけるように机と椅子が左右にのけられており、その真ん中にでんと絵が置かれていた。
「じゃじゃーん、これがぼくの絵だよ。」
それは、高さが160センチもある巨大な油絵だった。
丁寧な塗りで色んな色が複雑に重なり合い、鮮やかに描かれているものは、「オレ」だった。
絵の中の「オレ」は、ぎゅっと眉根を寄せ、目を細めてにっと口の端を伸ばして笑っている。歯どころか歯茎まで見えたその笑顔は、愛嬌があるようなちょっと不細工なような、何ともいえない顔だ。そして目は真っ直ぐに、優しくこちらを見ている。
長い間自分の顔を見たことがなくて忘れかけていたというのもあるが、オレはオレ自身のそんな顔を知らなかった。どちらかといえばオレは自分であんまり笑わない方だと思っていたからだ。
まつ毛の1本1本まで丁寧に描かれた絵を見て、自分の顔なのに「オレって、ショウを見てる時、こんな顔してるんだな…」と他人事のように思った。
それと、絵の中にはたくさんの「オレの似顔絵」も描かれていた。クレヨンや鉛筆で描いた時の質感まで再現されている。そしてちゃんとそれらには、「ウニみたいなオレの似顔絵」みたいに見覚えがあるものも、逆にないものもある。
ふと絵のすぐ脇にある机の上を見る。古くなったスケッチブックや自由帳が何冊が積まれており、1番上に置かれたクリアファイルにはその「ウニみたいなオレの似顔絵」が入っていた。
何だ、そうか。そういうことか…
この絵を描くのに本当に、一体どれだけの時間を費やしたのだろう。オレと長く居ると言ったって、最近はほとんど遊んだり話したりしていないし、ここまで「オレ」とわかるように描けるまで、どれだけショウは練習してきたんだろう。
バカだなぁオレ、マジでさ。1人でぐちゃぐちゃ考えて。
ショウは、そういう奴なのに。
オレがただ黙って絵を見つめているのに段々耐えきれなくなったのか、捲し立てるようにショウが話し始めた。
「こ、これ描くのね、めちゃくちゃ大変だったんだ。人間って描くの難しいね。コウくんの写真を撮るとかってわけにもいかないし、それに驚かせたかったから目の前にモデルとしていてもらうのもできないしさ。だからかなり何回も描き直したんだけど、でもすごくいい感じでしょ?ぼく的には最高傑作だと思ってるんだ。タイトルもね、色々考えたんだけど、コウくんはコウくんだから、そのままタイトルも『コウくん』にしちゃった。あ、ちなみにね、近くで見たらわかるんだけど、ぼく的にはここの目の下の皺とか口とか、あと昔描いた似顔絵の質感の感じを頑張って…」
ショウは絵に近づいて指差しながら話していたが、オレの顔を見て言葉を止めた。
オレは、情けないことに、その場でボロボロと涙をこぼして泣いてしまっていた。
どうしようもなく嬉しくて、嬉しくて、苦しかった。
言いたいことは、たくさんあるんだ。この絵の感想も、これまでのことも、お前のことも。感謝の言葉も、謝りたいことも。たくさん、たくさん、あるんだ。
なぁショウ。オレは、この先お前が大人になっても、じいさんになっても、ずっとずっと、お前の絵を見て、お前の話聞いて、お前といろんなとこ行って、バカなこと言いあって笑ってって、していたかったんだ。
本当は消えたくないし、いまだに生き返りたいって思ってるし、ずっとお前と友達でいたいんだ。
そんな言葉が頭に一気に溢れ出すのに、それらは泣いてるせいで喉につっかえて、結局声にならないままで。オレは顔をおさえて俯いて、ただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。
そんなオレに、ショウは静かに近づき、ゆっくり穏やかな声で話し始める。
「コウくん、ありがとう。ぼくがずっと、絵の事が好きなままで描き続けられたのも、今回この作品ができたのもね、全部コウくんのおかげだよ。
あと、今までずっと一緒にいてくれて、ありがとう。これからは一人でもちゃんとできるように頑張るから…大丈夫だから…だから、安心してね。ぼくもう泣いたりしないからさ。
コウくんが友達で、ぼく、本当によかった。ぼくはきっと、宇宙一の幸せ者だよ。」
ショウのその言葉がじわじわと、オレの心に沁みこんでいく。いつでも、こいつの言葉は優しい。
感謝するのはオレの方だ。ショウに出会えてなかったら、今頃どうなってたかわからない。オレお前にたくさん迷惑かけただろ、ごめんな。
もう死んだ身なのに、それでも幸せだったのはオレの方なんだ。辛い時もあったけど、それ以上に幸せだと思えるのは、お前のおかげなんだ。
「っ…おれもだ…おれのほうこそ、ありがとう…しょうが、ともだちで…ほんとうによかった…」
オレはしゃくりあげるのを必死で抑えて、声を絞り出す。それでもそれっぽっちしか、まだ言えない。
「うん…」
ショウが口籠る。今ショウは、何を考えて、どんな顔をしてるんだろうか。
やっぱり、悲しい顔を、しているんだろうか。
「…あのね、ぼく、ずっと忘れないよ、今までのことも、コウくんのことも。」
その言葉を聞いて、オレはなんとか手の甲で涙を拭って、ゆっくりと顔を上げ、ショウを見る。
その顔は…涙なんて一つもなくて、オレがいつも見ていた、昔から変わらないあの笑顔だった。
ああ、お前って奴は本当に…
ショウは小指を立てた手を、オレの前に差し出す。
「ずっとずっと、ぼくとコウくんは友達だよ。約束。」
「…おう。」
手を伸ばして、ショウの指に自分の指を絡めるように指を曲げる。
そして、ショウに負けないくらいの笑顔を、オレはショウに返した。
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