2-6
針が刺さっていた箇所を清潔な脱脂綿で押さえて圧迫し、止血する。
最後に包帯も巻いて手を離す。
スウォンツェは抵抗する気力もあまり残されていないのか、物言いたげな目でシュユを見上げてくることはあれど、終始されるがままだった。
「それだけの量でいいのか?」
「はい。これだけの量で十分です」
そういって、シュユはリュカへ向けた顔を柔らかく緩めてみせた。
シュユが採取した血液はそれほど多くはない。血液検査と聞いてもっとたくさんの血液を採取するのだと思っていたのかもしれないが、今回行う検査には大量の血液は不要だ。
注射器のシリンジに刻まれた目盛り一つ分。これだけの量があれば十分結果を出せる。
取り付けていた針をシリンジから抜き取り、トレーに置きながら言葉を続ける。
「見知らぬ人間にべたべた触れられて不快だったろうに、スウォンツェ様はじっと我慢してくださったので……あとでいっぱい褒めてあげてください」
「……ああ。あとでそうしよう」
言葉を出さずに頷き、返事とする。
その後、取り出しておいた試験管を一本手に取り、注射器内部に入っている血液を試験管壁に沿わせ、慎重に移した。
最後にリュカたちへ見せた検査薬を数滴垂らし、しっかりと蓋を閉めて試験管を軽く振った。
試験管が揺れるたびに血液と検査薬が混ざり合っていく。
反応が出るまで必要な時間はたったの数分。混ぜ合わせたあと、すぐに反応し始めるはずだ。
どうか陰性であってくれ――ほぼゼロに近い、ほんのわずかな希望を願い、反応が出るときを待つ。
しかし、現実はやはり残酷で、これっぽっちも甘くはない。
「――!」
手の中にある試験管から光がこぼれ始める。
血液と検査薬の混合物が淡く、青く光を放っている。
試験管の中で起きている反応を前に、シュユは苦虫を噛み潰したかのように顔をしかめた。
力なく肩を落とし、深く息を吐きながら、手の中にあるそれを試験管立てに置く。
「……エデンガーデン嬢」
そんなシュユへ、リュカが訝しげに声をかける。
「エデンガーデン嬢、どうした。検査結果は出たのだろう?」
返事をしなくては。
結果を伝えなくては。
心の中で冷静な自分が訴えてくるが、これから彼へ現実を告げなくてはならないと思うと、喉まであがってきた言葉が詰まってしまった。
唇を閉ざし、試験管を見つめたまま、シュユはぐるぐる考える。
検査結果の誤りであってほしい。
いいや、この魔法薬を使った検査の精度がいかに高く、正確な結果が出るものであるかは自分自身が一番よくわかっている。
それに、薄々そうではないかと自分でも思っていたじゃないか。
でも、それでも――。
答えの出ない言葉たちがひたすらに脳内を巡っては消えていく。
やがて、意を決すると暗澹とした思いをため息として吐き出し、シュユはリュカへ向き直った。
「検査結果は陽性」
一言、検査結果を先に告げて。
「――フィルアシス症です」
普段より大きな声を出したわけではない。
しかし、病名を告げるシュユの声は、不思議と部屋に響いて聞こえた。
「フィルアシス症……?」
リュカが眉間へシワを寄せ、告げられた病名を復唱した。
シュユを見つめる顔は苦く歪んでおり、シュユの唇から告げられた病名をはじめて耳にしたのであろうと簡単に予想ができた。
彼だけでない。ジェビネも、そしてベアトリスも、訝しげな様子でこちらを見つめてきている。
「ジェビネ。お前はこの病名を耳にしたことがあるか?」
「いえ……。私ははじめて聞きましたが……」
「そうか。では、ベアトリスはどうだ?」
「……私もはじめて聞く病名です」
リュカと短くやり取りを交わし、ベアトリスがシュユへ向ける目を鋭く釣り上げる。
「エデンガーデン辺境伯令嬢。病の正体がわからないから適当な病名をでっち上げているのではありませんか?」
こちらへ向けられた言葉には、わずかな悪意も含まれている。
歓迎されていないだろうことは感じていたが、ここまではっきり拒絶の意思を示されると思わず苦笑いを浮かべたくなってきた。
けれど、退くわけにはいかない。
シュユが口にした病はごまかしのためにでっち上げた架空の病ではなく、この世界に存在している病なのだから。
「いいえ、きちんとこの世界に存在する病です。確認されて病名がついたのは比較的最近のため、まだあまり多くの方々に知られていないようです」
ベアトリスが向けてきた疑惑を切り捨て、シュユはリュカたちの顔を静かに見つめる。
「……皆様のご様子を見るかぎり、セティフラム領ではフィルアシス症はこれまで確認されていなかったようですね」
正体不明の病として扱われていた辺り、そんな気はしていたが。
検査に使用した道具や検査薬を手早く片付け、トランクケースもしっかりと閉める。
話に集中できそうな状態に整えてから、再度口を開いた。
「フィルアシス症は、幻獣がかかる可能性がある病のうち、特に危険性が高いものの一つです」
一切の柔らかさを消し去った声で、淡々と告げる。
そんなシュユの声を耳にすれば、あまり表情が動かないリュカも顔を強張らせた。
フィラリア症が一体どのような病なのか、リュカにはわからない――だが、シュユの声色や様子から非常によくない病であるとは勘づいた。
「多くの犬型幻獣の命を蝕み、奪ってきた――死の病です」
どくん、と。
リュカの心臓がより一層大きく脈打った。
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