第4話 私が変質者だと疑っているのですか

 やがて夜も更けました。

 母と璃子が寝静まっている事を確認し、仏間の襖をそっと開けました。薄暗い仏間には毛布で包んだ早織ちゃんが横たわっています。

 翌朝には、幼稚園の先生方や園児の皆さんも来られます。仏間や境内に置いていても、いつ檀家の方がいらっしゃるか分かりません。明け方までには別の場所へ運ばなければなりません。

 私は阿弥陀様の前に座し、瞑想するが如く良案を練りました。仏の御前でご遺体を辱める計画を考えるとは……。私は、なんと罰当たりな人間なのでしょう。

 毛布の隙間から早織ちゃんの顔が覗きます。その目は再び薄く開かれています。虚ろな瞳は、まるで私を睨んでいるかのようです。やめてください……見ないでください……。

 日が開けて午前二時頃。私は早織ちゃんを抱えて立ち上がりました。

 毛布越しでも冷たさが伝わってきます。大きな水袋を抱えているみたいでした。早織ちゃんは生きていない、これはもう人ではない――。改めて実感しました。

 早織ちゃんを担いでガレージへ向かい、自家用車のトランクに入れました。私は車を出し、深夜の町へと繰り出しました。

 十分もしないうちに生玉いくたま公園につきました。ここは生國魂いくくにたま神社の隣にあり、地下防空壕跡もある広大な公園です。木々が鬱蒼と茂り、昼間でも人の寄り付かない不気味な場所です。それが夜ともなれば、まず誰もおりません。

 私は車を停め、公園内の様子を窺います。暗くて数メートル先も見通せません。薄気味悪くありますが、好都合です。この先に今は使っていない倉庫があったはずです。そこに隠しておけば数日は見つかりません。この公園にご遺体を隠すのは応急措置にすぎません。

 永恵寺の裏手には、うちの寺の管理する墓地があります。そこに今は使っていない古井戸がありました。中にトタンや木材の切れ端を捨ててあるのですが、それを取り出して処理すれば、ご遺体の隠し場所としては充分です。

 臭いは問題ありません。何と言っても墓地です。香を焚き続ければ生臭さも軽減されましょう。それに管理者は私です。井戸にコンクリートでも流し込めばご遺体が見つかる事はないでしょう。

 私はニット帽を目深に被り、トランクに指を掛けました。

「すみません。少し、お時間よろしいでしょうか」

 不意に声を掛けられ、ライトを向けられました。振り返った私は、戦慄しました。

「ちょっと見回りをしておりまして――」

 警察官の二人組です。二人は愛想良くしながら、猜疑に満ちた表情で近寄ってきました。

「実は最近、刃物を持った変質者が現れるんですよ。天王寺署にも被害届が出てましてね、こないだも塾帰りの小学生が追い掛け回されたとか」

「そ、そうだったのですか。お巡りさんもこんな夜分に、ご苦労様です」

 気さくに世間話ぽく話を始める警察官。私も平静を装って愛想を返しました。

「大変失礼なんですが、身分証を見せてもらっても構いませんか」

 あくまでも形式的な職質ですんで、と警察官は笑顔で迫ります。

 警察の職務質問は任意とは言いますが、断ってもしつこく食い下がられます。拒否し続ければ応援を呼ばれ、十名近い制服警官に取り囲まれるといった話も耳にしました。実質、拒否は不可能。むしろ拒否した方が大事に至ります。

 私はトランクを一瞥し、堂々と免許証を提示しました。

「深江英俊さん、今年で三十七歳ですか――。ご職業は?」

「すぐそこの寺の住職です。併設の幼稚園の園長も兼任しております」

 警官は「ああ、永恵寺さんの所の。ゆうひ幼稚園でしたっけ」と頷きました。

「こちらの車は、深江さんので?」

「ええ。亡くなった父が乗っていたものを、そのまま私が使っております」

 警官たちは淡々と私の免許証番号と車のナンバーを無線で伝えています。

「ところで、こんな時間に何をされていたんですか?」

 それは――。言葉が詰まりました。警察官たちの目にも猜疑の光が強まります。

「ええ、先ほど起床したところなのです。僧侶の朝は早いですので。それで朝の勤行ごんぎょう前にドライブでも、と思いまして」

「それが、どうしてここに停車してたんですか」

 私は眉をひそめて返しました。

「あの……お恥ずかしい話なのですが、少しもよおしてしまいまして……」

「ああ、トイレですか」

 納得したように頷く警官たち。誤魔化せたようです。

「でも、ここの公園は気を付けてくださいよ。暗いですし、さっき言ったように変質者も付近で目撃されていますし」

 しかし警察官たちは立ち去る素振りを見せず、私の前に立ち塞がったままでいるのです。

「車の中、調べさせてもらってもよろしいでしょうか」

 えっ――、という反応を咄嗟に飲み込みました。

「困りましたね……、私が変質者だと疑っているのですか。調べても何もありませんよ」

「お坊さんを疑うだなんて、とんでもありません。あくまでも形式的なものですから、すぐに済みますよ」

 そう言って有無も言わせず押し切りました。警官たちは車中をライトで照らし、ダッシュボードを開けて中身を調べています。私は祈る思いでトランクを見詰めるだけでした。

「ご協力ありがとうございました。お手数かけてすみません」

 警官は帽子を被り直し、私に会釈しました。何とかなったようです。

「あと……トランクだけ見せてもらって良いですか」

 息が止まりました。

「……えっ、トランクですか」

「お時間はいただきません。ちょっと開けて見るだけですので」

「私の着替えなどが入っておりまして……まだ洗濯していないので、お見せするのも失礼な物が詰まっておりますので……」

「お気になさらず。我々も慣れていますから」

 若い警官は笑顔のまま強引に合意を求めてきます。私が苦い顔をすると「危険物でも持っているんですか」と猜疑を強めて詰め寄ってきました。

「決して、危険物などは……」

「それなら見ても大丈夫ですよね」

 ええまあ……、と漏らすと、それを合意と取られてしまいました。警察官たちは勇み足で車の後部に回ってゆきます。

「待ってくださいお巡りさん。先程から私、催していまして……トイレへ」

「仕方ありませんね……。では構いませんよ。そこらへんで済ませていただいても、今回は目を瞑りますので」

「しかし、私は僧侶です。路上で用を足すなど、そのような事は……」

「だったら、早急にトランクを調べますね。すぐ終わらせます」

 警察官はトランクに指を掛けました。ここまでか――。

 すると次の瞬間、若い警官の無線が鳴りました。

「こちら、03番。どうぞ――」

 警官は肩の無線を摘まんで早口で話しています。専門用語だらけで私にはよく分かりませんが、険しい顔をしていらっしゃいました。

 若い警官は無線を口から離し、じっと私を見据えました。

「……深江さん」

 私は息を飲みました。「は、はい」

「今日はもうよろしいですから、お気を付けて帰ってくださいよ」

 思わず私は「えっ」とこぼしました。

「あの……じゃあ、もう」

「もう結構ですよ。近くで不審者の通報がありましたので、そちらへ急行します」

 は、はあ……、と私は口を開けていました。

「くれぐれも用心してください。不審者は刃物を持っている可能性もありますし」

 そう言い残して、制服警官の二人組は自転車で去って行かれました。

 警察官たちの後姿を見送り、私は放心しそうになっておりました。どうにかやり過ごせたようです。不謹慎ではありますが、例の刃物男のおかげで私が免れたようなものです。

 気を取り直し、私は早織ちゃんの詰まったトランクを開けます。

 むわりと湿気が立ち込め、私は咄嗟に顔を背けました。膿んだ傷口に包帯を巻き、風呂に浸けず何週間も過ごした臭い。あの悪臭を何十倍にも増幅させた臭いがしました。これが死の始まりの臭いでございます。私は毛布ごと早織ちゃんを抱え上げました。死後硬直が解け始め、腰のあたりでグニャと線が曲がります。持ちにくいし、臭い……。

 さいわい深夜の生玉公園には誰一人いません。闇夜に紛れながら小走りすると、目的の物置小屋はすぐに見えてきました。プレハブは錆び、風雨に晒され続けた屋根は朽ちかけています。鍵は掛かっていませんでしたが、扉の立て付けが悪くなっていました。

 早織ちゃんを置き、力任せに扉を引きます。錆びたレールが悲鳴のように甲高く鳴り、深閑とした公園の木々を揺さぶります。私はその耳障りな音に肝を冷やしました。

 無理矢理に扉を開けると、畳一枚分ほどのスペースが覗きました。スコップや竹ぼうきやヘルメットなどが無造作に置かれています。

 私は錆びて赤茶けた床に早織ちゃんを寝かせ、再び合掌いたしました。

「すみません早織ちゃん。もう一晩もすれば、必ず迎えに来ますから……」

 再び扉を閉め、念のため持参した南京錠で扉を固めます。何年も前に購入して寺にあった物ですから、万が一不審に思われても店の販売記録からも足は付かないでしょう。

 そして、私は脇目も振らずに逃げ帰りました。

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