音と、それと言葉。

「すンませーん」

音がしてんだから、誰かいるってことだ。それくらいのこたぁ俺でもわかる。ってことはつまりだ、つまり。ユーレイでもない限り誰かがピアノを弾いてたってことだよな? 俺はそう考えるワケ。んで、これはチャンスかもしれねぇ。

「おーい、誰かいんだろ?」

なんだあ? 反応が無ぇってのはどういうことだ? ユーレイの時間にゃ早すぎんだろうに。

「はい?」

ほらな、いるじゃねぇのやっぱり。俺は挨拶してからドアを開ける主義なんでね。すっとぼけただれかさんの返答のあとにドアを開く。ご対面といこうや。

だだっ広いオンガクシツだ。いつもの教室と違って天井も高けぇ〜のなんの。オンガクってのをするのに適した環境ってヤツなのかもな。

センコーはいねぇ。俺がいつもぐっすりキメちまう机の正面、これもまた楽譜? っつーのか、線? そーいうのが描き込まれた黒板がある。その横だ。俺はそこに向かってる。でけぇピアノんところに。ってことは?

「アンタが今のピアノ、弾いてたんだろ?」

ケツが痛くならなさそうな椅子に腰掛けた"ソイツ"にイチベツをくれてやる。

小せぇな、と一目でそれがわかった。多分タッパは俺と頭ひとつぐらい違うんじゃねぇか? 染めもしねぇ真っ黒な髪、髪型も優男って感じでキマっちゃいねぇな。学校指定の白の半袖シャツ、ボタンもキッチリ上まで留めてるやつなんてなかなか見かけねぇ。か?

「そうだよ。キミ…だれ?」

「まずは自分から名乗るのが礼儀ってのじゃねぇの?」

はぁ、とかなんとかため息をついて"おぼっちゃん"は言いやがる。

「僕は姫野。姫野司ひめのつかさだよ。キミは?」

姫野、ねぇ…。ま、それっぽいっちゃあそれっぽいかもしれねぇな。そういうツラだ、コイツは。お姫さまの姫野クンね。

「俺ぁ新城ってんだ。新城鼎あらしろかなえ

「ふぅ〜ん…珍しい名前だね。かなえ…かなえ…。あぁ、鼎か」

「なんだよ? 俺の名前がおかしいのかよ」

姫野の目は俺をまっすぐ見て、何か興味深そうな顔をしている。

「おかしくないよ、おかしいのはいきなりキミみたいな人がこんな時間の音楽室に突然来たことの方だろ?」

コイツ、見た目よりハッキリモノを言いやがるな…。少し意外だ。

「うっ…まぁ、その。なんだ。なんか聴こえたからよ…」

「聴こえた? 何が?」

「そりゃあお前! ピアノ以外なにがあんだよ」

「だろうね。弾いていたのは僕だよ。で? 何の用?」

シャクだがどうにも会話のペースは姫野が握っていやがる。気に食わねぇが、その辺は飲み込むのが筋ってもんかもしれねえ。

「オンガク…ってのはどうやってやんのか、知りてぇんだ」

姫野はいまにも「は?」とでも言いそうなツラで俺を見つめ直す。

「むつかしいかもね、それ」

姫野はちっとばかしマジなツラで俺に言う。

「俺みたいなのには無理だっつーこと? 見た目で判断してくれんなよ姫野クン」

俺は姫野に食ってかかる。じゃあオンガクやれてるオメーはどうなんだよってな口ぶりで。

「ううん。そうじゃないんだ。僕はね…」

姫野は椅子に座り直して、ピアノを弾き始める。なんの曲なのかはまったくわからねぇけど、俺みたいなトーシロにとってはキチンとしたオンガクそのものだ。滑らかな指、つい見入っちまう。それに気づいてか、姫野は演奏をやめて俺に言う。

「ピアノ、ずっとやってたんだ。小さい頃から。この椅子に足が付かない時からやってた」

「すげぇな、それ。じゃあもう10年選手ってことか?」

「そうだね」姫野は笑いながら言う。なんつーか、暗い笑顔だ。

「自分で始めたわけじゃないんだ。だから、 始め方ってわからないんだよね」

言いたいことはなんとなくわかる。だけどよ、ここで食い下がるのもシケた話だ。俺は質問を続ける。

「別にお前ぐらい上手くなりてぇってわけじゃねぇし…」

「向上心が無いのは良くないよ鼎くん」

今度はケラケラ笑っていやがる。コイツ、わかんねぇな…。

「どっちなんだよ、教えてくれんのか、教えてくれねーのか」

「そもそも初対面で先輩に向かってそんな言い方でいいのかな?」

「は? おま…え? 先輩?」

全然気がつきゃしなかった。この学校の制服はシャツの袖にラインが入る。そのラインの色で学年がわかるようになってんだった。

姫野の袖のラインは赤、ってことはいま三年だ。俺の袖のラインは緑、二年の俺は三年の姫野に生意気言っちまった格好になる。

「そんなにかしこまはなくても良いよ別に」

「いや…その…受験とかの邪魔しちゃ悪いし…」

「なんだよ急に。教えてほしいんじゃなかったの?」

上目遣いで姫野は言う。姫野センパイ、か。

「……また今度来る、いつもいんだろ? ここに」

ここはひとまず引き下がった方が無難だ、なんとなく俺の中の危機察知というか、そういうやつが働く。

「たまに、かな。また会う機会があれば。じゃあね鼎くん」

姫野はそう言うと立ち上がり、自分の方から手を振ってそそくさと去っていく。わからねぇ…。オンガクやるやつって、みんなこうなのか? 姫野の小さい背中を眺めながら、引き留めることも俺はしなかった。

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