第9話 深江様 藤本早織を殺した
あらかた園児たちにも迎えが来て、園舎から子供の声が消えました。
私は夕べの勤行をおこない、仏間で阿弥陀様に経を上げておりました。亡き父の過去帳も傍らに添えてあります。
もし父が私と璃子の事を知ったら、どう言うでしょうか。人様の子を殺め、ご遺体を隠した――。厳格な父なら私を殺して、自らも命を絶つやもしれません。
その時です。
「ごめんくださーい!」
玄関から声がしました。男の声です。
母が「はいはーい。どちらさーん?」と玄関を開けに行く気配が廊下を通ります。認知症の母が対応できるはずもないので、私は読経を中断して玄関へ向かいました。
「英くーん、お客さんやて!」
玄関の来客を見て、息が止まりました。
「急にお邪魔して、申し訳ありません。少しお尋ねしたい事が――」
警察官でした。
「……どうして、うちに」
「こちらの子をご存じないでしょうか――」
制服の警察官はバインダーを開き、カラープリントした画像を見せました。まさしく早織ちゃんの姿です。まさか、もう私に目星を……。うなじに汗が滲みました。
「え、ええ。藤本早織さんですね。うちの幼稚園の卒園生でございます」
まだ焦る必要はありません。早織ちゃんのご遺体が発見されたという報せもありませんし、事件として始まってすらおりません。
「実は昨日から自宅に帰っていなくて、捜索願が提出されたんです」
「ええっ、まだ帰ってなかったのですか」
昨日の夜、お母様から電話があった事を伝えると、警察官は熱心にメモを取り始めます。
「お母様のお話では、うちの娘と遊ぶと言って出ていったきり――と、おっしゃっておりましたが。ちなみに、うちの娘は早織ちゃんと会っていない――、と」
差し支えのない範囲で真実を話しておきました。
「何か分かった事がありましたら、天王寺警察署までご連絡ください」
こちら一枚お渡ししておきますので、と警察官はA4の用紙を差し出しました。
早織ちゃんの写真と彼女の特徴がまとめられています。身長140センチほど、白のシャツに紺のベスト、キュロットとスニーカー。ご遺体が身につけていたのと同じです。
ご協力ありがとうございました、と警察官は立ち去ります。
「母さん。誰か来ても、勝手にドア開けたらアカンで。危ないから」
私は母を居間へ帰し、一人で仏間へ戻りました。帰命無量寿如来、南無不可思議光――、と夕べの読経の続きを上げます。頭を整理しましょう。
捜索願が出されたという事は、警察が捜査に乗り出したという事です。しかも大人の失踪者とは訳が違い、誘拐の可能性のある子供や老人が失踪した場合、警察は捜索願を受理し次第すぐに捜査を開始すると聞きます。
捜索願が出されたのが昨夜。すでに警察は捜索を開始し、現にこの永恵寺にも警察官が来ました。周辺を虱潰しに聞き込んでいるのでしょう。やがて大阪府警が総力を挙げてローラー作戦で捜索を始めるでしょう。
そうなってしまえば、あんなプレハブに隠したご遺体など――。
私は「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏……」と結んで深く一礼します。静かに目を開くと、蝋燭の火が風もないのに揺らいでいました。
すぐにでも早織ちゃんを、連れ戻さねばなりません。
その時でした。
居間の方で私の携帯電話が鳴りました。
勤行を終え、私は立ち上がって居間へ向かいます。居間では母がテレビを見ていました。璃子はおりません。きっと部屋に閉じこもっているのでしょう。台所に、私の携帯電話はありました。
着信しましたが、画面には通知も表示されていません。
「メールですか……。珍しい」
アプリやショッピングサイトからのDMではありません。個人からのメールでしょうか。
タイトルは【深江英俊 様へ】とございました。
よくあるスパムメールとは雰囲気が違います。私個人へ宛てたメールのようです。送り主のアドレスは未登録で、見覚えもございません。
メールを開封し、私は戦慄しました。
【深江様 藤本早織を殺した】
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