来客

「お嬢様、お手紙が届いております」


「今は昼寝中なのです。世の中には昼寝より大事なことなどないのです」


「まあ、お嬢様の自堕落な生活ならそうでしょうね。ですがお嬢様を除くほとんどの者は、そうではないのですよ。さっさと起きなさい」


「昼寝をするのです」


 ゴロン! ドン!


 何かが引っ張られる音と共に、白い寝間着を着た少女が床に転がり落ちた。少女の麻色の髪が床に広がる。


「お、おのれセドリック! 昼寝の邪魔をしただけでなく、私を床に落としたのです。昼寝の邪魔をするのは重罪なのです。く、首なのです。すぐにここを出て行くのです!」


 少女は水色の目を大きく見開くと、自分をベッドから突き落とした執事を睨みつけた。


「そんなことより、これで十分に目が冷めたでしょう。さっさと手紙を読みなさい。何処かのガキと違って、私はとても忙しい身なのですよ」


「お前が読めばいいのです。どうせすでに読んでいるのです」


「お嬢様と違って、そんな事はしません。それに国王からの手紙ですよ」


 そう言うと、セドリックは床から上半身を起こして、ぺったんこ座りをしている少女に、一通の封書をひらひらと振ってみせた。


 そこには王家の紋章で、でかでかと封がされている。それを見た少女が鼻白んだ顔をした。


「どうせろくな事を書いていないのです。なので捨てておくのです。全て無かったことにすればいいのです」


「配達人以下の首が飛びますけど、いいのですか?」


 セドリックの言葉に、少女は諦めた様に肩をすくめて見せた。


「わ、分かったのです。読むのです。誰かの首が飛ぶと、寝付きによくないのです」


 少女は乱暴に封を破ると、中の便せんを取り出した。


「な、なななな!」


 便箋に目を通した少女の口から、驚きの声が漏れる。


「あなたと婚約したいとか言う、物好きな貴族でも現れましたか?」


 だが少女はセドリックの嫌みに反応することなく、便せんを見つめながらわなわなと震えている。


「どうかしましたか?」


 セドリックの呼びかけに、少女はやっと顔を上げた。


「客が、客が来るのです!」


「客? お嬢様にですか?」


「とっても嫌な客が来るのです。セドリック、荷物をまとめるのです。客が来る前にここから逃げるのです!」


 セドリックは少女の手から便せんを取り上げると、それに目を通した。


「なるほど。向こうも考えましたね。どうやらその客は、間もなくここに到着されるようです」


 そう告げると、便箋を丸めてゴミ箱へと投げ捨てた。


「アイネス!」


 セドリックの声に、寝室のドアを小さく叩く音が響く。


「セドリック様、お呼びでしょうか?」


「どうやら客が来るようです。お嬢様のお召し替えを」


 そう告げると、セドリックは少女に頭を下げた。


「私も来客の準備をさせて頂きます」


「セ、セドリック、そんなものはいらないのです。すぐに、すぐにここから逃げるのです!」


 バタン!


 少女の呼びかけを無視して扉が閉まる。


「お嬢様、お召し替えを」


 アイネスの言葉に、少女は大きなため息をつくと、小さく頷いて見せた。





 何年も使う事なく埃だらけだった謁見の間は、セドリック以下によってきれいに掃除をされていた。その一段高くなった場所へ置かれた椅子に、少女がいかにも不機嫌そうな、そして嫌そうな顔をして座っている。


 それにいつもの白いワンピースではなく、黒いドレス姿だ。屋敷の使用人達がその姿を心配そうに見つめていた。


「お客様をお連れ致しました」


 セドリックの声が響き、二人の人物が謁見の間へと進み出た。それはまだ若い男性と女性の二人だ。


 男性は華美ではあるが、実用性を保っている銀と黄金色の鎧を着ていた。その上に深い紺色のマントも羽織っている。女性は一見すると質素だが、高級な絹で仕立てられた神官服を纏っていた。


 二人が少女の前に進み出て膝をつく。


「お初にお目に掛かります。イゾルダ十三世陛下より、第36代目の勇者に任命していただきました、マークスと申します」


「同じく、イゾルダ十三世陛下より、代36第目の聖女に任命していただきました、アンネと申します」


「本日は公爵閣下に拝謁の栄誉を賜りまして、恐悦至極に存じます」


 二人は同時に告げると、少女に向かって頭を垂れた。


「お二人に会えてとてもうれしく思うのです。その格好では話づらいので頭を上げるのです」


 そう言うと、少女は続きの間に置かれた来客用の食卓を指さした。


「食事をしながら話しをするのです」


 そちらも掃除がされたらしく、蜘蛛の巣だらけだったシャンデリアも本来の金色の輝きを取り戻している。


 セドリックが二人を食卓の方へ案内すると、少女は椅子から立ち上がった。アイネスが背後に続いて、長いドレスの裾を持ち上げる。


 少女が卓の端に座ると、セドリックは手にした食前酒を二人のグラスに注いだ。そして少女のグラスへも僅かに垂らす。


「先ずは乾杯をするのです」


 少女は二人に向かって、少し緊張した顔でグラスを掲げて見せた。


「本日の出会いに乾杯なのです」


 皆がグラスの中身を飲み干す。だが少女は盛大にむせると、涙目になりながらナプキンで口の周りを拭いた。


 その姿に、アンネと名乗った女性が、手を口に当てて小さく含み笑いを漏らした。


「国王陛下から驚くとは言われていましたが、こんなにかわいらしい方だとは思っていませんでした」


「アンネ!」


 向かい側に座ったマークスと名乗った青年が、少したしなめるようにアンネに声を掛けた。だがその顔にもアンネと同じく、苦笑を浮かべている。


「かわいいのですか?」


「ええ、とってもかわいらしく思います。それにこんなに質素に暮らしていらっしゃるとは思いませんでした」


「質素? 私にはこれで十分なのです」


「お食事をお持ち致しました」


 料理人のマルセルが、銀の台の上に大きな皿を乗せて部屋へと入ってきた。部屋の中に香辛料が効いたとてもいい香りが広がる。それをセドリックとアイネスが、それぞれの席の前へと運んだ。


「おおお、泥蟹のソテーなのです!」


 少女の口から感嘆の声が上がる。


「はい。氷室で保存してあったのを、お出しさせていただきました」


「これはとっても美味しいのです。熱いうちに食べるのです」


 少女は手で蟹の足を持つと、それをちぎって口へと持って行く。そしてその身をすすると、口の端からソースが垂れるのも顧みずにんまりと笑った。


 その顔をマルセルを始めとした使用人たちが、とてもうれしそうな顔をして見つめる。だが少女は反対側の足に手をやろうとして、その手を止めた。


「食べないのですか? とっても美味しいのです」


「大変申し訳ございません。私達は道中長く馬の背に揺られていたせいか、胃の調子がよくないようです」


 アンネが済ました顔のまま頭を下げた。


「そうなのですか、それはとても残念なのです」


「それにこちらまで来るのに、思ったよりも時間がかかってしまいました。儀礼的なものではありますが、私達の公務を先に終わらせて頂けると助かります」


「そうですか? 分かったのです。お前達の仕事を先に終わらせるのです」


 そう言うと少女は立ち上がって、マークスの方までゆっくりと歩み寄った。




 バタン!


 扉のしまる音がした。鎧の立てるガチャガチャという音も、すぐに聞こえなくなる。それを確認すると、謁見の間の椅子に座っていた少女が立ち上がった。


「マルセル」


「はい、お嬢様」


「蟹は全員分を後で私が食べるのです。だから捨てたりはしないのです。これはとっても、とっても美味しいのです。私の大好物なのです」


「はい。お嬢様」


「セドリック」


「はい」


「少し疲れたので昼寝をするのです。今度起こしに来たら、絶対に許さないのです」


「あなたにしては頑張りました。ゆっくりと休みなさい」


「寝て、腹をへらして、蟹を食べるのです」


 そう告げると、少女は謁見の間を後にする。部屋の中には、使用人たちのすすり泣く声だけが残された。





「人の振りをしているとは聞いて居たけど、なんか拍子抜けね」


 アンネがくつわを並べるマークスに声を掛けた。


「皆が口はばかっているから、もっとすごい奴だと思っていたのに……」


「そうだな。お前が仕掛けていた魔法詠唱の準備すら、気がついていなかったんじゃないのか?」


「あなたの剣もね」


「そうだな。いっそ本当に切ってしまった方が、良かったかもしれない。そうすれば歴史に名が永遠に残る」


「今から戻ってそうする?」


 アンネはマークスに唇の端を上げて見せた。


「そうだな。それもありだな」


 アンネの言葉に、マークスは笑みを浮かべながら背後を振り返った。城の姿は小さくなっているが、戻るだけなら大したことはない。


 しかしマークスは背後を振り返ったまま、固まったように動かなくなった。それを不振に思ったアンネも、轡を返して背後を振り返る。そこでマークスと同様に凍りついた。


 二人の背後には、執事服を着た男が一人立っている。その姿は執事として一部の隙もない。だが二人がそこに見たのは、執事とは別の何かだ。


「あ-、君達は何代目だったかな? 色々とあってね、誰が誰かはよく覚えていないんだ」


 執事の口から言葉が漏れた。マークスは何かを答えようとしたが、言葉が喉を出て行かない。そして剣を掴もうとしている手は、まるで強風の下の葉っぱの様に震えている。隣のアンネの持つ杖も同じだった。


 カタカタカタ


 マークスの耳に、何かが小さくぶつかり合う音も聞こえてくる。それは二人の歯が小刻みにぶつかる音だった。


「君達を見て、王家が何でいきなり送り込んできたのか、その理由がよく分かったよ。たまにあるね。力だけを基準に選抜すると、間違って君達の様な人物が選ばれてしまう。己が信じるちっぽけな力だけを頼りにする、何の客観性も謙虚さも持ち合わせていない人物がね」


 そこでセドリックは大きくため息をついて見せた。


「首にして、選び直せばいいだけなのだが、こちらに始末させようと思ったのだろうな。素直に送り返して、連中が慌てるのも一興だと思ったのだが……、君達は少し酷すぎる」


 マークスとアンネの口から漏れる、カタカタと言う音が一層大きくなる。二人は手綱を動かそうと、そしてそこから逃げようとしているのだが、その手はただ震え続けるだけで、何も動こうとはしない。


「酷すぎて、私が手をかける価値すらない」


 セドリックは口元に手をやると、小さく口笛を吹いた。次の瞬間、巨大な白い毛玉がとんでもない速度で駆けて来る。それを見た馬たちは棒立ちになると、マークスとアンネを振り落として逃げていった。


 地面に投げ出された二人は、その白い毛玉の中から黄色い目が光るのを、そこから鋭い歯が何本も並んだ真っ赤な口が突き出されるのを、呆然と見つめ続ける。


「モフモフ、お前の好物だ。食べていいぞ。だがゆっくりと味わって食え」


「モフモフ、待つのです。それはだめなのです」


 不意に幼い声が聞こえた。


「お嬢様?」


 白い寝間着を着た少女が、毛玉の背後から姿を現す。


「セドリック、お前がそれを命じたら、お前もその者達と同じなのです。それはだめなのです」


「ですが、お嬢様……」


「お前の主人は私なのです。私の言うことを聞くのです。それにお前達、謙虚さと言うのは、それを受け入れる心さえあれば、いつでも持てるものなのです。いつ持っても、決して遅くはないのです」


 そう言うと、少女は二人に向かってにっこりと微笑んで見せた。


「それよりも走ったから暑いのです。とっても暑いのです。さっさと戻って、先ずはかき氷を食べるのです。そして蟹です」


「かき氷ですか? 氷室の氷はもうないですよ」


「ななな、なんなのです。緊急事態なのです!」


「氷室に忍び込んで、勝手にシャーベットを食べたでしょう。扉を閉めるのを忘れたからですよ。中の氷が全部溶けて大騒ぎです」


「ちょっと待つのです。今日の泥蟹の大盤振る舞いは……」


「そうですよ。持たないからマルセルがあるだけ出してきたんです」


「せ、セドリック、大変なのです。お前の魔力を使うのです。元賢者のお前なら、氷ぐらい簡単に作れるのです!」


「そうですな。誰かの魂を使えばいくらでも作れますが……」


 そう告げると、セドリックは地面に這いつくばっている二人をちらりと見た。少女が全力で首を横に振る。


「い、いらないのです。絶対にいらないのです。しばらくは庭の野菜だけでも、文句は言わないのです」


「その方が、お嬢様のぶよぶよのお腹にもいいかもしれませんね」


「セドリック、お前はとっても失礼なのです。やっぱり首なのです。私の目に入らないどこかに行くのです!」


「そんなことより、腕はいいのですか?」


 セドリックは、少女のぶらぶらと風に揺れる右の袖を指さした。少女の体からそこにあるはずの腕が失われている。だが少女は初めてそれに気が付いたみたいに右袖に目を向けると、首を横に振って見せた。


「腕などどうでもいいのです。そのうち勝手に生えて来るのです」


「あなたのぷよぷよの体ならそうでしょうね。それに早く帰らないと、みんなが心配しますよ」


「そ、そうなのです。さっさと帰るのです。私には心配してくれる者達がいるのです。それが一番大事なのです」


 マークスとアンネは、白い毛玉を引き連れながら、遠くへと去って行く人影をただ呆然と見つめた。


「あ、あれが魔王」

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