2-3
リュカの背中を追いかけ、ブルークラリス侯爵邸の廊下を歩く。
彼に案内され、辿り着いた部屋は、客室として使われている気配がある一室だ。
壁紙や絨毯はもちろん、設置されている家具もアンティーク調のものが使われており、屋敷全体の落ち着いた雰囲気と噛み合うようにまとめられている。
派手すぎず上品さを感じさせる空間は、どれだけ疲れていてもゆっくりくつろぐことができそうだ。
しかし、今は客室ではなく療養室として使われているのだろう。椅子やテーブルは壁際へ寄せられ、部屋の奥に幻獣用の大きなベッドが設置されていた。
ベッドの中には一匹の幻獣が横たわっており、そのすぐ傍に白衣をまとった女性がいる。
彼女は新たに部屋へやってきた人間の足音と気配に気づき、ぱっとこちらを振り返った。
「侯爵様。スウォンツェ様の様子を見にいらしたのですか?」
素早く床から立ち上がり、白衣を身にまとった女性はリュカへそう声をかけた。
金髪に翠色の目をした女性だ。長い髪はシニヨンにしてまとめ、リュカを真っ直ぐに見つめる目はほんの少しだけ上へつっている。そのためか、見る者に気が強そうな印象を与えた。
もうすぐ十八歳を迎えるシュユよりも背が高く、年上であることは簡単に予想がついた。
わずかに驚いた目で己を見る女性へ、リュカが答える。
「連続していてすまない。ジェビネが新たな幻療士を連れてきた。彼女にも一度スウォンツェを診てもらいたくてな」
リュカの視線がシュユへ向けられる。
その視線に誘われるまま、シュユは前へ出て彼の隣に並んだ。そして、流れるような動きで片足を斜め後ろへ引き、スカートをわずかに持ち上げてお辞儀をする。
そのとき、白衣の女性が一瞬だけ訝しげな顔をするのが見えた。
「お初にお目にかかります、ドクター。突然の来訪をお許しください。わたしはシュユ・エデンガーデン・ルミナバウム。こちらの一角狼はわたしのパートナーで、メディレニアと申します。一人と一匹で旅をしている、流れの幻療士でございます」
己が何者であるかを明かしてから、シュユはスカートから手を離して顔をあげた。
シュユの名を聞いた瞬間、白衣の女性がますます訝しげに眉を寄せた――が、それもほんの一瞬のこと。
瞬き一つの間には、彼女の顔は柔らかな笑顔へ移り変わっていた。
見間違いかと思ってしまいそうだが、あの一瞬見せた顔がはっきり物語っている。
――シュユの存在は、全くといっていいほどに歓迎されていない。
「ご丁寧に感謝しますわ。私はベアトリス・ピスタシェと申します。ブルークラリス侯爵様にお仕えしている幻療士で、侯爵様のパートナーの主治医を務めております」
名乗り返したあと、ベアトリスはシュユの姿を見つめて言葉を続ける。
「しかし……エデンガーデンというと、ルミナバウム領を守護するエデンガーデン辺境伯家では? そのような由緒正しい名家のお方が、なぜ流れの幻療士を?」
――貴族のご令嬢が本当に幻療士として働いているの? 貴族の道楽なんじゃないのかしら?
そんな声が言葉の裏から聞こえたような気がし、シュユは思わず心の中で苦笑いを浮かべた。
エデンガーデン辺境伯家は、星樹の神獣と深い関わりを持つ名家なだけあって、いわゆる平民にあたる人々にも存在を知られている。家門の名前を聞いただけでぴんと来るぐらいに。
だが、それは同時にシュユが青い血を持つ高貴な人間であることを誰もが知っているということでもある。
外で働く必要がないはずの貴族の令嬢が幻療士をしていると聞いて、ただの貴族の道楽ではと考えてしまうのも仕方ない。
「各地を巡って星樹の神獣様がかつてそうしたように、多くの傷や病を癒やし、幻獣たちを助け、世界を覆う悲しみや苦しみを減らす――その使命を果たすため、流れの幻療士として各地を巡っております。幻療士として必要な教育は受けておりますので、どうかご安心くださいませ」
言葉だけでは簡単には安心できないだろうけれど。
心の中では苦笑いを浮かべたまま。
けれど、浮かべる表情にはあまりそれを出さず、穏やかな表情を維持したまま。
お互いに内心を隠したまま言葉を紡ぎ、相手の目をじっと見つめる。
なんともいえない独特の緊張感をまとった空気が二人の間に流れていたが、ついにベアトリスが観念したかのようにため息をついた。
「……なら、そのお言葉を信じることにいたします。ですが、不適切な診断をした場合は即座に止めさせていただきますので」
侯爵様のパートナーの主治医として、適当な診察をされるわけにはいきませんから。
付け加えられたベアトリスの言葉に対し、シュユは了承の意を込めて頷いた。
シュユも逆の立場だったら似たような判断をするだろうし、リュカのパートナー――つまり、セティフラム領を守護する幻獣の命に何かあれば、セティフラム領の今後に関わる。慎重になって当然だ。
彼女から見れば、シュユは素性がわからないぽっと出の幻療士――それも、正しい診断ができるのかもわからない貴族の令嬢なのだから。
「……わかりました。肝に銘じておきます」
そう返事をしたあと、シュユは幻獣のほうへ視線を向ける。
ちらりと横目でリュカを見上げ、また視線を幻獣に戻し、確認のために問いかけた。
「あの子が侯爵様のパートナーでよろしいですか?」
「ああ」
一言だけ返し、リュカが幻獣の傍へ歩み寄っていく。
「名はスウォンツェ。俺がまだ幼かった頃から傍で見守ってきてくれた、大事な相棒だ」
リュカの声に耳を傾けながら、シュユは幻獣を見つめた。
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