第28話 戦

 仁が環を守る間に、事態は動いていた。

 異変に気付いた兵たちが集まり、外敵に矢を射かけた。矢は村で狩りに使うものもかき集めた。腕に覚えのあるものは兵に従っていた。

 焼け残った火矢を見たある兵が懸念を口にした。この様式の矢はこの国のものではないと。いくつかの矢は均等で、ある種の規格のもとに作られていた。組織的なものだ。敵の動きも組織化されている。この国ではない組織。そして、敵の動きには山賊などとは違う、蛮行の中にも規則性があった。ばらばらに動いているのではない。規律。規律ある暴力組織。この国のものではない。

 ほとんど答えは見えたようなものだった。だがそれを口に出すことを兵たちは恐れた。どのみち自分たちに出来ることは多くない。伝令を出し、援軍が来るまで少ない人数でなんとかここで持ち堪える。敵の正体や事後の始末はそのあとで考えることだ。それがいかに厄介なものでも、悩むのは自分たちの仕事ではない。

 互いに矢を射かけているうちに、まばゆい光が湖上にあらわれた。あまりにも強い光に、皆の手が止まる。辺りは静まり返り、びいん、と、誰かの弓の弦が鳴り響いた。矢が落ちて草が燃える。

 光の中に、神が立っていた。白くどこまでも美しい、神でしかありえない存在が。

「騒がしいな」

 聞かせるつもりもないような呟きが、そこにいる全員の耳にはっきりと届いた。

「ふん」

 水鏡は森のほうを見て、目を細めた。潜んでいた者たちは、それだけで射られたかのように身を竦めた。

「わざわざ遠いところから大層なことだな」

 神の声は冷ややかだった。宵が見れば驚いただろう。一度だって彼女の前で水鏡がこのような顔を見せたことはなかった。人間たちは怯えるというより、ただ身動きが取れなくなった。

「しかし、地上はものが見えすぎて煩わしいな。お前たち、国境を超えるということの意味がわかっているのか? ここではお前たちを守る法はないのだぞ。お前たちが先に手を出したのだからな」

 やはり、と、兵たちは思った。

 襲撃したのは、隣国のものだ。隣国とこの国はほとんど交流はないが、直接的な衝突が起こることは久しくなかった。

 国はそれぞれの神と託された王たちが守り、治める。遠い物語では、神はかつては同じ神から生まれたきょうだいたちだと言う。母なる神は子供たちをそれぞれの土地にやった。そのほぼ人の口に上ることも絶えた神話によると、火の力を持つ隣国の神と水の力を持つこの国の神は不仲で、隣り合っているのに建国の昔からほとんど交流がない。不仲の理由もさだかではなくなっても冷ややかな緊張状態はいまだに続いており、具体的な問題がなくとも互いをなんとはなく敵だとみなしている。静けさは保たれていても、いつ火が起こってもおかしくはない。それが隣国との関係だった。

 そのいつ、が、今なのだった。

 水鏡は美しい青の瞳で人間たちを見回した。地上にあっては水鏡は神とは言え人間と同じ大きさで、その瞳はただ小さな一対だが、その青さはそこにある湖よりもなお深い。

「我が民も、いささかのんきに過ぎるのではないか。悪心を持つものが王の近くに侍っても気付かぬとは。私がみなそこで遊び惚けていたせいかもしれぬが」

 水鏡は自嘲は見る者の心を痛めたが、それ以上に気になる言葉があった。兵の一人が震えながらもその真意を尋ねようとすると、心意気を褒めるように水鏡はそちらに目をやった。

「お前たち、いなくなった男がいるだろう。兵ではない。学者か? 素性のしっかりしない者を王城に招く時にはもう少し警戒するのだな」

 これまでの不可解なことが一気に明かされていく。敵も味方もこの美しい神の力に圧倒されていた。この神の前では何一つ隠すことはできない。これが神だ。何故忘れていられたのだろう。いや、こんな存在を常に感じているのは人間には重すぎるのだ。忘れておくしかない。

「まあよい。よく持ち堪えたな」

 軽く与えられた誉め言葉に兵たちの胸は震えた。水鏡は手を振った。水が撒き散らされる。敵兵の火矢は湿り、もう使い物にならない。

「この村が襲われるだけなら捨て置いてもいいところなのだがな」

 その言葉に、環がはっとした。ちからのない仁の体の下から這い出て、問う。

「姉さんは……?」

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