4節(長め)
(ミィズの
リタは執事の後ろを歩きながら、余悦に浸っていた。この一週間、ミィズと密室で2人きりというご褒美にあずかれたのは、まさに棚から牡丹餅である。
なぜリタまで一緒なのかといえば、【聖女】の弱みにしないためらしい。悪いことを考える人間は、いくらでもいるということだろう。
(もうちょっと、ミィズとの甘い時間を過ごしたかった気もするけど……)
具体的には、あと一ヶ月間くらい。
とはいえ、流石にミィズの体によろしくないので、丁度良かったのかもしれない。
少しだけ、ミィズの腹回りが増えた気がするし。
それはそれで、可愛いのだけれども。
「き、緊張するね、お姉ちゃん」
手を繋いでいるミィズが、不安そうに言った。ミィズの体温と共に、幸福感がその手から伝わってくるようで鼻血が出そうだった。堪えるので精一杯である。
いけない、いけない。
つい悦に浸ってしまっていたけれど、今はミィズを守ることが最優先だ。
(緊張するなぁ……襲われたら、その時は、うーん。周りにバレないように殺せるかなぁ……)
『そんなことにはならねーから力を抜けよ』
至極全う――だとリタは思っている――な悩みに、ツッコミを入れてくるアロエ。
(し、仕方ないじゃん……ミィズに頼られるの、ひ、ひさびさ、なんだから)
世間一般にいう、反抗期という奴なのだろう。以前から、ミィズに頼られることが少なくなってきたと感じていたのだ。確かに、だらしないことは自覚している。だが、自分はミィズよりも5つも年上のお姉ちゃんなのだ。いくら何でも、ミィズよりはしっかりしている、はずだ。
こんな時くらい、お姉ちゃんとして頑張らなければ。
「こちらです」
そんなことを考えていると、いつの間にか目的の部屋、応接室に到着していたらしい。
執事がノックをすると、中から「どうぞ」と声がかかる。
「失礼します」
「………します」
「失礼しますっ」
執事に続いて、二人は部屋へと入った。
中には三人の男女がソファに座っていた。騎士風の男が二人と、シスター服を着た若い女性が一人だった。
三人はその場に立ち上がり深々と頭を下げると、シスター服の女性が「どうぞお掛けください」と促してきた。
リタは背中に隠れるミィズの手を引きながら、恐る恐る対面のソファへと座る。それを見て、彼らも腰を下ろす。
「お初にお目にかかります。私はサマンス=ラーウンズ。帝国近衛騎士団の顧問をしております」
騎士のうち、年長の男が切り出した。サマンスと名乗った男は子供が見たら泣き出しそうな強面を、深々と下げてくる。
「それから、こちらの軟派そうな男は、部下のエーデルワイスです」
「ちょ、軟派はひどいっすよ! これでも俺、かなり一途っすから!」
エーデルワイスと呼ばれた若い方―――といったもリタよりは年上だが―――の金髪の騎士が、異議を唱えた。
「………一途かどうかはおいといて、こんなのでも真面目な男です。仕事中は信頼して頂いて問題ないかと」
「くぅ! その信頼がむずがゆいっす……! まあ、任務とあれば俺は全力! 安心してこの胸に飛び込んでくるといいっすよ! これでも、それなりに有名な天才騎士っすから!」
「は、はぁ」
反応に困ったように、生返事をするミィズ。
「サマンス様はともかく、エーデルワイス様は聖女様に対して不敬でしょう。騎士たるもの、敬う心を持つべきです」
そう叱責したのは、シスター服の女性だった。女性は「こほん」とわざとらしく咳をして、続ける。
「私はネモネ=マーガレットと申します。大司教代理として、この場に参席した次第です。聖女様、よろしければ、どうか御身のご尊名を知る権利を、この汚らわしき我が身にお与えください」
ネモネは微笑みながら片手を胸に当てると、小さくお辞儀をした。つい、その一連の動作をぼーっと見つめてしまうリタである。
まさに理想の大人の女性といった所作。自分もああなりたいものだ。ミィズに尊敬されたいから。
だが、虚しいかな。コミュ障のリタには、少しハードルは高そうだった。
『少しか?』
(そ、そうだもん)
……多分。
「あ、えっと、私は、ミィズ=ハールマンです。よろしくお願いします―――って、いやいや、じゃなくてっ!」
そんなことを考えていると、ミィズが急に声を荒げた。
「ど、どうしたの、ミィズ?」
リタは不思議に思いながら、ミィズを見やる。
もしかして、疲れが溜まっているのだろうか。部屋に篭りっきりというのは、やはり良くなかったのかもしれない。
「どうしたの、じゃないよ、お姉ちゃんっ!」
「ひぅ……」
ミィズが急に顔を寄せてきたので、リタの心臓がびくりと跳ねた。バクバクと胸が鳴り出すのがわかる。側から見れば気圧されているように見えるだろうが、リタの脳内は段々とピンク色で埋め尽くされていった。
―――う、うへへ。ミ、ミィズの顔が、こ、こんな近くに……。
『おい、こんなところで発情すんな』
アロエが何か言っている。
水を刺さないでほしい。
「エーデルワイスさんは一ミリも知らないけど、ネモネ様とサマンス様、す、すっごく偉い人たちだよ!?」
「ぐはぁっ!」
ショックを受けるエーデルワイスの悲鳴を受けて、リタはハッとする。
あ、危ない。もう少し遅ければ、ミィズ押し倒してしまうところだった。そんなことをしたら、まず間違いなく嫌われる。
気を取り直して、リタは訊く。
「え、えっと、そ、そうなの?」
「そうなのっ!」
えーっと……なるほど?
確かに言われてみればそう……かもしれない。帝国近衛騎士の顧問とか、大司教の代理とか、下手な貴族より立場は上かもしれない。
『実際、男爵位よりは偉いと思うぞ』
アロエが付け加えた。
貴族の爵位は平民の一般教養の一つだ。なにせ知らなければ首が飛ぶ可能性すらある。リタも例に漏れず、アロエに教えてもらっていた。
確か、男爵位といえば地位的には貴族の一番下。つまり、サマンスとネモネはその一つ上、伯爵程度の地位はあるのだろう。
「いえ、ミィズ様に比べれば、我々など俗物も同じ。気にする必要はございません」
ネモネが言った。
「ぞ、俗物って……」
「事実でございます! 聖魔術第七域。ミィズ様の持つ才能は、神が我ら人類をお見捨てになっていない証明でございます! いわば神の御使いであるミィズ様と比べれば、我々など俗物以外の何物でありましょうっっ!!」
ネモネは恍惚とした表情を浮かべて、捲し立てた。一言一句に熱がこもっているかのような熱弁だ。何の疑いも迷いもなかった。正直言って怖いくらいだ。
こういう場でもなければ、お近づきになりたくない人かもしれない。
『お前も大概だがな』
(え? わ、私は普通だよ?)
どこにでもいる、薬師ギルドでバイトする一般市民だ。ネモネの若さ―――多分25、6程度だろう―――で、大司教代理にまで上り詰めている女性と比べれば平凡もいいところだろう。【無能】な分、それ以下とさえ言える。
「ネモネ殿、自分を下げるのはそこまでにしておくのがいいだろう。聖女様が引いておられる」
「い、いえ、私は……いろいろな考えがあるんだなって、勉強になります、はい」
ミィズはそう口では言うものの、ネモネから距離を取るように身体を引いていた。
サマンスが「んん」と喉を鳴らす。
「それより、もっと建設的な話をしましょう。今後の予定についてです」
「サマンス様……そうですね。私としたことが、つい興奮してしまいました。ミィズ様、申し訳ございません」
軽く頭を下げるネモネに、ミィズは体の前で両手を左右に振った。
「き、気にしていませんから」
「寛大なお心に感謝いたします。それで、今後についてですが……エーデルワイス様、お願いします」
「はいっス! 馬車の中で頑張って作ったんスよ~!」
そういいながら、エーデルワイスは一枚の紙と本を取り出し、ミィズ達に向けて机の上に置いた。
見てみると、紙には今後一か月のスケジュールが書かれていた。丁寧なイラスト付きのもので文字も簡単なものが使われており、非常にわかりやすくなっている。
ちなみに、本の方は【宮廷作法】というタイトルだった。
「わあ、エーデルワイスさん、すごく絵が上手いんですね。それに、とっても丁寧ですし!」
ミィズが驚いた様子で、その視線をエーデルワイスと紙の間を行き来させた。
「ありがとうっス! サマンスさんとネモネさんは口頭でいいっていうんスけど、やっぱこういうのって、忘れがちっスからね!」
こほん、とわざとらしく咳をして、エーデルワイスは続ける。
「明日ここを発つ予定なので、聖女様方には、今日のうちに荷物をまとめてほしいっス。……ああ、食料は自分達の方で用意するので、気にしないで大丈夫っス。一応、自分、料理もできるんで!」
エーデルワイスがぐっと親指を立てた。
「エーデルワイス様、余計なことは言わないでください」
「まあいいじゃないですか、ネモネ殿。実際、エーデルワイスの料理の腕は見事な物です。旅先であれほどの物が食べられるのは、めったにないことですよ」
「サマンスさんは俺の料理目当てで、直属の部下にしてるくらいっスからね!」
「…………」
「え、そこは否定するところっスよ……え? あれ?」
顔を背けるサマンスに、エーデルワイスは困惑顔を向ける。まるで置いてきぼりにされる犬のようだ。隣を見れば、ミィズが小さく笑いを堪えていた。
「あ、あの、私も、ついていくん、ですか?」
ここまでほとんど空気だったリタが訊く。正直、流れのままに一週間もの間ここに滞在し、この場にいるのだ。ミィズと一緒にいれるなら何でもいいと適当なことを考えていたが、この際、はっきりさせておきたい。
「ええと、確か貴女は、聖女様の姉君の……」
「先程、ここの領主様が言っていたじゃないですか。リタ殿ですよ、ネモネ殿」
「ああ、そう、そうでした」
サマンスに言われて、ネモネはポンっと両手を合わせるように叩いた。
「一応、今回の旅にはご同行していただきます。聖女様の身内ということで、良からぬことを考える者もいるかもしれませんから」
「そうだな。リタ殿にはたいへん申し訳ないが、これは貴女の身を守るためでもある。今回は一時的なものだが、近く、帝都で暮らしてもらうことになるだろう」
「じゃ、じゃあ、あの、お家とかは……」
「確か、二階建ての借家だったかな。おそらく引き払ってもらうことになるだろうな……ああ、リタ殿の働く薬師ギルドには、諸々の事情は通達がいっているはずなので安心してほしい」
「はあ……」
リタはよくわからないまま、首を傾げる。教えてもないのに、家のこととか、バイトのこととか、なぜ知っているのだろうか。
『さっきチラッと言っていたが、領主に聞いてるんだろ。住民名簿とかな』
「あ、そっか」
アロエの説明に、納得するリタ。それをみたサマンスは「理解が早くて助かる」と頷いた。
「ところで」ネモネは目を細めながら、リタを見て真顔で言う。「帝都に着いた後に、『ミィズ様のみ』皇帝陛下への謁見がございます。リタ様にはこちらから連絡するまで待機していただきますが、よろしいですね?」
「えーっと……」
リタは一拍置いて考える。
それはつまり、謁見の間はミィズと別れなければいけないということだろう。学校などの慣れた場所ならまだしも、帝都は完全なアウェーである。流石に、ミィズを一人にするのは心配だった。
(アロエ。その時はミィズのこと、お願いできる?)
『それはいいが、また勝手するなよ』
(わ、わかってるよ)
流石に、あれほどこっぴどく怒られたのだ。反省もしている。
ともあれ、アロエが一緒ならミィズも安心だろう。念話なら距離に関係なく会話できるし、他人から見えないだけで、触ろうと思えば物にも触れるのだ。
なにより、リタほどではないが魔法だってそれなりに使える。いざとなったら、逃げるくらいは出来るだろう。
「あ、えっと、はい、わ、わかりました」
リタは小さく頷く。
「……よろしい。それから、個人的に少し話があるので、後で私の部屋まで来てください」
ネモネそれだけ言うと、リタから視線を外し再びミィズに笑顔を向ける。
「はぁ」
なんだかおざなりにされている感じもするが、今回の主役はミィズなのだ。そんなものだろう。
『ネモネってやつに、結構露骨に嫌われてるけどな、お前』
ぼそりと、アロエが何か呟いた。
(え? 何て?)
『なんでもねえよ』
横目にアロエを見てみるが、いつも通り腕を組んで仏頂面を浮かべているだけだった。気のせいかと、リタはネモネへと向き直る。
ネモネが言う。
「簡単ではありましたが、これで打ち合わせは以上となります。これから、ミィズ様の身の回りのお世話は私が担当いたしますので、雑事は私にお任せください。とりあえずは、旅の準備のお手伝いをさせていただきますね」
「…………」
にこりと笑うネモネを見ながら、リタは思う。
―――それにしてもこの人、すごくいい人だなぁ。
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