2節(ちょっと長め)

『リタのばっかやろおおおお!!!』


 明朝、ベッドの上で蹲る紅眼の少女―――リタの耳に金切り声が突き刺さった。


『そういうことするなって、何度も聞かせただろうが! 俺様がちょっと目を離したら直ぐこれだ! お前はいい加減、我慢するってことを覚えた方がいい! つーか覚えろ!!!!』

「ご、ごめんなさいぃ……」


 リタは謝りながら頭を守るように抱えると、腰まで伸びた自らの銀髪の隙間から、恐る恐る『彼』を上目に盗み見る。

 目の下の隈のある、不健康そうな黒髪黒目の少年がこちらを見下ろしている。11、12歳程度にも見えるが、全身をぼろぼろな黒のローブで覆う姿は不気味そのものだ。

 少年は目尻を吊り上げて、大きく息を吸うと。


『ほんっっっっっによぉ!? 10年前から、その癖だけは絶対直らねえな!? お前の使い魔辞めたくなってきたぜ! いや、前々からやめたいとは、ずっと思っていたけれども!』

「だ、だめ……! アロエに見捨てられたら、私……」


 リタは勢いよく頭を上げて懇願する。本人は使い魔だと言い張っているが、リタにとってアロエは唯一の友人だ。物心着いた時から、寝る時もお風呂に入る時も、何をするにも一緒だったのだ。両親のいないリタにとっては、ある意味で育ての親とも言える。


 ………少年を親と呼ぶのも不思議な話だが、アロエは昔と今で、容姿が変わっていない。そのため実年齢は不明。前に聞いてみたが、「使い魔だからな」とか言っていた。


 でも、そんな見た目でも、怒ると怖いのだ。頭にツノが生えている気さえする。


『だったら、その【癇癪】を直しやがれッ! お前はもう16なんだぜ!? いい加減、大人になれよ!」

「うぅ……も、もうしないからぁ……怒るのやめてよぉ……」


 リタは再び膝を抱えて縮こまると、「うぅ……」と喉を鳴らした。


 もうやめてほしい。


 数日前、あの男は最愛の妹にぶつかり、あまつさえ謝ろうともしなかったのだ。『だから殺されて然るべきなのに』、なんで怒られなければいけないのだろう。


 そう思うものの、しかし反省はしているのだ。

 アロエの言うことはいつも正しかった。馬鹿な自分を、いつも導いてくれた。そのアロエがここまで言うのだから、後悔こそしないまでも反省くらいはする。


 だから、次はうまくやれるはずだ。

 だから―――もう怒らないでほしい。

 しかし、その願いは届かない。


『いいや、やめないね! 何度でも言うが、お前の力は異端なんだよ! せっかく生活が安定してきたってのに、今度はお尋ね者になっちまうぞ!? また冷たい地面で眠りたいのか!?」

「そ、それは……やだよぉ……っ」


 リタは涙目に答える。

 思い出されるのは、孤児時代の記憶である。食事もまともに得られず、その日を生きるのに精一杯だった。アロエがいなければ、今も苦しい生活を送っていたかもしれない。


 というのも、リタの魔法は昔の悪い魔女が使っていた魔法に酷似しているらしい。見つかれば、処刑は免れないとのことだった。

 そのため、唯一の家族である妹にも、そのことは隠している。


『ったく……で、一緒にいた女の子ってのは、殺したのか?』

「え? そ、そんな酷いこと、で、できないよ。あの子は、べ、別に、わ、わ、悪くない、もん。ちゃ、ちゃんと、森の入り口まで、送ってあげた、し」

『……そこは常識的なんだな。まあ、『あのローブ』を着てたのなら大丈夫、か?』


 ―――コンコン。

 そんなことを話していると、部屋の扉が叩かれる。それから「お姉ちゃん、入るよ?」と続いた。

 リタの返事を待つことなく、建付けの悪い扉が「ぎぃ」と音を鳴らしながら開く。


「………あ、起きてたんだ。おはよう、お姉ちゃん」

「お、おはよう、ミィズ」


 リタが扉の方を向けば、そこには天使(いもうと)がいた。

 天使―――ミィズはその天然パーマの銀髪を、長めのボブカットで切りそろえている。透き通るような銀眼を持ち、長い睫毛と純朴そうな瞳が特徴の少女だった。


「おはよう。今日も、寝言すごかったね?」


 ミィズはリタを眺めると、困ったように微笑を浮かべた。


『まあ、周りから見りゃ、ただの独り言だからな』


 アロエが言った。

 彼は幽霊(ゴースト)系の使い魔らしく、契約者であるリタにしか見ることはできないし、声も聞こえない。


 つまり、普通にアロエと会話しているつもりでも、周りからはただの変人に見られてしまうのだ。他人ならともかく、ミィズにそう思われるのは辛い。


「そ、そう? や、薬師ギルドの、ば、バイトで、つ、疲れてるのかも……」


 それらしいことを言って、誤魔化すリタ。

 薬師ギルドのバイトは低賃金だがその分簡単なもので、薬草をすり潰すだけの単純な作業を繰り返す仕事だ。

 つまり、頭は疲れないが、腕は疲れる。

 昨日も朝から夕方まで10時間はゴリゴリ、ゴリゴリとすり鉢を動かしたので、疲れているのは嘘ではない。


「そういえば、昨日も夜遅かったよね。忙しいの? やっぱり、私も何かバイトしたほうがいいよね?」

「そ、それはだめだよ……っ! ミィズは、ちゃんと学校にいって、勉強しなくちゃ」

「でもほら、学校帰りとか……」

「駄目だよっ」


 基本的に気弱なリタには珍しく、語気を強めた。

 リタは学校に通ったことがない。基礎的な知識はアロエに教えてもらったが、学校を卒業しているのといないのとでは、貰える仕事にかなり差がでてくるのだ。


 というのも、学校は卒業生に対して職業斡旋を行なってくれる。有能な人材を探している経営者(ギルドマスター)が、学校に募集をかけるのが通例となっているのだ。

 当然、学校に通っていなければ斡旋も何もない。


 ………まあそれ以前に、リタは魔法以外のことはからっきしの上、その魔法も、悪い魔女とやらのせいで人には見せられない。


 しかも駄目押しとばかりに、『帝国特有の職業事情』によって、リタは『無能』として周囲に認知されているのだ。

 そのため、低賃金でも働かざるを得ないのが辛いところだ。むしろ仕事があるだけ恵まれているほうだろう。


「わ、わかったよ……ほら、朝食できてるから、身支度整えたら降りてきてね」


 言われて、リタは改めてミィズを見やる。

 よく見ると、ミィズは学校の制服の上にエプロンをしていた。


(…………………結婚したい)


 などと俗な欲望を頭に浮かべるも、現実的にそれは難しい―――リタはミィズとの新婚生活という妄想に後ろ髪をひかれつつ、口を開く。


「わ、わかった。い、いつも、ありがとね」

「……こちらこそ。すぐきてよー?」


 ミィズは照れ臭そうに言い残すと、静かに部屋を出て行った。


『残念だぜ。俺様の凛々しい姿がお前にしか見えないのはな。見えてればミィズを口説―――』

「ロリコン。ミィズに変な気を起こしたら、殺すよ?」

『―――じゃ、冗談だよ、冗談。ほんっと、お前は冗談が通じねぇなぁ……」


 リタが睨むと、アロエは目を逸らして鳴らない口笛を吹いた。


◆◇◆


「「ごちそうさまでした」」


 リタとミィズは食事を終えると、手を合わせた。


「あ、明日は、【選定】だね」


 リタはかちゃかちゃと食器を片付けながら、言った。


【選定】とは、才能を見つけるための儀式のことだ。どのような才能があって、どの程度できるようになるのかを、魔術によって解析するのだという。


 帝国では11歳になると、【選定】を受ける義務を負う。【選定】は年に一度しかないので、明日はミィズも受けなければならない。


「………私、【選定】って嫌い」


 ミィズは、言いにくそうにしながら、リタから眼をそむけた。


「どうして?」

「いや、それは……」


 ミィズは口をパクパクと動かし、何かを言いかけてはやめる。


『察してやれよ。お前が【無能】のことで苦労してるからだろ』


 アロエの発言に、リタは「ああ」と納得する。

 同時に、気を使ってくれたことがとても嬉しかった。こんな気分が味わえるのなら、【無能】も捨てたものではない。


「わ、私なら、だ、大丈夫、だよ」

「でもっ」

「ほ、ほら。この顔の模様だって、お、おしゃれ、でしょ?」


 リタは、ミィズを安心させるために「えへへ」と不器用に笑った。

 リタの目元には、通称【無能紋】と呼ばれる模様が描かれている。選定で【無能】を言い渡された者に刻まれる証で、差別階級の紋でもある。


 なにをやるにも、一定以上の成果を得られない【無能】。そのため仕事と言えば単純作業くらいしかなく、賃金も低い。

 リタが薬師ギルドで単調なバイトをしているのも、そのせいだ。

 【無能】に回ってくる仕事など、限られている。


「っ………」


 ミィズは、今にも泣きそうな目でリタを見つめてくる。

(ああ、またそんな顔させちゃった……)

 リタはうまく誤魔化せなかったことを悔やむ。

 やっぱり、ミィズには笑っていてほしい。

 笑顔がとっても似合う子だから。


「み、ミィズは、頭がいいから、【計算術】とか、【記憶術】とか、かもね?」

『露骨すぎる話題逸らしだな』


 アロエが呆れたように言うが、今は構っている暇はない。元気づけるのに必死なのだ。


「それは…………そう、だといいなぁ。良い感じの技能があったら、今度は私がお姉ちゃんを養ってあげるよっ」


 ミィズは一拍置くと、何かを察したように笑顔を浮かべる。


「や、養うなんて、お、大げさだよ。領主様が、孤児補助金を出してくださってるんだから」


 ハノーバーを収める領主は、比較的に民衆寄りの施策を出してくれている。孤児補助金だけでなく、医療費だって申請すれば負担を減らしてくれるのだ。アロエ曰く、かなり良心的な領主らしい。


 アロエのサポートもあって、こうして子供二人が生活できるまでに至っているのだから、領主とアロエには感謝しかない。


「そうかもしれないけど、気持ちの話っ!」

「そ、そう? な、なら、期待、しちゃおっかな?」


リタは下手な冗談を口にしながら、ミィズが暗い顔を辞めてくれたことに安心する。

やっぱり、笑ってくれていた方が、姉としても嬉しい。


「……………」


 それはそれとして。

 ミィズに養われるだけの一生も、幸せなんだろうなぁ……。

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