3話

「――と言うわけだが」

「北の女角族がまた国境で暴れているらしい」

「またか、あの野蛮人どもめ!」

「幸い、辺境伯のあの見せしめが効いているらしい。前ほどの勢いはないようだ」

「確かにあれは良かったな。流石だ」

「そう言えばマルディンの商人が――」


 夜会のざわめきは新鮮な情報でできている。

 その全てが何かしら価値のあるものだ。


 ヴィクトワールは、星屑のようなダイアモンドを散らした濡羽色のドレスの裾を優雅にさばき、夜空の如し煌めきを振り撒いて会場を悠々と泳ぐように歩いていた。

 結い上げた金の髪には黒に染めた大輪の薔薇と最高級の真珠の粒を飾り、唇には真っ赤な口紅を塗っている。館で彼女の支度を手伝った少女たちはその美しさにはしゃいでいた。


 誰もがたじろぐ絢爛な美貌だった。

 彼女は――虎の目をした夜の女王だった。



 今夜は王家が主催する星見の宴である。


 オブシディア王国では、全ての宝石は夜が降らした星から生まれたと言われており、宝石の名を持つ貴族たちはその星を血に宿していると伝えられていた。

 

 そのため、夏の星見の宴は何より煌びやかな夜会であると同時に重要な儀式でもあった。


 本来なら、ヴィクトワールは濡羽を戴くタイガーアイ家の令嬢として、そして漆黒を身に宿すオブシディアンの王子の婚約者として、彼のエスコートでこの会場に足を踏み入れるはずだった。


 しかしイレールは、最近出会ったアメトリン家の令嬢に夢中であり、彼女を連れて会場入りしている。まあ、いつものことだ。


 そのようなことは分かりきっていたヴィクトワールは最初から自分の馬車で、そして厳正なるくじ引きの結果付き添いの権利を獲得したレナを連れて(ヴィクトワールの庇護下にある少女たちは戦場の兵士の目をしてくじ引きをしていた。当たりを引いたレナの歓声はそれはすごいものだった)会場へやって来た。


 付き添いのレナは、ヴィクトワールが彼女自身に「これが好き」と選ばせた白とミントグリーンのドレスを身に纏っている。

 その首には彼女が愛し、信じる女王が誰なのかを周囲に強調するように虎目石タイガーアイの首飾りが輝いていた。

 今まで強いられていた幼げに見える化粧を捨て去り、彼女の美しさが映える化粧を施したレナはまるで初夏の夜の妖精のようである。


「怖い?」

「……いいえ、怖くありません。だって隣にお姉様がいるんですもの」


 腕を絡めて訊いたヴィクトワールに、レナは愛らしく勝ち気に笑って「むしろわくわくしていますわ」と答えた。


「ふふ、よろしい。その意気よ、レナ」

「ええお姉様」


 クリソプレーズ家の者たちが憤怒で顔を赤くしてレナを見ていた。しかしレナは彼らに一瞥もくれることなく真っ直ぐ歩いていく。

 その横から、頭一つ分背の高いヴィクトワールが流し目を向け、からかうように笑いかければ、青緑の瞳の一族は一言も発することができずに俯くしかなかった。

 娘を意志のない道具としてしか見てこなかった報いである。レナは二度と彼らを見ない。それでいいのだ。




 そして参加者たちが明かりを極力減らした夜の庭に出て、星を眺めながら歓談を始めた頃。


「見つけたぞ、ヴィクトワール」

「――ご機嫌よう、殿下」


 夜闇に紛れるような漆黒の――この国で最も高貴な者たちのみが纏うことを許される最上の黒の衣装に身を包んだイレールが現れた。


 その隣には、大粒の紫黄水晶アメトリンを胸元に飾った薄墨色のドレスを着た美少女が並んでいる。紫の右目に橙の左目。それはアメトリン家の特長だった。


 自分の隣でレナがピリピリする気配を感じ取って「こら」とその頬を撫でる。薄桃色の唇を尖らせたレナは小さくフンッと息を吐いた。


 そのやり取りに顔を顰めたイレールは、しかし気を取り直すように一つ咳払いをして尊大な笑みを浮かべて見せる。


「今宵はお前に伝えてやらねばならないことがあってな」

「あら奇遇ですこと。わたくしも、殿下にお伝えしたいことがございます」


 ヴィクトワールの答えにイレールは「……何だと?」と不愉快そうに目を細める。それに対してヴィクトワールは妖しく微笑むだけ。


「……ふん、まあいい、どうせ他愛ない恨み言だろう」


 つまらなさそうに吐き捨てた彼へ、腕を絡めたアメトリン家の令嬢が――フランセットという名であったとヴィクトワールは記憶している――何か囁きかけた。

 途端、イレールの表情が目に見えて明るくなる。彼はそのまま、会場に響き渡る声で「心して聞け、ヴィクトワール!!」と言った。参加者たちが何事か、とざわめく。


「僕はお前との婚約を破棄する!! 漆黒を持つこの僕を敬わぬのは王家に対する侮辱と同義だ! よってお前を国外追放する!!」


 イレールが堂々と宣言した庭の中央から離れた席にいた国王夫妻がぎょっとした顔で腰を浮かせた。イレールはそれに気づかず「今この場で跪いて許しを乞うのなら幽閉の刑に変えてやってもいいぞ」とのたまった。


 この突然の宣言により、星見の宴は喜ばしくない喧騒に満ちて元の静謐さを失った。しかしその中心にいるヴィクトワールとレナは至極落ち着いた表情をしている。


「お父様とお母様に欠席するよう進言しておいて良かったわ」

「そうですね、こんなことを直接耳にされたら物凄く怒りますでしょう?」

「ええそうね。まあ、もうかなり激怒しておられるのだけど」


 呑気にそんなことを言っている二人に、イレールがわなわなと唇を震わせて「な、何故そんなに平然としていられる?!」と叫ぶ。

 美しい虎の目を丸く見開いて首を傾げたヴィクトワールは、イレールの言いたいことに気づいて堪えきれないと言ったふうに笑い始めた。


「何が可笑しい!!」

「ふっ、ふふっ、ごめんあそばせ。殿下が、わたくしが何も知らないと思っておられるのだと気づいたら堪らなくなって」

「は……? ま、まさか」

「ええ、ふふふっ」


 頷いて、目尻に浮かんだ涙を指先で拭ったヴィクトワールはするりと腕を組んだ。


「全て、存じ上げていてよ?」


 夜会と同じ。公の場のざわめきは全て新鮮な情報でできている。そして、摘み上げたそれを正確性のあるものにするだけの金は、ヴィクトワールの手に十分あった。


 アメトリンの謀略も、イレールの新しい恋人の狙いも、全て、彼女には筒抜けだった。


 彼が星見の宴で婚約破棄を宣言するつもりだと知って、ヴィクトワールは受けて立つことにした――それ以上の宣言を携えて今日この場へやって来たのだ。


 顔を真っ赤にして言葉にならない声を発するイレールに微笑みかけたヴィクトワールは「次はわたくしの番よ」と告げた。


 レナが目をキラキラさせてヴィクトワールを見つめている。館で大人しく待っている少女たちも、その館を守るために取り囲む褐色の肌の女たちも皆、彼女のその宣言をじっと待っていた。



「――わたくしは、女帝になるわ」



 誰もが耳を疑った。

 しかし、同時に誰もが彼女の頭の上に輝かしい帝冠を幻視した。



「この国を出て、北の地に女たちの帝国を興す」



 今宵一番美しく笑って、ヴィクトワールは言葉を続ける。



「わたくしは新たな時代の訪れを宣言する。女たちの時代よ!」



 夜空で星が流れた――変革の時だ。

 その光を纏うように、彼女は笑う。



「――だから貴方もいらっしゃい。誰も貴方を縛らない、わたくしの国へ」



 紫と橙の双眸から、思わずと言ったようにほろりと涙がこぼれ落ちた。



「ほんとう、に?」

「なっ、フランセット! お前何をっ……!」


 震える唇からこぼれた声を、ヴィクトワールはしっかり拾い上げた。今宵のどの星より鮮烈な、虎目石タイガーアイが煌めく。


「わたくしを誰だと思っていて? ヴィクトワール・アマリリス・タイガーアイよ! わたくしの財で解決できないことはないの」


 家に縛り付ける鎖が解けないのなら引きちぎってしまおう。

 追手を退ける武力が欲しいのなら有り余る財力で買おう。

 一人きりで眠れる部屋が欲しいのなら一人住まいの屋敷だって用意しよう。

 やりたいことがあるのなら好きなだけ夢中にやらせよう。

 理不尽な怒号や暴力から逃れたいのなら――いっそこの国を飛び出そう。


「生家から離れるなんて簡単よ――何だって叶えてあげるわ、フランセット」

「っ、ヴィクトワール様っ!!」


 泣きながら飛び出してきた紫黄水晶アメトリンの少女を抱きしめる。イレールの怒声で衛兵たちが雪崩れ込んできた。


 ヴィクトワールはレナの腰を引き寄せて、よく通る声で彼女・・を呼んだ。


「出番よ、ジージャオ!!」


 直後、衛兵の塊が吹き飛ぶ。


「――フゥの女王がジージャオを呼んだ」


 そこには、額に角飾りを着けた野生的な美女が拳を振り上げた体勢で立っていた。


 健康的な褐色の肌に艶やかな銀の長髪、砕いた青の石粉で縁取った金の瞳。裾を毛皮が飾る鮮やかな青の衣には一族の伝統の草木模様が織り込まれている。


 誰かが「女角族だ」と呟いた。次の瞬間には残っている衛兵が彼女に襲いかかる。


「お前たち、弱い」


 一閃。暴嵐のような体術だった。瞬きの間に十を超える衛兵が吹き飛ばされ、宴の庭に転がる。残る衛兵も全て、すぐにそうなった。


 美しい獣のような彼女に手も足もでなかった彼らが転がる中を、ヴィクトワールはレナとフランセットを引き連れて悠々と歩む。

 虎の目の女王が近づいてくるのに気づいたジージャオは目を輝かせて「フゥの女王」と自らの額の角飾りに指先を当てる女角族の最敬礼をした。


「ありがとう、ジージャオ」

「女王のためなら、ジージャオ、いくらでも戦う」

「ふふ、嬉しいわ。でも今日はここまで」


 そう言って、ヴィクトワールは目でフランセットの存在を示した。彼女は初めて見る異民族の女を見上げて、その虹彩異色ヘテロクロミアの目を丸くしている。


「新しい小猫シャオマオ。珍しい目。女角族では見ない、綺麗だ。ジージャオは歓迎する」


 そう言ってジージャオは柔らかく笑った。


「そういうわけだから帰らなきゃいけないの」

「分かった。シャンディエンを呼ぶ」

「ありがとう、助かるわ」


 ヴィクトワールが微笑むと、ジージャオはその褐色の頬を少し赤らめた。無敵の女族長である彼女は、ヴィクトワールの微笑みにめっぽう弱いのだった。


「っ、待て、このまま帰すと思うか?!」

「待てイレールッ! いい加減にしないか!」

「な、父上! 何故です!!」

「タイガーアイの機嫌を損ねればオブシディアは終わりだ! 何てことを!!」


 茫然自失から復活し、追い縋ろうとしたイレールへ、重たい衣装を引きずってやってきた国王が激怒の一喝を浴びせる。

 それから国王は「待ってくれ、ヴィクトワール」と彼女の前に膝をついた。追い付いた王妃がその後ろで目を丸くする。


「ご機嫌よう、国王陛下。申し訳ありませんが、わたくし、もう待つ気はございませんの」

「っ、愚息のしたことは謝罪する! 継承権を剥奪したって構わない! 頼む、どうかこの国を見捨てないでくれ!!」

「あら、勘違いなさらないで陛下」


 必死に言葉を並べる国王へ、ヴィクトワールは目線の高さを合わせることもせず笑って言い放った。


「わたくしはこの国を見捨てるのではないわ。あなた方オブシディアンを見捨てるのよ」


 絶望したように言葉を失う国王。何やら騒ぎ続けるイレールを無視して、ヴィクトワールはジージャオへ頷いた。

 「任せろ」と答えたジージャオは首に下がる白い笛を口に当て、ピィィィィッと高らかに鳴らした。


 直後、星見の庭に大きな影がかかる。星の明かりを遮ったのは何だ、と見上げた人々はそこにいたものに悲鳴を上げた。


「来いっ、シャンディエンッ!」


 ピィィィィッと、笛と同じ鳴き声を返しながら降りてきたのは、金色の羽毛に包まれた巨大な鳥だった。その額には立派な銀色の一本角がある。女角族が友とする、古代鳥の血を引く巨鳥、銀角金鳥だ。


 真っ先に銀角金鳥の背に飛び乗ったジージャオの手を借りてヴィクトワールが慣れた様子で、次にレナが慎重に、そして恐る恐るフランセットが、その背に身を預ける。


「それでは皆様ご機嫌よう! わたくしは夜明けを迎えに行くわ!」


 金の双翼を広げてシャンディエンは飛び立った。その背に、新たな時代の王を乗せて。


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