翳り

僕は学校を後にして通学路を家路へと歩いている。この街はコンパクトな作りで僕にはありがたい。駅から学校は十分に徒歩圏内。通学に必要な体力は自転車通学と比べてほんのわずかだと思う。日中の強い陽射しは和らいで、汗ばむ服以外はようやく耐えられる程度になってきている。

まだ、秋は遠い。

学校から歩くこと10分程度で僕は駅まで辿り着く。もう何度目だろうか。3年間続けてきた通学も終わりが見えてきている。思えば、最後の夏だ。

駅前のロータリーにはバスが往来して街の人々を次々に運んでいる。この時間は人の往来が一番多い時間だ。

色々な人たち。

若い人たち。

もう若くない人たち。

これからの子たち。

この街は生きてる、僕は行き交う人たちを見てそう思う。僕は他の人から見たらどう見えるだろう? そんなこと、聞いた事も無い。ただの印象だけであって、僕自身の表面でしかない。僕の学生服を見れば(僕の学校について知っている人なら)僕が3年生であることが判断できる、その程度でしか人は僕を理解してはくれないだろう。

僕はロータリーの日陰に退避して飲み物を買うことにした。バスを待つわけでもない僕はロータリーに立ち寄る必要も無いのだけど、飲み物は必要だ。

自販機のスマート決済で僕はミネラルウォーターを買った。ガコン、となんとも言えない粗い音を立ててペットボトルは僕の元へと滑り込む。僕はそれを取り出して、指をキャップへと滑らせる。

ピアノを弾くのも飲み物を飲むのも、この手だけが肝心要で、人はなんでもこの手と指、それに繋がる腕が無ければ何もできない。

そういえば鼎くんの手は大きかったな。僕はぼんやりさっきの出来事を思い出す。身長はどうだろう…、僕よりたぶん頭一つぐらい違った気がする。180cm以上はありそうだ。クセ毛なのかウェーブがかった髪を横に流したような髪型で、長さも男子にしては長かったな。あれは校則違反にならないんだろうか? 目鼻立ちもクッキリしていて、舞台映えしそうだったな。どちらかと言えば甘めの顔で、体格とはアンバランスなのも印象に残っている。たとえば演奏し終わって、観客に訴えかけるにはちょうど良いかもしれない。小柄な僕と違って。何のためかわからないけどネックレスのようなものもしていた気がする。金色で、いかにも"それ"らしくて今思うと少し微笑ましいかも。シャツだってボタンを無駄に開けていて、そういう形に割と囚われるタイプなのかも。

僕は右手の時計に目を落とす。今日は電車まで少し時間があるみたいだ。少し休憩するために僕はロータリーの一番端のベンチに邪魔にならないように腰掛けて水分補給をすることにした。

駅のホームから流れるメロディ。蝉の音、雑踏の声、クルマの音。日陰を抜けていく風が僕の身体を過ぎ去っていく。喉元を通り過ぎていく冷たい水。すぐに汗に変わってしまうだろうか。

「まぁ…教えてやらなくはないんだけど」

なんとなく、僕はそう口にしていた。そう思ったのはなんでだろう? 長引くこの夏の暑さに対しての抵抗からかもしれない。暇つぶしにはなるかもしれないしね、と僕は鼎くんにとっては失礼な事を思っている。ううん、そんな事はないよね。ほら、教えてあげる時点で。本気だったらまた会えるだろう。それは鼎くん次第。

僕は大きく伸びをして立ち上がった。駅のメロディがその合図だった。冬と違って、僕の体温はベンチに残る事はないだろう。夏の気温の上に僕は座っていたから。

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