散歩
「何でお前がついてくるのです。気分が悪くなるから、ついて来なくていいのです」
そう告げると、少女はその丸顔をさらに丸く膨らませた。
「それにお前につきまとわれると、死んだ方がましな気分になるのです」
「私だってこんなくそ暑い日に、散歩なんて愚かなことはしたくないのですがね」
セドリックは後ろを歩く少女に、大きくため息をついて見せた。
「生まれたての子犬以下の知能しかない者が、森の中をうろうろするとろくな事にならないので、仕方なく一緒に来ているのです」
「丁度よかったのです。いやなら首にしてやるのです。すぐにここから立ち去るのです」
「誰が誰を首にするのです。そんな台詞はあと300年は早いですな」
「そもそもお前がいて、鬱陶しいから散歩に来ているのです。お前がついてくると、散歩の意味がないのです」
「そうですかね。お嬢様に関して言えば、散歩に意味はありますな。そのぶよぶよのお腹は、少しぐらい運動して、引っ込めた方がよくないですか? 実に目障りです」
「め、目障り! 目障りはお前なのです。やはり首、首なのです」
「ニャー」
「ちょっと待つのです。セドリック、お前はいつから猫みたいな声を出すようになったのです」
「ここは御領地の狩り場ですから、何かの獣の鳴き声ではないですか?」
「け、獣!」
「まあ、お嬢様一人なら、すぐに何かの餌でしょうな。そのぶよぶよしたおなかも、獣にとっては魅力的かもしれません」
セドリックの言葉に、少女が怯えたような表情をすると、その水色の目で必死に当たりを見回した。
「お、脅かすのではないのです。こ、ここは昔から散歩に来ているのです」
「そうでしょうね。山ほど護衛を連れて来ていたでしょうね」
その台詞に少女が歩みを止めた。
「そ、そうなのです。護衛をつれてくるのを忘れていたのです。お前一人より、100人の護衛の方が、よほどに鬱陶しくないのです。どうして今日はお前だけなのです!」
「何を言っているのです。当家にそんな無駄な予算などありません。お嬢様の相手ぐらいは私一人で十分です。いや、もったいないぐらいですよ。地面に頭を擦りつけて、私に感謝しなさい」
「ニャー!」
猫のような鳴き声が、再び草むらの向こうから聞こえてくる。
「やっぱり何かいるのです!」
少女の口から怯えた声が上がった。
ブン!
さらに鈍く低い音がしたかと思ったら、二人の間にあった木の幹に、一本の矢が突き刺さった。
「セ、セドリック、獣が矢を射ってきたのです!」
少女の叫びに、セドリックはゆっくりと首を横に振って見せた。
「お嬢様、やはり貴方は愚かですね。獣は矢を打ちません。それに騒ぐと狙われますよ。まあ、死にたいのなら、そのまま騒ぎ続けなさい」
少女は慌てて口を閉じると、必死に当たりを見回した。その目の前に、藪の中から真っ白な毛玉が飛び出して来る。それを見た少女が目を輝かせた。
「モ、モフモフなのです!」
その声に反応するかのように、再びブンという音が藪の向こうから響いた。今度の矢は、少女の頭の上を通り過ぎると、背後の幹へと突き刺さる。
「ほら、本当に死んでしまいますよ」
それを見たセドリックが呆れた声を上げた。そして矢の飛んで来た方へ視線を向ける。
「ちっ、どこに逃げた!」
「それに人が居るぞ!」
「この狩り場に来るやつなどいないはずだ!」
藪の向こうからは、密猟者のものらしい声も聞こえて来た。
「や、やっぱり何かいたのです!」
「にゃ~!」
少女の声に反応して、毛玉の中から小さな顔が見えた。そこから伸びた舌が少女の顔をくすぐる。少女の小柄な体は真っ白な毛玉の中に埋もれた。
「モフモフ~~!」
少女の口から歓喜の声が上がった。周りには雨のように矢が飛んできているが、もはやそれを気にする様子もない。
「どうやらこの子が目的の様ですな」
「セドリック、モフモフは正義なのです。モフモフを、モフモフを救うのです!」
少女は毛玉から顔を上げると、セドリックに向かって叫んだ。そしてすぐに顔を毛玉の中へ埋める。
「本気ですか? ですが相手をしないと、向こうからこっちを殺しにくるでしょうから、仕方がありませんね。この件については割り増し手当を要求しますよ」
「どうでもいいから、さっさとモフモフを助けるのです」
「やはり誰かいるぞ!」
声と共に、藪の向こうからこちらに向かってくる足音も聞こえ出す。セドリックは侍従服の裾を伸ばスト、森の奥へと足を踏み入れた。
次の瞬間、森の奥から悲鳴や叫び声が上がる。だが少女の耳にそれは一切届いていないらしく、ひたすら顔を上げては、毛玉に顔を埋めるという行為を繰り返し続けていた。
「モフモフはモフモフなのです」
「お嬢様の語彙なら、それ以外の単語など出てこないでしょうね」
いつの間にか戻ってきたセドリックが、少女に肩をすくめて見せた。
「それで十分なのです。そう言えば、藪の向こうで悲鳴のようなものが聞こえたのです。何かあったのですか?」
「さあ、私の方に気がついたら逃げていきました。所詮は密猟者ですから、小心な者たちなのでしょう」
そう告げるセドリックの髪型や服には、一切の乱れはない。
「違うのです。きっとお前の嫌みがうつると思って逃げたのです。お前の嫌みもたまには役に立つのです」
「違いますね。お嬢様の頭の悪さがうつるのを恐れたのです」
「お前はやっぱり首なのです。このモフモフが今から私の執事なのです。モフモフがいれば何もいらないのです。さっさと屋敷に戻って、モフモフと遊ぶのです」
「連れて帰るつもりですか?」
「もちろんなのです。特別にモフモフを家に連れて帰るまでの間は、お前を首にしないでおいてやるのです」
「お嬢様、朝食の時間です。さっさと起きて、顔を洗ってください」
セドリックの声が少女の寝室に響いた。その声に、寝台の上から麻色のぐちゃぐちゃの髪がむくりと起き上がる。
「セドリック、うるさくて寝れないのです。それにお前は首にしたはずなのです。私の執事はモフモフなのです」
そう告げると、寝台から上体を起こした少女は、あくびをしながら大きく伸びをしてみせた。そしてうっすらと寝ぼけ
だがセドリックの背後にある、とても大きな毛玉を見つけると、その目を大きく見開いた。
「おお、我が執事のモフモフなのです。セドリック、お前は首なので、すぐに目の入らないところへとっとと行くのです」
そう言うと、寝台から飛び起きて毛玉の方へと突撃した。
「うん?」
だがすぐに怪訝そうな声をあげる。
「なんかとっても大きくなっているのです」
「ギュア~~!」
「それに声もちょっと変わってきた気がするのです」
不意に毛玉の中から顔が突き出した。その顔にある目は、何日か前に彼女が見たつぶらな丸い瞳とは違って、縦に瞳孔が開いている。それは明らかに獣、それもやばい奴という目に変わっていた。
「モフモフが呪われてしまったのです!」
「お嬢様、あなたの目と脳はやはり何の役にもたっていないようですね。これは犬歯獣、いわゆる魔獣ですよ。このぐらいから仕込むと、軍用獣として高く売れるので、密猟者が捕獲しようとしていたのです」
「ま、魔獣! モフモフは魔獣なのですか!?」
「ギュア~~」
「そうですよ。成獣になったら、この部屋の入り口からは入れなくなるぐらいの大きさになります。ちなみに好物は人間の肉です。特に好むのは子供、それも贅肉がいっぱいついた子供です」
「ギュア~~」
「ちょ、ちょっと待つのです。それはとっても危険なのです。食べられてしまうのです」
「ギュアーー、ギュアーー!」
少女の声に呼応したかのように、既に邪悪さを十分に感じさせる顔が大きく口を開いた。その口にはまるで小刀のような牙が隙間なく並んでいる。そして少女の頭の上で、その口をさらに大きく開いて見せた。
「セ、セドリック! く、食われるのです。すぐにこの口をなんとかするのです。私が食われたら、次はお前なのです!」
少女の口から悲鳴の様な声が上がった。少女の頭は、すでに半分がその口の中に入っている。
「待て!」
セドリックの言葉に魔獣の動きが止まった。そこから漏れるよだれが、だらだらと少女の麻色の髪の上に落ちている。
「お手」
魔獣はセドリックの声に反応すると、毛玉の中から前足を差し出した。不気味に輝いている爪は、ちゃんと肉球の中に折りたたまれており、そしてセドリックが出した右手に、その前足をちょんと置く。どうやら犬同様に、後ろ足で立ってもいるらしい。
「ど、どういうことなのです!」
お手をする魔獣の姿に、少女の水色の目が大きく見開かれた。
「フフフ、何を驚くことがあるのです。私はお嬢様を飼い慣らせるのですよ。この程度の魔獣の一匹や二匹、なんてことはありません」
「ちょ、ちょっと待つのです。私はお前のペットではないのです」
「似たようなもの、いやそのものですよ。なあ、モフモフ?」
「ギュア!」
魔獣がその言葉に反応するかの様に少女の方に顔を向けると、口を大きく開けた。
「あなたの新しい仲間です。遠慮無しにモフりなさい」
「も、もう十分なのです。モフモフは、もうモフモフはいらないのです〜〜!」
「ギュア~~、ギュア~~!」
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