2-5
並んだ症状たちを目にしたとき、あの病が脳裏をよぎったが――血尿まで重なると、あの病の影がより色濃くなる。
どうか何かの間違いであってほしいと願ってしまうが、現実はいつだって残酷であることも非常によく知っている。
「……メディレニア、これは……」
小さな声で呟きながら、ちらりとメディレニアへ視線を向ける。
メディレニアもじっとスウォンツェを見つめているが、その横顔は苦虫を噛み潰したかのようだ。
まさか、あの病なのではないか。
そう言葉を発しそうになったシュユだったが、メディレニアが首を左右に振って制した。
「まだあの病かは確定していない。あれかどうか確定させるためには検査が必要。……そうだろ? シュユ」
は、と目を見開く。
そうだ、メディレニアの言うとおりだ。まだあの病だと断定するには早い。
あの病であるかどうか、検査を行ってみなくては確定させることはできない。
大きく息を吸って、吐いて、動揺する身体を叱咤する。両手で挟むように自身の両頬を強く叩き、シュユは自分自身へ活を入れた。
「侯爵様。確定診断に移るために血液検査を行いたいのですが、よろしいでしょうか」
「……血液検査を?」
わずかにリュカが目を丸くする。
血液検査を提案してくる幻療士ははじめてだったのか、ベアトリスも同じくぽかんとした顔をしていた。
まずはリュカへ、次にベアトリスへ視線を向け、シュユは首を縦に振る。
「わたしがこれまで見てきた病のうち、侯爵様がお答えしてくれた症状があらわれるものに心当たりがあります。ですが、その病であるか否か確定させるためには血液検査を行い、結果を見る必要があるのです」
言いながら、シュユはトランクケースから小瓶を取り出した。
透明な小瓶の中では、薄青色の魔法薬が入っている。シュユが小瓶を揺らせば、中に入っている薬液もたぷんと揺れた。
「こちらは検査薬なのですが、試験管の中でこの薬と採取した血液を混ぜ合わせて反応を待ちます。血液中からあるものが検出された場合、検査薬が反応して光を放つので、それで検査結果を見ます」
「つまり、陽性だった場合は血液と検査薬の混合物が光を放ち、陰性だった場合は特に何も起きないということか」
「はい。確定診断に移るためにも、侯爵様から検査の許可をいただきたいのですが……」
リュカはシュユを見つめたまま黙り込んでいる。
黙ったまま、横目でちらりとスウォンツェを見て――再度、シュユへ視線を戻した。
「その検査は、スウォンツェの身体に大きな負担をかけるものではないんだな?」
今、スウォンツェは弱っている。
ただでさえ弱っているところに大きな負担がかかってしまえば、最悪の事態に陥るおそれがある――リュカはきっと、それを恐れている。
「ええ、誓って」
だからこそ、シュユは彼の目を見つめて即答した。
この検査も、弱っている幻獣をさらに弱らせるようなものではない。
採取する血液は少量で、採血自体も短時間で終わる。弱った幻獣をさらに弱らせ、死に近づけるものではない。
しばしの沈黙が続いたが――やがて、リュカが静かに頷いた。
「ならば、頼む。……スウォンツェを、そして我が領地を苦しめる病の正体を明らかにするためにも」
紡がれたリュカの声は切実で、どれだけ病の正体を本気で知りたいと思っているかが伝わってくる。
部屋の出入り口近くで控えているジェビネも同様に、真剣な目をシュユのほうへ向けていた。
ベアトリスだけは二人と異なり、本当に病の正体を突き詰められるのか疑っているかのような目を向けてきているが、検査を受けるのを止めようとする様子は見せなかった。
「ご協力、感謝いたします。侯爵閣下」
もし、ここで検査に同意してもらえなかった場合、確定診断に移るのが困難になるところだったが――そのような事態にはならずに済みそうだ。
感謝の言葉とともに頭を下げたのち、シュユは即座にトランクケースへ手を伸ばす。
中に入れている医療具の中から血液検査に用いるものを次々と取り出し、準備を始めた。
銀色のトレー、試験管と注射器、注射針、消毒用のアルコール、脱脂綿――必要なものを全て取り出すと、シュユはトランクケースを閉じてそれらの医療具と最初に取り出した検査薬をケースの上に並べる。
消毒用のアルコールで手指の消毒を行ってから、慎重な手付きで注射器のシリンジに針を装着する。プランジャーを押して内部の空気を抜くと、一旦それを銀のトレーに置いた。
そして、改めてスウォンツェへ向き直り、静かに唇を開いた。
「スウォンツェ様。今から採血を行います」
「……ぐる……」
「少々痛みがありますが、あなた様に危害を加えることを目的とした痛みではありません。あなた様を蝕む病の正体を明らかにすることを目的とした痛みです。……どうか、少しの間だけ耐えてください」
検査を行うには幻獣の主人の同意が必要だが、検査を実際に受けるのは主人ではなく幻獣本人だ。
今から検査を行うこと、痛みがあるが害することを目的としているわけではないことを伝え、脱脂綿に消毒用のアルコールを含ませた。
簡単な下準備を終えてからもう一度スウォンツェの身体に触れる。
シュユの手が触れた瞬間、スウォンツェがわずかにぴくりと反応したが――それだけだった。
「……手早く終わらせますので」
小さく告げ、シュユはスウォンツェの後ろ足を持ち、膝の上を握った。
血管が浮かび上がってきたのを確認したのち、アルコールを含ませた脱脂綿で針を刺す箇所を手早く消毒し――注射針を血管に刺した。
瞬間、スウォンツェの足がわずかに動く。
力を振り絞って攻撃行動に移ってくるか――とっさに身構えたシュユだったが、スウォンツェは噛みついてくることなく、じっと痛みに耐えていた。
こうして見知らぬ人間に触れられているだけでも嫌で嫌でたまらないだろうに、じっとこらえてくれている。
……本当に。
「……あなた様のご協力に感謝します、スウォンツェ様」
小さな声で一言呟きながら、静かに内筒を引いて血液を採取する。
正確な検査結果を出すために必要な分を採取すると、そうっと慎重に注射針を抜き取った。
「これで採血は終了です。お疲れ様でした」
その言葉とともに、シュユはずっと握っていたスウォンツェの後ろ足を離した。
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