第37話 新たな村

 水鏡が話をつけ、村人たちは捕縛された敵兵とともに兵に連れていかれることになった。捕縛まではされない。環がそこに加わろうとしたが、水鏡が止めた。赫天は宵が抱いていた。抱かずとも座っていられるのだが、抱かれると機嫌がよくなるので、水鏡か宵の腕にいた。

「宵の妹だろう。お前は残れ」

 それを見た村人たちが環をじっとりとした目で眺めた。

 どのみち、あの人たちとはもう同じところではやっていけないのだわ。

 環は悟り、頷いた。別れの言葉もないまま、恨みがましい視線だけを受け、近辺の町から慌てて手配された馬車に乗る家族たちと別れた。あっけないものだった。

 水鏡はみなそこへの道を開き、残った者たちを招いた。湖にいたはずが、いつの間にか鏡の置かれた白い建物の中にいる。何もかもが白い。

「生きた人間がここに来ることはほとんどないな。不便があったら言うとよい」

 呟いた言葉に、環は姉が本当に殺されてしまったのだと実感した。もう人ではないのだ。

 みなそこの神の御殿は広く、白く、そして美しい。調度も王城よりもさらに洗練されている。人ならざるものの棲家。環はここが恐ろしかった。

「鈴」

 にに、と、白い小さな猫が、おそるおそる、という様子で寄ってきた。知らない相手がいるので怯えているのかもしれない。水鏡は途端に破顔して、鈴と呼んだ猫を抱き上げた。猫は安心したのか体を擦り付けている。

「鈴、鈴、会いたかったぞ。無事でよかった」

 いたたまれなくなるほどの甘い声だ。宵が環に囁く。

「水鏡様の猫なの。鈴っていうの」

「お前の猫でもある」

 水鏡の言葉に宵は微笑みを返した。丁重ではあるが、気安い。姉の表情からかつてあった怯えや暗さが消えていることに環は気づいた。姉は、この神といて幸福そうだ。村ではいつも、息をひそめていたのだ。それが当たり前だと思っていた。恐ろしいことだった。

「あー」

 宵の腕にいた赫天が、鈴に手を伸ばす。宵が床におろしてやると、ふっと風に火が揺れるようにその姿が揺らぎ、次の瞬間には赤子から幼児になっていた。

「回復が思いのほか早い。そんなに猫と遊びたいか」

 赤い短い衣を着た三歳ほどの幼児になった赫天は、逆立った赤髪といい釣りあがった目で、いかにも活発そうだ。

「ねこ、ねこ」

 水鏡の膝の鈴に手を伸ばすが、鈴はひょいと逃げて行ってしまう。それを追いかけて、赫天も姿を消した。

「追いかけましょうか」

「何かが起きれば私にはわかる。放っておけ。あれもただの幼子ではないのだから、世話もいらない。ところで、娘」

「は、はい」

 急に話を振られて環は背を伸ばした。自分が何故ここに呼ばれたのかもよくわからない。宵のことで、自分に対してだけは他の村人よりも重い処遇を下される、ということも、ないとは言えまい。何しろ神なのだ。こんな場所に住むものが人の理解の及ぶ存在とは思えない。

「今後どうするつもりだ」

「何も考えていませんでした。ただ、村が荒れているのは私がここに来なかったからだと思っていたので……」

「村人たちが恋しいか?」

 それにはためらわずに首を振った。情はあったが、処遇も別れも仕方のないことだと受け入れられる。

「いいえ。私はよくしてもらいましたし、特別に悪い人たちとは思いませんけど……多分……私たち、よくない村を作ってしまったんです。人の嫌なところが、小さな諍いで済まないで、集まってひどいことになってしまうような。もっと別の場所で、別のやり方で最初からやり直したほうがいいんです」

「他人事みたいに言うものだな」

 環は頷いた。指摘されてむしろほっとした。一度も責められないのも、大切なものを取り落としたまま話が進むようでつらい。

「はい。私も……姉さんに、ひどいことをしたうちの一人です。姉さんがひどい扱いをされていたこと、薄々気づいても、そういうものだろうと思っていました。姉さんが私の身代わりにされたことも……ちゃんと考えればわかったかもしれないのに、気付かないふりをしていたのかもしれません」

「でも、環が、」

 宵は花嫁、と言いかけて、口ごもった。生贄の言い換えである穏当なはずのその呼び名を、水鏡の前では使いづらい。

「ええと……ひどい目に遭うために育てられていたのを、私も止めようとしなかったから……私も、他人事ではないです」

「そんな道理は知らん。宵。お前の罪は罪ではない。私はもう、お前が気まぐれで洪水を起こすと言っても見過ごすだろうさ」

 困惑して黙り込む二人の娘に水鏡は口をとがらせる。

「冗談だ」

 本当に冗談なのかしら、と環は思った。

「お前たち、似ているな」

 宵と環は顔を見合わせた。痣の他はほとんど同じ作りの顔だが、似ていると言われたことはあまりない。今もまだ汚れた着物の環と美しい衣と飾りを纏った宵は、よく見なければ似ていることにも気づかれまい。双子なのに、いつも違うところに身を置いている。

「双子ですので」

 環に水鏡は首を振る。

「私も赫天も同じ母から同じときに分けられたきょうだいだぞ。お前たちの父母とお前たちは似ていないしな」

「はあ……」

「娘、働く気はあるのか?」

 突然の問いに、環は頷く。

「え、はい。もちろん」

 宵は不安げに環を見ていた。環は村にいたときの自分の怠惰と宵のまめまめしい働きぶりを思い出して顔が熱くなる。

「何ができるわけでもないですが、働きたいです」

「ふん。奇特だな」

 水鏡は目の前の鏡で村を映し出した。もう村とは呼べない有様だった。すっかり焦げ付いて、どこに何があったのかもわからない。神妙になる双子に対し、水鏡は何の感慨もない様子であちこちを映し出している。

「ここにまた村を作りたい。人が近くに住んでいないと迷いこんでくる者が何をするかわからんからな。湖を見守らせ、作物を捧げ、そうだな、時折私と宵に何が起こっているのかも知らせてほしい。あまり放っておくと、どうやら人は私を恐れすぎるらしいから、もう少しよく見ておいたほうがいいらしい。いいか、宵」

「は、はい」

「なんだ。お前が言ったのはそういうことではないのか」

「はい、そういうことです」

 うむ、と水鏡は頷いて、環に言い放つ。

「娘、お前がやれ。村を作れ」

「え?」

「やりたくないのか」

 聞かれて、できるかどうかは抜きにして答えていた。

「あ、やりたいです」

「ではやれ」

 わかりました、と答えるしかない。宵が慌てたように割って入った。

「私も手伝うし……ええと、他の人の助けも借りられますよね?」

「当たり前だろう。こんなか細い娘一人にそんなことさせるか。国から人をよこさせる。お前は私と宵と人を繋げる役目をしろ」

 正直なところ、環は一人でもなんでもするつもりでいたので安堵した。だが、水鏡に言い渡されたことは、本当は一人でただ焦土を耕すより重要で、しくじるわけにはいかないものなのかもしれないと感じ、背筋を伸ばした。

「はい」

「環」

 初めて名を呼ばれた。

「よい村にしてくれ。虐げられる子が出ないような。お前に託す。お前なら、きっとやってくれるだろうと思う」

 そして、迷うように目を伏せてから、微笑んだ。

「環、お前を信じる」

 環はその瞬間、生きている、と感じた。

 死ぬ日のために生きてきて、なぜだからわからず生き延び、守るはずだった村の多くが命を落とし、焼き払われた。隠されていたもの、見ようとしなかったものが次々と明かされた。どういう理由で自分が生き残ったのか、いまだにわからないままでいる。今は大変な状況にあって興奮しているが、落ち着いてから頭の中にあるもの一つ一つを確かめたら、その重さ大きさ惨さを受け止められる気がしない。自分がどうなってしまうのかわからない。

 でも、生きている。生きる意味がある。落ち込んでも、苦しくても、なすべきこと、なしたいことがある。できる、と、信じてくれた。託された。

「必ず、いい村にします」

 環は深く深く頭を下げた。

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