第13話 変化

 十六歳になったら死ぬと思って生きてきた。

 環には未来というものがなかった。どうにかしてそれを諦めるために生きてきた。

 だが、生きているのだった。生きているのであれば、仕事がいる。環は双子の姉の宵のやるような仕事はすべて免除されてきた。ときおり母と気まぐれに繕い物や料理をする程度だ。それも、困ればすぐに宵が飛んでくる。

 自分が生きている。そして、どういうわけだか宵がいない。環は当然、自分が宵がやっていたような家事をやらなくてはいけないだろうと考えた。満月の夜から何日かは宴に付き合ったり村の人々に顔を見せることでつぶれたが、日常に戻らなくてはならない。

 家の仕事をしたい、と言えば、両親は喜び、感心した。環は微笑んだ。そうやって生きていくのだと思った。姉はなぜかいないが、そのうちに帰ってくるだろう。それまで家を自分が守らなくては。

 意気込んでいたが、環には家事は難しかった。愛されることだけを求められて生きてきた身には水汲みは耐えがたく、調理のための竈の火さえ熱すぎた。包丁もうまく扱えない。

「うまくできないわ」

 汁にするために菜を刻んでいた環が笑って言うと、母がこちらを見て、奇妙な目つきをした。環は驚き、手が滑った。

「いたっ」

 指先を切っていた。ほんの小さな傷だ。それを母に見せるように掲げた。

「痛いわ」

 母はまた、奇妙な目つきで環を見た。それからため息を吐く。

「もうここはいいから」

「え」

「母さん一人でやってるから、環は別のことをしてなさい」

「え、でも」

 母は環を見て、口を歪ませ、何かを堪えるようにもう一度大きくため息を吐くと、絞り出すように言った。

「忙しいの。あんたがいるとわたし一人でやるよりはかどらないから、他のことをしていて」

 環はそっと傷を抑えて、

「はい」

 と小さく言った。


 自分で傷の手当をした環は、湖の近くに来ていた。珍しく一人だった。これまでの環が一人でいるときは、泣く時だった。人前でも泣いていたが、一人でしかできない泣き方もあるのだ。それ以外は誰かと語りあっていた。しかし、村はなんだか奇妙な空気で、話し相手を見つけるのに躊躇われた。作物や天気の調子は悪くないので神は怒っていないようだが、人の様子がおかしいのだ。何かを隠しているようだし、妙な暗さがある。

 そして、宵がいない。

 そのことを誰も話題にしないのが、環にはよくわからなかった。よくわからなかったので、環も宵のことは口にしなかった。環は生まれたときから村の人間たちに愛されてはいたが、役割のために隔てを感じていた。自分に知らされていないことがあると察しても、見ないふりをする習慣がついていた。

 宵がいないことを誰も口にしないが、宵がいないことで、誰もが苛立っていた。宵はよく働いた。母も、環の目には宵にはやや冷たいように感じたが、宵を頼りにしていたのだろう。

 考えてみれば、姉にはずいぶん苦労をさせていた。

 環はそのことにも初めて気づいた。宵のかわりをしようとしても、とてもできない。母のあの奇妙な目つき。環相手なので優しくしようとしても、家事をしていると宵との手際の差を思い知らされて、ついきつく当たりたくなる。宵の不手際があればすぐにしかりつけていたので、その習慣が抜けない。その衝動をおさえて、奇妙な目つきになる。環はそんな態度を母に取られたことがなかったので、ただ驚いた。

 私には知らないことがたくさんある。

 まだ少し痛む指を抑えて、環は思う。それまで、知らないことはそのままにしていた。知ることが増えれば、つらいことも増えるからだ。何かを知り、親しんでも、自分の命はとても短い。考えることを増やしたくなかった。

 これからはそういうわけにはいかないだろう。

 環は考える。自分にはもう未来があるのだ。それを諦めるためだけに生きてきたので、急に与えられた未来にまだ慣れない。だが、輝かしいものであると思う。いろんなことをしたい。生きられるのだから。環は元来楽天的だった。

 生きていることが嬉しい。

 あの朝の陽ざしの輝かしさが、まだ環の胸で生きていた。生きていることが嬉しく、それをもっと人と分かち合いたい。一緒に輝かしい未来を生きてほしい。

 だが、変だった。村のみな、日差しの明るさに後ろめたさを感じているように見える。どうしてだかはわからない。

 それに、姉さんがいない。

 その二つを結び付ければ、すぐに答えは出ただろう。だが、環はそれをしなかった。ただ、姉はどこに行ったのだろうと漠然と考えるだけだ。

 日が暮れかけていた。木の実でも拾おうと環は思いついた。そのぐらいなら自分でもできる。姉さんが帰ってきたら、一緒に食べよう。考えてみればそんなこともしたことがなかった。双子なのに。姉さん。元気だろうか。

「環」

 ふいに声がして、環ははっと顔を上げた。

 そこに仁が立っていた。

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