第5話 父さんを信じなさい

 朝の六時半すぎ。僧侶の朝は早うございます。

 寺の掃除を済ませた私は、布袍ふほうに着替えて朝の勤行をおこなっておりました。本堂の仏間、阿弥陀様に向かい合い正信偈しょうしんげを読んでおります。読経は腹式呼吸で行なうものなのですが、今朝は力が入りません。何しろ昨夜は一睡もしていないのですから。

 勤行を終え、台所で朝食の準備をしていると、母と璃子が起きて参りました。

「おはよー英くん。あらまあ、美味しそうなお味噌汁やこと!」

 いただきまーす、と母は機嫌よく食事を始めました。

 横で璃子も「……いただきます」と沈んだ声で呟きました。普段なら声が小さい事を注意するのですが、今日ばかりは咎められません。

「大丈夫ですよ、璃子」

 璃子は上目遣いに私を見ます。縋るようです。

「生玉公園に隠してきました。一日くらいは見つからないでしょう。明日にはもっと安全な隠し場所に移します」

「安全な、場所?」

「裏のお墓です」

 昨夜は夜通しで墓地の古井戸の片付けに勤しんでおりました。粗大な木材ばかりが廃棄されておりましたが、夜を徹して作業すれば半分ほどは片付きました。

「心配いりません。父さんを信じなさい」

 それでも璃子は不安げです。食事も進んでいません。この小さな子供はどんな夜を過ごしたのでしょう。同級生を自らの手で殺め、どんな心持ちで眠りについたのでしょう。罪を犯した苦しみは続き、時には増幅します。璃子は耐えられるのでしょうか。

「学校はどうするんですか。休んでも良いんですよ」

 璃子は小さく首を横に振りました。「……行く」

「どうして。無理をしてはいけません」

「今日休んだら、怪しまれるかもしれないし」

 璃子は味噌汁にも手を付けず、滑り落ちるように椅子から降り「行ってきます」と呟いてランドセルを背負いました。

 俯いて食卓を去る璃子の背を、私は黙って見ている事しかできませんでした。

「いってらっしゃーい」

 母だけは機嫌良さそうに手を振ります。璃子は母に無反応でした。

「で、あの子はどこの子……?」

「僕の娘や。璃子ちゃんっていうねんで」

 そーなんっ、と目を丸くする母。もう璃子の事も忘れてしまっているのです。納得して頷いた母は、私に顔を向けました。

「ねえ英くん。お父ちゃんは、どこ行ったんやろか」

 私は、頭を抱えました。

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