手料理
「これもそろそろ収穫時期ですかね……」
この屋敷の料理長であるマルセルは、裏庭の洗濯干場の先にある小さな菜園で、独り言をついた。そこには色とりどりの夏野菜達が収穫を待つ姿がある。
まだ朝の内だと言うのに、陽炎が立つのではないかと思うほどの暑さだ。流れる汗をぬぐいながら、マルセルは葉の陰にある茄子の出来具合を確認した。ナスの横にある、もっと細身で小ぶりの赤い房達にも目をやる。
「こちらもだいぶ真っ赤になりましたね。セドリックさんが喜びます」
マルセルは畑仕事用の手袋をつけた手で、優しくその小さな房を撫でた。その横にあるもう少し丸く膨らんでいる赤い房に手を伸ばそうとして、慌ててひっこめる。
「危ない、危ない。こんな手袋ぐらいでは――」
手をひっこめたマルセルは畑に掛かった影に、背後に誰かが居るのに気が付いた。
「マルセル、それは何なのです?」
その声に、マルセルは背後を振り返った。
「お嬢様?」
そこには夏の青空を背景に、白いワンピースを着て麦わら帽子をかぶった少女が、その可憐な姿に似合わない舌を出したダレた態度で立っている。
「こんなに早くから外に出られるとは珍しいですね」
「朝から暑くて、とても寝ていられないのです。それにあの嫌み男がいると、この暑さ以上にうっとうしいので、さっさと逃げてきたのです。」
「アイネスはどちらに?」
「置いて来たのです。最近はアイネスもとってもうるさいのです。あの嫌み男から、何か悪い物をうつされたに違いないのです」
「ハハハ」
マルセルは少女の拗ねた表情に、思わず苦笑を漏らした。辺りを見回すと確かに執事のセドリックの姿も、侍女のアイネスの姿もない。今頃侍女のアイネスは、少女の姿を探して、屋敷の中を駆け回っていることだろう。
しかしこう暑くても、たまに日の光に当たることは悪いことではない。
「とっても暑いのに、色々と育っているのです」
少女はその小さな菜園を感心したように眺めた。麦わら帽子を片手に菜園を見渡す姿は、普通の少女そのものに見える。
「水をたっぷりとやらないといけない野菜もありますし、日陰を作ってやらないといけない者もいますが、みんな日の光が大好きな者たちですから」
「恐ろしい存在なのです。こんな暑いところにいたら、普通は黒焦げになるのです」
「お嬢様、お日様は元気の元ですよ」
「人の朝寝の邪魔をする太陽とは、一度話をつけないといけないのです」
マルセルの言葉に、少女が首を横に振って見せた。まだ櫛を入れていないのか、ぼさぼさの麻色の髪がそれに合わせて大きく揺れる。だが何かに視線を止めると、今度は興味深そうに首をかしげて見せた。
「マルセル、その赤くて細長いのはなんなのです?」
マルセルがその視線の先に目を向けると、そこには小さな葉を持つ背の低い木があり、細長い赤い房をいっぱいにつけている。
「唐辛子です」
「唐辛子?」
「はい。少し乾燥させて細く切ったものを入れますと、料理に辛みと香りをつけられます」
「辛い物は大っ嫌いなのです」
少女がマルセルにふくれっ面をして見せる。
「お嬢様はまだ小さいからそうでしょうが、大人になると、この辛さが好きというか、癖になる方も多いのです」
「辛いのが好きになるなど、おかしいのです」
「セドリック様などはとても大好きで、それはたくさん入れられます」
「セドリックはやっぱりおかしいのです。おかしいのは嫌みだけではなかったのです。うん!?」
不意に少女の目が好奇心に輝く。
「なんですか?」
「その端にある、もう少し丸いやつも唐辛子なのですか? あの嫌み男に近い邪悪さを感じるのです。見ただけで目が、目が痛い気がするのです」
少女が指さした先には、隣にある赤子の小指の様な形をした真っ赤な房とは、形も色も違う房があった。その赤は真っ赤と言うより、それ自体が赤黒い光を放っており、隣の房とは明らかに格が違う邪悪さに満ちている。
「実はよく分かりません。こちらも唐辛子の一種だとは思うのですが、もらった苗に何か別の種類のものが混じっていたようで、普通のものとは違うようです。」
マルセルはそう告げると、前へ進もうとした少女の先へ腕を伸ばした。
「こちらは辛すぎて、とても食べられるようなものではありません。それどころか不用意に触れると、肌が火傷したみたいになります。少し危険ですが、虫よけになっているみたいなので、そのまま植えております」
「虫すらも寄ってこないのですね。それはいいことを聞いたのです。うるさい虫に使えるのです。フフフ、マルセル!」
「はい、お嬢様。なんでしょうか?」
含み笑いとはとても言えない、不気味な笑い声を漏らす少女にマルセルが答えた。緊張の為か、思わず口ひげを土で汚れた手で撫でてしまう。
「ククク、とっても、とってもいいことを思いついたのです。辛いものが大好きならば、セドリックのご飯に、このやばそうなやつを一杯入れてあげるのです。きっととっても喜ぶのです」
「お嬢様、これは人が食べるようなものではございません。いくらセドリック様でも――」
「決めたのです。私があの嫌味男に料理を作ってやるのです。そうすればあの嫌味男も、私には逆らってはいけないことを理解するのです!」
「え、ええぇぇぇ――――!」
マルセルの口から上がった絶叫が、小さな菜園に大きく響き渡った。
換気用のダクト以外の戸を閉め切っている厨房は薄暗かった。そこにある竈では薪で盛大に火がたかれており、燃え盛る炎の黄色い光が、厨房にいる二人の人物を照らし出している。
一人は白い料理服に料理帽を被った四角い顔の人物で、口元に髭を蓄えていた。そして閉め切られた部屋の暑さだけが理由とは思えない、尋常でない量の汗を搔いている。それだけではない。その眼元からはとめどなく涙も流れている。
もう一人の人物はとても小柄に見えた。しかしその姿は異様としか言えない。体中をリネンのシーツでぐるぐる巻きにしており、顔には鍛冶屋が使う、火花除けのゴーグルみたいなものまで着けている。
それは流行り病で死んだ遺体が墓場から抜け出してきて、さらにどこかの鍛冶屋から仕事道具を奪ってきたかに見えた。両手には肉を切るときに使う、大きめの包丁まで握られている。
そして竈の上には、天井からつるされた底の深い鍋が置かれていて、その中では真っ赤な血の池を思わせる液体が、ブクブクと泡をたてていた。
「マルセル、やるのです……」
「お、お嬢様、本当にやるのですか? 既に普通の唐辛子だけでも、ありえない量が入っていますが!?」
「フフフ、あの嫌味男に思い知らせるには足りないのです。やはりこれが必要なのです」
二人の前には銀杏の木で出来た大きなまな板があり、その上に、それ自体が赤黒い光を放っているとしか思えない、親指ほどの房がいくつか置いてある。
「アチョオォォォ――――――!」
少女は謎の奇声と共に、まな板の上へ両手に持った包丁を振り下ろした。
ダンダンダンダン!
包丁がまな板を叩く音が連続する。その姿は何かを切ると言うより、何かに切りかかっていると言う感じだ。不意にその手が止まった。
「ゲホゲホゲホゲホゲホ!」
少女の口から盛大に咳が上がる。
「お、お嬢様!」
マルセルの視線の先、まな板の上からは何やら赤黒い煙が上がっている様に思える。それだけではない。体中の毛が逆立つような感触もした。
「マルセル! 限界なのです。早く、早くあれを鍋へ入れるのです!」
マルセルは肘まで手袋をした手で、まな板を鍋の上へ掲げると、間髪入れずに邪悪な何かを流し込んだ。
「密封します!」
マルセルは鎖を巻き上げて鍋に蓋をした。すぐに扉を開けて、厨房に風を入れる。何かの臭気というより、狂気が厨房から吹き払われていった。だがその元凶は未だ鍋の中だ。
「で、できたのです。初めて料理を作ったのです! あの嫌味男に食べさせる、激辛ポトフが完成したのです! ゲホゲホゲホゲホゲホ!」
「何事だ!」
厨房の外では、この異様な臭気に気づいた人々の悲鳴が聞こえてくる。マルセルは鍋を見ながら、神が封印したという、決して開けてはいけない櫃の事を思い出していた。
「セドリック、待っていたのです。ゲホゲホゲホ――」
少女が待つ食堂に入って来るや否や、セドリックは少女に大きくため息をついて見せた。
「ダンスの稽古をさぼっておきながら、私を呼びつけるなんてのは100年、いや500年は早いですよ。それに夏風邪でもひきましたか? やっぱりあなたは愚か者なのですね」
「主人に向かってなんて口の利き方なのです。今すぐ首――。今日は特別に、特別に許してやるのです」
「それにこの刺激的な香りは何ですか? マルセルが倒れて、誰かが間違ったレシピで料理でもしましたか?」
「マルセルは倒れていないのです。私がお前に特別な料理を作ってやったのです。それを食べるのです」
「嫌ですな」
セドリックは両手を上げて、いかにも嫌そうな態度をして見せる。
「な、なんなのです。主人の命令が聞けないのですか!?」
「当たり前です。あなたが作った料理など、ろくでもない物に決まっています」
「ちょっと待つのです!」
「それはこっちの台詞ですよ。それに偶然ですね。今日のダンスの練習をさぼったので、そのねじ曲がった性根を治す為に、あなたにも特別な料理を食べていただこうと、こちらも準備をしていたところです」
「な、なんなのです。その特別な料理というのは!? 絶対に、絶対に食べないのです!」
「ならばこうしましょう。私がその料理を食べたら、お嬢様にも私の作った料理を食べてもらいます」
その台詞を聞いた少女が、セドリックに向かって、ニヤリと不気味な笑みを浮かべて見せた。
「フフフ、分かったのです。ただしお前が全部食べたら私の番なのです!」
「いいでしょう。マルセル、廊下にいるのだろう。入り給え」
「なんでお前が言うのです。それは私が言うつもりだったのです!」
「し、失礼します」
銀の台に鍋をそのまま載せて、マルセルが部屋の中に入ってきた。その顔は悪い流行り病に罹ったみたいに赤黒く見え、滝の様な汗を流している。
「ところで料理は何かね?」
「は、はい。基本的にはポトフですが、辛めの味付けのものをご用意しました」
「このガキが作ったのでしょうか?」
「いえ、基本的には私の方で料理させていただきました。最後の辛みの調整だけ、お嬢様にお願いした次第です」
「なるほど。ならば食べられないようなものが入っている訳ではないのですね。美味しく頂けそうです」
セドリックは食堂の長テーブルへ座ると、アイネスからナプキンを受け取った。少女がニコニコした顔で主人席に座る。
「よく味わって食べるのです」
マルセルがとてつもなく緊張した面持ちで、台に乗せた鍋をセドリックの席まで持っていく。
「配膳を――」
「アイネスは下がっていなさい」
控えていたアイネスがマルセルのところへ駆け寄ろうとしたのを、マルセルはいつもとは違う少し強い口調で制した。そして鍋の蓋を慎重に開ける。マルセルが蓋を開けて、皿の上に地獄の池の如くに真っ赤な液体を注いだ瞬間だった。
「ゲホゲホゲホ」「な、涙が、涙がとまりません!」
部屋の中にいた者から叫び声があがった。
アイネスが口元をハンカチで抑えながら、慌てて部屋の窓を全開にする。だが当のセドリックの表情は全く変わらない。
「流石はマルセルさん。ガキが関わったにしても、中々美味しそうなポトフですな」
「ゲ、ゲホゲホ。ちょっと待つのです。負け惜しみを言わないのです」
「あなたの様なガキには、まだこの味の深みは分からないでしょうね。この香りは悪魔の目だけが持つ特別なものです。その大きさの黄金分の価値があると言われる香辛料ですよ。では早速頂くとしましょう」
セドリックは時折、「キャベツの甘みがよく引き立っていますね」とか、「取れたてのナスが絶品です」などの感想を口にしながら、普通にポトフを食べていく。
その顔は汗一つ浮かべることなく涼しげだ。周りにいる者たちの方が、余程に大汗を掻いている。そして最後の汁をパンで拭って口に入れると、その皿は使う前の如くきれいに空になった。
「せ、セドリック。お前の口はやっぱりおかしいのです。嫌味だけではないのです。味覚も間違いなくおかしいのです」
「甘いものしか食べようとしない我儘なガキが、何を言っているんですか? もっと野菜も食べるべきです。なので私の方で、そのぷよぷよなお腹にいいものを用意しました」
「今日はおなかが痛くなってきたのです。野菜を食べるのはまた別の日にするのです」
セドリックは必死に首を横に振る少女を無視すると、片手を上げて指をパンと鳴らして見せた。その音に合わせて、アイネスが銀の台を食卓の方まで運んでくる。
「野菜だけでは食べられないでしょうから、お嬢様にはピーマンの肉詰めを用意しました」
そう告げると、セドリックは銀の盆にのっている蓋を開けた。そこには真っ赤というより、赤黒い何かが白い皿に並んでおり、先ほどの臭気と全く同じものが、皿の上から漂ってくる。
「ゲ、ゲホゲホ。ちょっと待つのです。ピーマンも大っ嫌いだけど、こ、これは決してピーマンではないのです。例のやばい奴なのです!」
「大して違いません。愉快な仲間たちです。そもそもお嬢様が悪魔の目を使って、私に何かをしようというのは、後1000年は早い話ですよ」
「な、ななな。何が愉快な仲間たちなのです。決して愉快などではないのです」
そこで少女がハッとした顔になった。
「ちょっと待つのです。お前がこれが何かを知っているということは、これを植えたのは――」
「お嬢様の雀並みの頭にしてはよく考えましたね。ご名答です。アイネス、お嬢様が食べやすいようにして差し上げなさい」
「はい、セドリック様」
アイネスがナプキンで、少女の手を椅子の肘掛けへ縛りつける。
「アイネス、や、やめるのです。これはちょっとしゃれにならないのです。それにセドリック、今すぐ、速攻で首、首なのです!」
「約束通り、全部食べてもらいますからね。ではいきますよ」
「セドリック、鼻を、鼻をつままないのです!」
「せ、セドリック……。ギャーーーー! 口の中が火事なのです。も、燃えているのです!」
「お嬢様、お水を!」
「アイネス、それよりも私を助けるのです!」
「お嬢様、申し訳ございません。セドリック様のご指示に逆らう訳には……」
「まだ一個ですよ。まだまだありますからね。良く味わって食べて下さい」
「も、もう料理は、料理は絶対にしないのです~~~~~~!」
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