本文

【プロローグ】

【第一話:荒涼たる地より魔の血】


 吹き荒ぶ風に砂が巻かれた。

 まるで、白と黒の惹き付ける力が交互に煽るように。

 赤い砂の谷間には、小さな男と女の影が揺らめいていた。

 強く打つ砂風に掻き消されながらも、生きようとしている奴らだろう。


『我は、てんかみともとも呼ばれしモノだ。人間か――。生意気な奴らめ』


 男のシルエットが跪いた。


「おお、神よ……!」


 神だと。

 砂地の民が生意気にも我を呼びよるか。

 

『どうれ、宇宙そらから下界を覗いてやろう』


 娘を夭逝した奴らか。

 ガイナとシーニアから祈祷の叫びが振動して来た。


「神よ。エルライミサの命をどうか返して欲しい。どのような手段でも構わない」

「ガイナ。安らかに眠らせてあげましょうよ」


 鬱陶しい願いに辟易するわい。


『あれが、エルライミサ・オルビニアンか。銀髪が褐色の肌に映える美しさの中に、ときめくものがくんっと匂いよる。ただならぬモノであるとな』


 暫く、こ奴らの動きを天として、見守らなければなるまい。

 遥か高みの虚空より、千里眼を躍らせた。

 行け、かのエルライミサを魔のモノとすべく。


『フハハハ……! 面白いことが起こったわい』


 身重のシーニアは蜃気楼の中で佇み、ガイナは板切れを用いて墓を掘っていた。

 天はその身を三つの邪眼を持つ勾玉の体色が毒々しい大蛇と変え、赤い砂地に降り立つ。

 首をもたげ、舌を舐めるように伸ばした。


『エルライミサよ。我が魔の命を授けようぞ――!』


 砂地を掻き分け、邪眼の大蛇が迫る。

 そして、首元に一つ牙を立てた。

 ときは、逢魔が時。

 奇跡は全ての無駄を排して、起こるべくして起こった。


『フフフ……。我は、白と黒の書に、双刻のヴァンパイア降る荒野を記そう。そして、後の世へ流すのだ。人となりたければ、地を這い探すがいい』


 ◇◇◇『逢魔おうまとき刻印書こくいんしょ』◇◇◇

 旅籠のエルライミサは、一日中働くと聞く。

 昼も夜も働いていた。

 飲みや泊まりの客は、逢魔が時、エルライミサとその影法師に遭遇し、まるでウズムシのようだと吐きながら嘲笑する。


 エルライミサは姉であり、エルライミサが妹でもあった。

 決して、同じ年の同じ月日に産まれた双子ではない。

 姉は二十三歳で、その三つ下に妹がいた。

 姉妹ではないかとは、客の口による。


 この旅籠のとどめを刺す話が、その白い壁に書き文字として残っていた。


 昼の妹が問う。

"母さん、どうしてあたしが姉さまと同じ名なのですか?"

 妹に母は告げたらしい。

"妹よ。姉のエルライミサは、ひとたび亡くなったのさ"

"姉さまはどうして今生きているのですか?"

"墓に、それは見たこともない大蛇が現れ、命の種を与えて、息を吹き返したそうさね"


 夜の姉が問う。

"継母ジャンセルよ、アタシをどうして妹のエルライミサと同じ名にしたのか?"

 その女は答えたとも噂される。

"姉よ。お前を大切に埋めたときのことだ。ほっそりとした腕がぬっと砂利を被せた所から伸びたのさ"

 姉をあしらい難いと分かっていて続けた。

"死んだと思った姉の魂一つ分、二人目も名を同じにしたのは、父親のガイナが、祟りを恐れたからさね"


 妹は姉に、姉も妹に文をしたためて寝所に置く。


 エルライミサ姉さまへ。

 もう、邪魔をするのはやめて。

 青空の昼に働くのは、あたしがしていればいいのよ。

 母さんに愛されるのも一人でいい。


 妹、エルライミサへ。

 アナタばかり愛されるから、アタシは要らない。

 青暗い夜の勤めこそ、代わって欲しい。

 夜の仕事は、干からびるまでしたくないから。


 ――そしてまた、逢魔が時が迫る。

 ◇◇◇『逢魔が時の刻印書』◇◇◇


『ともあれ、絵空事ではないからの』


 天は、嗤って赤い砂地より離れた土地に流した。


「……これは、どうしたのでしょうか」

 

 その地で『逢魔が時の刻印書』を拾ったのはとある女性だった。

 月日は押し出されるように流れて行く。

 双刻のヴァンパイア伝は、古書の冒頭にある詩で分かるが、残りは白紙だ。

 重要な役目を担っているようだが、まだ、誰にも分からない。


 未来へ向けてか、過去へ向けてか分かるモノさえ限られている。

 天が、神として、聖なる歌を調べに、砂が時計に浸食されるのを見守った。

 その聖歌はエルライミサにも毒な美しい力を持っている。

 この聖歌をジャンセルが握っており、姉は渋々従いつつ働いた。


 ――それから二十年が経つ。

 姉のエルライミサが二十三歳になり、美しく成長していた。

 褐色の肌に瞳は金に輝き、腰まである銀髪を結わずに風に梳く。

 薄い銀の布をまとっていた。

 妹もそっくりだが、布を薄い金色にさせて、自分とは違うと主張する。


「産みの母の寝所を客が汚したから、掃除するがいいさね」


 シーニアの寝所にて衝撃的な走り書きを見付ける。


「いつの間にあったのか。シーニアが悶絶しながら、壁に『吹き返したのは、神ではなく悪の命だ』と『人になるには白と黒の古書が必要で、悪を斃さなければならない』の書き文字を頷けるな」


 姉は、文字を幾度も指でなぞった。


「ああ、父ガイナと母シーニアか。懐かしいあたたかさがある。人になるのも悪くはないだろう。ジャンセルは、やはり魔なるモノなのか」


 その後、いつもの赤い飲み物を出す店が始まる。

 カウンターの奥から鞭を持ち出すと、真っ先に来た客が二つも席を陣取っていた。


「おい、エルライミサ。耳を貸せ。あのバアサンを斃す為にも二つの物が必要らしいぞ」


 姉は、カウンターの止まり木に足を勢いよく置き、赤い飲み物に陶酔した客の太腿に、一つ鞭を振るう。

 いつものことに、図太い客は、痛がりもしなかった。


「ふざけたことをお言い。その舌を鞭打ってもいいか!」


 鞭は無限に打てる。

 一旦手元に戻すが、すぐさま、二発目を尻に喰らわせた。


「冗談なんか言うか。お嬢よ。この血の気が引いて行く気分にさせるナニカが、おいらの口を借りたんだ」


 姉は、男の襟首を掴み、あつい息を吹きかけた。


「フフフ……。まあ、いい。本当に舌を抜いてやる」

「や、やめ」


 その夜も勤めが終わる。


「さあ、明け方だ。妹よ、我が身を割け! 生まれ出でよ!」


 明け方は、いつも妹をウズムシのように分離させて、砂地の遠方へ水汲みをさせるのも使命だ。


「ああ、夜は最強の鞭の主。だが、アタシの身にあるナニカは、もっとナニカを望んでいる気がする……」


 姉は思案に耽った。



【第一章:出会いは偶然の風】  

【第二話:お嬢様と白の古書】


 神鏡かがみ聖花せいかは、日に四本のバスから降りた所だった。

 聖花は、全身が黒っぽいので、雪道が光って目立つ。

 そこへ、白黒しらくろ町中に、サイレンが響き渡る。


「あら、冬ツ湖とうつこダムの放流なのね。もう六時なのか。遅くなってお父さんが心配してしまうわね」


 聖花は急ぎ足で、秋河あきかわ高校から、老舗温泉旅館かがみの裏手に回った。


「ただいま帰りました」

「おかえりなさいませ、お嬢様。旦那様もお待ちです」


 厨房からの声に挨拶をし、自室へ向かう。

 鞄を置いて、鏡に向かった。


「泣き顔みたいって言われるの嫌なのよね」


 黒い瞳が潤んでいるが、泣いていないと自分に主張する。

 黒髪を梳かし、高くバレッタで留め直して、ポニーテールにした。

 黒いブレザーに黒タイツの制服から、私服の黒いセーターと黒と赤のチェックのスカートへと着替える。

 

「顔を出さないと、お父さんが拗ねてもいけないわ。娘ちゃん大好きなお父さんだからね。きゃっ。自分で言うのも照れるわ」


 廊下へ出て数歩先にある書斎をノックし、声を掛ける。


「お父さん、聖花です。器楽部で遅くなりました。特別な日にごめんなさい」


 聖花がもじもじしている所へ、内側からノックが聞こえた。


「待っていたよ。聖花」


 ドアは、聖花を迎え入れるように開けられた。

 神鏡かがみ宗方むなかたの笑顔がある。


「お父さーん」


 聖花はゆるっと微笑んでいる。


「どうした、改まって」


 今日は、十二月十二日だ。

 冬なのに、天気がよく、晴れていた。


「お父さんの本が山高く積まれていて、本当に読書好きなのだと思うわ。書斎では、きちっと三つ揃いだしね。お父さん、大好きよ」


 聖花が三つのときから使っている踏み台に腰掛けた。

 大きくなったせいか、カタリと揺れる。


「うん、いい感じ」


 机の上は片付いており、一冊だけ置かれていた。

 真っ白な表紙の本だ。

 聖花はその古書を凝視する。


「聖花も興味があるかい。手に取るといい」


 踏み台から降りて、机の上へ手を伸ばす。


「表紙は綺麗に白くなっているわ。でも、古い本みたい。既視感が不思議とあるわね。この本はどうしたの」


 宗方が綺麗に保存していたようだ。


「表紙には、梵字のような図柄が描かれているわね。本の題名かしらね」

「開いてごらん」


 聖花は頷いて、そろりと捲った。

 見返しを開いて直ぐに書き連ねてある。

 言語は知らない文字だった。


「行間の和訳は、お父さんが書いたのかしらね」


 詩だろうか。

 慄きながら、一文字一文字辿って行った。


「きゃあああ……!」


 一度、古書を机に落とした。

 これが、初めての白い古書とエルライミサ姉妹との出会いとなる。


 ――聖花は、そこだけ読むと、空寒くなり本を閉じた。


「これが、『逢魔が時の刻印書』なのね」


 宗方が、妻の絵惟えいと娘の幼い頃の家族写真を懐から取り出した。

 カードケースで保護されているとはいえ、肌身離さずだ。

 もうかすれる程になっている。


「家族はいつも一緒だと、その胸に誓っているのね。お父さんの愛が詰まっているのだろうな」

「聖花。お母さんがこの地でお前を宿した、白黒町に暮らしてもう十余年だな」

「ありり。私のアンテナが立ったわよ。私は、本日、十六歳なのよ!」


 聖花は、笑顔で側に寄る。

 狭い書斎だから、ぴとりと寄り添えた。


「お父さんがしんみりしないでね。甘え下手と言われて来たけれども、そんなことないのよ、私」


 ふと、ごわついた宗方の手が聖花の頭をくしゃりとする。

 冷たいものが落ちてきて、娘は、はっとした。


「お父さん。涙ぐんだ姿なんて、お母さんのお葬式以来だわね」

「聖花、お母さんの面影があるよ。寧ろ、そっくりだ」

「そうか。両親にとって十二月十二日は、お母さんが私を産んでくれた日なのか。私の誕生日ではなくて、私を産んでくれた日か……」


 宗方が聖花を抱き締める。


「お父さん、いつかお母さんへのレクイエムを弾くね」

「聖花のヴァイオリンなら歓迎だよ。ずっとがんばって習っていたものな」


 二人して、一枚の写真からいくつかの母の面影を辿る。

 写真の裏に古い滲みが読み取れた。


『――神鏡宗方、絵惟、ここに聖花を授かる』


「これが、神鏡家の家族が揃った最初の写真……。十六年も、ありがとうございます」


 宗方は、一言、お祝いを贈った。


「十六歳まで、生きてくれて、ありがとう」

「私、胸が一杯になるわ山菜お蕎麦お代わりよ」


 聖花は、お礼をと思っても唇を噛みしめるばかりだ。

 その難しそうな表情に、宗方が肩を叩いた。

 書斎を出るとき、聖花は古の本を持ちながら振り向いた。


「この本はどういった物かしら?」

「これは、白い表紙の本だ。けれども、白の古書と黒の古書とに分かれている。二冊で一冊のものだよ」


 聖花は、暫く、頬に手を当てていた。


「一番訊きたいことが分かったわ。少し怖い古書ね。どうして、私に手渡したの」

「後で説明するよ。もう六時も過ぎた。自分は、かがみ屋名物のお蕎麦を打って来るよ」


 その言葉を別れに、聖花は自室へと戻った。

 部屋は、黒でシックにまとめてある。

 猫のように丸くなった。


「部屋は心持ち落ち着くけれども、どこかぞわぞわとしている」


 白い古書をドレッサーで広げていた。


「逢魔が時の刻印書……。怖い詩ね。不思議な既視感に真っ逆さまになる」


 聖花は、じいーっと考えていたが、ロールプレイングゲームみたいに、一日を幾日にも感じた。


「私は一人っ子だから、エルライミサのような姉でも妹でもないわよね。どうして、お父さんはこれを渡したのかしら。うちは温泉宿かがみ屋を営んでいるから、旅籠に似ているからなの。でも、そんなの偶然よね」

 

 思案中にスマートフォンが呼んだものだから、聖花の心臓が縮こまる。


「誰――?」


 いつの間にか、部屋の窓が開いており、雪が吹き込んで来た。



【第三話:聖花と壱流のシンクロ】


 ワン切りのコールに驚いたまま、聖花はヴァイオリンを持って、宴会場へと足を運んだ。


「なんだったのかしら」


 その日の夜は、聖花も寝付きが悪かったが、十二時までには就寝できた。


 ――聖花とエルライミサとの邂逅なのかも知れない。


 聖花は、高い階段を一段一段踏みしめる。

 暗い。

 ここはどんな世界だろうか。

 ただ、登らなくてはならなかった。

 どれ程上がっても辿り着かない。

 ふと、血の様な色で眩しくなった。

 さっと顔を腕で庇うが、あまりの赤い光に体中が照らされる。

 気になるものだから、目を細めて仰いでみた。

 上からは光が、スリット状に割り込んで行く。

 ゆっくりと鈍い音と共に、最上段が大きな窓の形になった。

 ぬっと腕らしきモノが窓を突き破る。


「きゃああ」


 物体かがふっと降りて来た。

 逆さの人物だろうか。

 スローモーションにコウモリのような翼を広げる。

 聖花の熱が、がつりと上がった。

 あれは、異形のモノか。

 聖花は、悲鳴で逃げ出したくなった。

 しかし、足は砂で縛られ、階下へと降りることは許されない。

 脈打つ胸の奥から叫ばれた。


「アタシは、荒涼たる地を彷徨える女……。エルライミサ・オルビニアン。異国に暮らす神鏡カガミ聖花セイカを迎えに行く」


 エルライミサ――。

 様子から、異国に暮らすのが分かった。

 半分男の子のような力強い感じがするし、妖艶さも備えた女性のような印象もある。

 それにしても、どうして夢で声を掛けたのか。


「聖花。必ず白い古書を渡すのだ」

「白い古書? 白い『逢魔が時の刻印書』のことが目当てなの」


 これは、夢よね。


「はあ……。はあ……」


 聖花は、激しい寝汗を掻きながら魘されていた。

 意識は、まだ、夢の中にいるようだ。


「どうしたのかな。今、ありありと、生徒会長の紫藤しどう壱流いちるくんの気持ちが分かるわ。ちょちょちょ、恥ずかしい」


 寝言に、他人の様子を語る程に、困惑している。


(俺のスマートフォンに、とっときの入学式フォトがあるんだ。神鏡聖花ちゃんが、初々しくも黒のブレザーに身を包んだ、後ろ姿だい。後ろ姿でもその綺麗なロングヘアーは伝わるから、いい。独り言なら大丈夫だろうな。聖花ちゃんが好きだ!)


「きゃあ。シンクロしているのかしら。告白なんて、ここで聞いてしまったわ」


(はっとすると、先程までの俺の部屋が消えている。見れども見れども、砂が吹き荒れているだけだ。腹減ったな。砂嵐の国へ来て、随分と経つ気がする。だが、この異界で、どのように帰還したらいいのだろうか。砂の中に人影が認識できた。まさか、聖花ちゃんか? 分かりやすくも、翼を広げてくれたよ。聖花ちゃんではないな)


「そこに眠っているのは、紫藤シドウ壱流イチルか。お前も黒い古書を渡せ」


(そんなものは、知らない。いくら、俺がお勉強好きでも、興味のない本を遠くまで買いに行かない)


「壱流。お前の直ぐ近くにある筈だ。よく探すがいい」


(一際高い声が響いて、煩いな)


「クククク……。クク!」


 ◇◇◇


「まだ夜なのに起きてしまったわ。私、変な夢で頭が痛い。どうしてか生徒会長とシンクロしていたし」


(はっとすると、スマートフォンを再び握っていた。俺、こういう現象は信じない方なんだけれどもな。大丈夫か。聖花ちゃんに告白しているし)

 

 この日、同時刻、聖花と壱流の夢はシンクロしていた。

 かの姿は、恐ろしき異形のモノだろうか。

 血を滴るように拭い、悪魔の双翼を背負う……。


「もしや、ヴァンパイア!」

(もしや、ヴァンパイア!)


 朝、シーツを見ると、異形のモノに見える寝汗の名残りがあった。

 聖花は異変があったことを黙って、宗方に手を振り、登校して行く。

 白黒町には、はらり雪が舞って来た。

 十二月十三日、いつもの宴会場袖にて、私はヴァイオリン。


「はあ、疲れる夢だったわね。未だ、シンクロしているけれども、生徒会長、気が付いてよね」


(あの夢は随分不思議だと思いつつ、今夜は、いい所に来ている。だって、かがみ屋宴会場の舞台から、聖花ちゃんと目が合ったのだから)


「声が丸聞こえなのですが。気が付いていないのかもね」


(可愛い黒髪の乙女が俺の心をくすぐった。俺にだってある赤いハートが、きゅっとする。この可愛い娘は、あの、あのだよ)


「器楽部のまったり部員、神鏡聖花ちゃんだろ。偶々知っている」


(偶然を装いつつ、照れ隠しだ。俺が指をチョキにして差し出したら、速攻で彼女の手で払われた。なんてこったい)


「やだ! 紫藤くん、なんでこんな山奥に来ちゃっているの?」

   

(聖花の旅館は、秋河県白黒町の遥か昔より温泉のある奥地だ。限界集落と嘲笑も買うが、秘湯、かがみ目当ての来訪者が少なくない。その旅館かがみ屋の一人娘が、俺の好きな娘だ)


「ああ、その聖花ちゃんが、俺の目の前にいる」

「いっちょ、行けい! 倅よ」

「聖花ちゃーん! ラブ・ラブ・ユー!」


(田舎の匂いが一つもない。ご趣味は、ヴァイオリンに絵画だと生徒会副会長のみさきさんから情報を仕入れた。役場の団体客が、手打ちお蕎麦と会席料理よりもお酌だなんだと煩い。そんな中、彼女が静かにヴァイオリンで彩りを添えた。そのクラシックがG線上のアリアだなど分からない客が多くても高潔さは変わらないんだ。俺にだけは、きゅきゅっとハートに届く。聖花ちゃんの静かに波打つ調べがね)


「けっぱれ! 神鏡聖花ちゃん!」

「よ、聖花ちゃん! 綺麗だよ」


(飲みのお客は、聖花ちゃんの本当の花が分らないんだな。もうちょっとお上品な応援が、俺のお好みだ。まあ、得てして普段の仕事から解放されたいものだろう。町長をしている大人しい俺の父さんも目を細めている)


 舞台を降りると、聖花が可愛らしくご挨拶をした。

 腰まである黒髪がさらさらと肩から揺れ落ちる。


(ワンレングズなので、おでこが可愛いぞ。背丈は俺が一七七センチだから、それより二十センチ低い位で結構可愛いんだよ。桜の散る頃見掛けた彼女のシルエットにも惚れたっけ。ほっそりとした手足から、バレリーナかフィギュアスケーターかと思ったよ)


「神鏡さん……。素敵だよ」


(もしも、彼女とお付き合いできるのだったなら、どんなことでもしたい気分だ。例え火事でも地震でもキミを守りたいよ)


「聖花ちゃんと、呼べる日が待ち遠しいな」


 (小声で応援するのが精いっぱいだ。静かに聴いていよう。演目は、チゴイネルワイゼンへと移った。ぐんと盛り上がり、全弓を用いた大胆さと緻密さが合わさっていて素晴らしい。ピアノでもあればな、俺が伴奏するのに。彼女のお相手は、カセットテープだ。十月の学芸会では、見事な独演だったと伝えられたらな。俺だけが、目が合っている気がする。この呟きが聞こえたのなら、顔から火が出そうだ)


「綺麗だよ……」

「全部、よく聞こえてますよ」



【第四話:美彩降誕】


「聖花、大丈夫か。お父さんは、これから蕎麦打ちをして来るからな」

「私は、お父さんの旅館かがみ屋で、お客様が賑わっているのが嬉しいの。誰も分かっていなくても大丈夫よ」


 聖花は、舞台で静かにヴァイオリンを披露した。


「今、弾いているのは、G線上のアリアだけれども、誰も知らなくても大丈夫だわ。楽しめればそれでいいと思うのよ」


 おビールも回って来たお客様は、正直になる。


「神鏡聖花ちゃん!」

「よ、聖花ちゃん! 綺麗だよ」


 作り笑いでも愛嬌だと聖花は思った。


「物足りませんよね。もう一曲、お聴き願います。情熱的な、チゴイネルワイゼンがいいかな。ラストです」


 袖に戻って、松脂を塗り、譜面を新しくする。

 独り言ちをしていた。


「ウインクしたいけれども、紫藤くんがいるからな。無理、無理」


 顔が真っ赤でないかと鏡が欲しかったが、手鏡を忘れていた。


「雪国秋河では、十二月はまだあたたかい温泉が恋しい季節だろう。常連さんもみえるから、尚更、そう思う。お客様には、演歌が望まれているだろうけれども、私はクラシックを贈りたい」


 パラパラと聖花の演奏に拍手をいただく。

 お客様に対して、聖花は、驕っていたのが恥ずかしくなった。

 お客様はやはり大人です。


「今度は、演歌を練習して来ますね」


 バイオリンと弓を聖花のときめく胸の前で持った。

 これは、己と対峙しなければならない。

 きゅっと唇を噛む。


「いやあ、聖花ちゃん。悪いなー。『秋河あきかわはる』を頼むで」

「いやいや、なんも。『きた慕情ぼじょう』でしょうよ」


 小さなステージを降り、聖花は深く礼をする。

 前髪を作っていないので、おでこが恥ずかしくてて、さっと手で整えた。


「乙女の悩みなのよ」


 そして、お客様に思いを伝えたくなった。


「お客様にお気を遣わせてしまい、申し訳ございません」


 それから、渡り廊下を行き、烏の濡れ羽色で埋め尽くされた聖花の部屋に戻った。


「はー。顎が痛いかも」


 聖花は肩をストレッチしながら、かがみ屋の雪化粧を見下ろす。

 

「お部屋が黒で、雪は白なんて滑稽さがいいわね。この国は白だけれども、雪が沈んだダムのさわも好きよ」


 底が黒く水に触れる岩の色も苔もシックに仕上がっていたと回想していた。


「また、雪が横殴りか。真っ白な季節も終わらないかな。白か黒なら、しんから黒が好き。この部屋が烏屋敷で、お気に入りだし」


 ヴァイオリンに目をやる。


「さっきまでがんばってくれたヴァイオリンをお手入れしないとね。スクリューで弓毛をゆるめて休めてあげような」


 よしよしと愛でながら行う。


「幼少の頃からヴァイオリンを習っていたのに、音楽の大学へは進学を諦めてしまった。ごめんなさいって気持ちで一杯で、かがみ屋でミニコンサートを始めたんだっけ――。お父さんは許してくれたけれども、お母さんはどうかな?」


 小さな黒いソファーに、こてんとまるくなってみる。


「猫、にゃーん」


 聖花は、猫が大好きだから、真似た。


「可愛いからって飼えないからね。ここは、居心地がいい筈なのにね。あーあん。もう、つまらない」


 このメロディーは、まただ。


「私のスマートフォンをコールするのは、お父さん以外にあり得ないよ」


 ソファーを軽く殴って、スマートフォンを手にする。


「高校で、特に仲のいい人がいないのは分かるわ。困ったときに、あれこれとお喋りできたのかも知れない。せめて通信アプリでも入れていたら、明るい高校生活を送ったかしらね」


 奇跡の登録がないか探していた。


「古書のことで相談したいな。お母さんならどうするのかしら」


 黒檀の小箱より、母の遺影を得る。


「ごめんなさい。ワガママでした。お母さん……」


 聖花は、暫く拝んで、決意した。


かがみに入って、気分転換よ」


 まだ、コールしていたので、番号を確かめたら、電話帳にない電話番号からだ。


「疑問を確かめにお父さんを探そうかな」


 聖花が少し下へ降りると、厨房から賑わいが聞こえて来た。

 そっと覗くと、宗方の忙しそうにしている背中が恋しく思える。


「ああ、聖花じゃないか。用事があったかな」


 宗方は、しじら織りの和服にたすきがけをして、お蕎麦作りに精を出していた。


「カッコいいなあ」


 聖花のために手を止めて、振り向いた。


「お仕事のお邪魔をしてごめんなさい。あの白い古書を不思議に思って」

「そうか。この白黒町に古くから伝わる本の一つだ。聖花は、これから必要となって来るだろう」


 小首を傾げる仕草も大和撫子風の聖花だ。


「お父さん。誕生日はお祝いのお言葉だけでいいのに。私はお父さんに弱いの。お母さんを早くに病気で亡くしたでしょう、お父さんっ子なのよね」

「重々承知だ。夜遅くなるが、他にも渡したいものがある。順番が逆だったかな」


 聖花は、ときめいたように、頬を染める。


「この白い古書と夢についても焦ることはないわね。ごめんなさい。ヴァイオリンの演奏が終わったら、また伺います」


 聖花は、うさぎのように頭を下げて、照れ度が最大になった。


「お父さんは、いつも通り優しいのよね」


 ――そのときだった。

 エルライミサが、とうとう白黒町を目指す逢魔が時を迎えた。


「フフフフ……。聖花と壱流の居所は分かった。今すぐ白と黒の『逢魔が時の刻印書』を手に入れるとき。アタシは、人となる。天下を取る人となり、衆目の一致するところ、エルライミサは永遠の名を馳せるのだ」


 赤い砂の地から旅立つとき、白い勾玉の竜と同じく黒のそれがエルライミサの周りを螺旋状に付きまとって来た。


『エルライミサ、我はジャンセルに命を与えしモノ。あ奴も連れて行く。また、旅籠で苦しむがいい』


 勾玉の世界を移行している。

 転移だろう。


「どうして、私を苦しめたがるのか? 妹も置いて来たのに」

『フハハ……。妹を? それは叶わない夢だ』


 どうにか、この螺旋の中から抜けたかったが、この道を行けば、愛しい二冊への近道だ。


「邪魔をするのなら、高速で行くまでだ。大地よ、割れて繋げよ――!」


 激しい爆風と共に、大きな地震を引き起こす。


「大地の民は慄いているだろう。さあ、ほつれさせるまでよ。この大きな揺れで、聖花と壱流があぶり出されればいい」


 エルライミサは、聴こえて来る悲鳴にほくそ笑んだ。


 ◇◇◇


「ああ、お父さんの山菜お蕎麦が――」

「聖花!」

「聖花ちゃーん」


 ◇以上・本文◇

【①ヴァンパイア美彩よ天を堕として嗤え・プロット及び本文例・完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

①ヴァンパイア美彩よ天を堕として嗤え いすみ 静江 @uhi_cna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ