第二章(3)

 まぁ、なんだ。生徒会が対処に追われてるという「騒動」とやらだが、わざわざ確かめるまでもなかった。

 期せずして、その直後に遭遇することになったからだ。


 再度歩きだして間もなく、馴染みのある声が俺の一人歩きを止めた。


「キョンくん! うかない顔して、どうしたのさ?」


 いつも通り、満月のように明るく輝く鶴屋さんの笑顔が俺の前に現れた。放課後にもかかわらず、彼女のエネルギーは微塵もすり減っていない。


「鶴屋さんこそ、こっちのエリアに何の用です?」と、彼女がこの学校の片隅にいる理由を聞いてみた。生徒が理由なくここにいることは珍しいからだ。


 鶴屋さんはにっこりと笑って、すぐ横にある化学実験室の方を指さした。


「ああ、補習でね。理科はちょっと苦手で。でも今日はなんだか、めがっさ面白い発見がありそうな気がするんだよね」


 その声は廊下に響き渡り、この人に特有な悩みのなさを物語っていた。


「へえ、そいつはまた大変そうですね」


「いやあ、悪かないよ。さっきなんて、皆とゼンゼン違う結果が出たんだから。見せてあげらんなくて残念だったよ!」


 同じ結果が求められてるはずの実験で、違った結果が出てしまうのはマズイんじゃないか? 化学物質の法則も、この人なら変えてしまいそうな気がするが。


「鶴屋さん、何をしてるんですか。実験は終わったの?」


 実験室から顔を出したのは、俺も去年教わったことのある化学教諭だ。神経質かつ単調な授業には定評があったっけ。


「うん、終わった終わった。結果なら、ここにまとめてありますよ?」


 戻っていく鶴屋さんの後について、俺はなんとなく、補習が行われている化学実験室を覗いてみることにした。そこでは彼女の他にも、色んなクラスから集められたらしい、数名の上級生が実験に勤しんでいた。


 黒板には「アルカリ金属と水の反応」と書いてある。

(後で長門に聞いたことだが、通常、カリウムやなんかの反応では熱と水素ガスが発生し、そのガスが着火してポッという小さな爆発音がするらしい。また、赤紫色の煙が出ることがあるとか何とか。)


 鶴谷さんが鉛筆書きしたプリントを熟読していた教師は、「こんな結果になるはずがないでしょう? ちゃんとやったの?」と少々ご立腹の様子だった。


 一体どんなことを書いたんだと覗きこむゆとりもなかった。すぐ他の生徒から驚嘆の声が上がったからだ。


 カリウムが水に触れた瞬間、予想された結果は全く起こらず、代わりにカラフルな色の煙がモクモクと立ち昇ったのである。赤、青、黄色、果ては緑へと色を変えていく。

 まるで、化学の授業が一変してマジックショーになったかのような光景だったな。文化祭ならドライアイスでも仕掛けてるんじゃないかと思うが、にしてもこの色は?


「えっと、お静かに……えっ、これは…!?」


 先生が私語を静めようとするが、煙は集まって雲のように厚くなり、上半身だけ人間みたいな形に見えた。顔もだんだんハッキリしてくる。

 何に似てるかっていうと、そうだな、俺がガキの頃、幼児向けアニメで見たランプの精だろう。俺は今にもこの煙が、家のシャミセンみたいに人語で喋りだすんじゃないかとヒヤヒヤしたね。


 鶴屋さんはその光景を見て大笑いし、「わあ、これって新しい魔法の実験ですか、先生?」と質問した。つられて和やかな笑いに包まれる者、さすがに変じゃないかと不安がる者。科学実験がまさかのマジックショーへと変貌を遂げるなど、誰も想像だにしなかった。


 結局、煙は1分と経たずに、ちりぢりに消えて収まった。あのイヤラシい親父顔は誰だったのかね?


 化学教諭は使った薬品に問題があったと思ったらしく、「別な薬品が混入したのかもしれません。新しいのを持ってきますから、もう一回やって」と。まあ人間、自分の目で見ても信じられないことがあるもんだ。


「キョンくん大丈夫かい? 顔色が悪いけど」


 鶴屋さんが心配そうに声をかけてきたが、俺はまだこの状況を受け入れられずにいた。


 もし、こんな現象が当たり前になっていったらどうなるのか? 確かに、この件には閉鎖空間も、地球外生命体も、タイムトラベルも関わっていない。でもこういうのこそ、あいつらが危惧して、全力で回避しようとしてたことじゃないのか? ここには魔法のランプもなければ、魔法学校でもないんだからな。


 実験室を後にする際、俺は鶴屋さんに感謝を伝えた。「本当に…今日は、珍しいものを見せてもらいました」と。彼女のおかげで、決心がついたからだ。


 涼宮ハルヒを、止めなければ。

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