人生はフィクションだ。

室尋

曝露す。

父が生きていると知ったのは

わたしが21歳の夏だった。


観測史上初の暑さだと、

毎朝テレビから流れる声に、聞き慣れてきた夏休み真っ只中、祖父の家へハンドルをとる。

「あんた、いっちゃん可愛がられてんやから、、」

いつもそのセリフと一緒に郵便物や手土産を持たせ、様子を見てこいと有無を言わせない祖母に、わたしはどうしても逆らえない。



ひとりだけ離れて暮らす祖父の長屋へは土の道が続く。その近くに車を停め、ドアを開けるとアスファルトから発せられる不愉快な暑さと湿気がどっと車内に流れ込んでくる。もう一度エンジンをかけたくなったが、家に帰りたいわけでもない。

観念して祖父の元へ向かって、ザッと土をふみしめた。この時まではいつもの訪問だった。


同じドアがズラっと並ぶ長屋。小窓に祖母手編みの赤い毛糸であんだ目隠しを目印に戸を叩くと

ガリガリだけど、若い時は男前だった面影を残した祖父が顔を出す。


顔も見せんで水臭いだの、腹は減ってるかだのいつものお約束のラリーをしたあと、仏壇に手を合わせたとき、何気に今まで言ったことない疑問を口にした。

「なぁ、じぃじぃ。」

“じぃじぃ”は、うまくおじいちゃんと呼べなかった幼いわたしの発音を祖父が気に入って、ずっと自らの呼び名として定着させてきた。「英語の発音ができる赤子は天才じゃ。俺の事をグランパの“G”で呼んだぞ」と、はしゃいでいたらしい。


「じぃじぃ、、、

 わたし父親の墓参りとかしたことないねんけど、

 さすがにそれはそろそろあかんくない?」

なんで、今更そんなことを言ったのか分からなかったが、20歳も1年以上前に過ぎ、大学も終わろうとしていて、自分の発祥を確認したい衝動があったのかもしれない。



溺愛する孫娘の歓迎に、祖父大好物の鯖缶とアニメでしか見た事ないような山盛りご飯を、1人用のちゃぶ台に置こうとしていた祖父が、こちらに目を向けることなく返事した。

「お前の父親は生きとろぅが。」



「パパは2歳の時死んでん。」

母の言葉が記憶の中でリフレインした。


どこかへ出かけた帰りの車の中で

「あんたさ、パパに会いたい?」

おもむろに母が後部座席のわたしに聞いてきたことがあった。小学校の高学年の頃だったろうか、どう答えるのがこの場合正解なのか、一人っ子あるあるの大人の顔色を見ながら色々シミュレーションしたけれど、

「会えるんやったら、そら会いたいよ」

直球で答えてみた。


沈黙の母の後頭部を眺めながら、答えミスったかなと言葉を付け加えようとした時、

「でもな、あんたの父親は死んでん。」

「だから、会いたいと思っても無理やねん」

「どうしたって、無理。」

抑揚の無い言葉で返事をきいて、

「どないやねん。ほな、なんで聞いてんな。」

咄嗟に母の肩を叩いて、笑いにした場面が思い出された。

たしかに違和感はのこっていたけど、

その言葉をずっと素直に信じてきた。


「なんじゃ、おまえさん。

 まだ本当のこと聞いとらんかったのか。」


固まっているわたしに気づくことなく、


「お前さんの父親はえぇー男じゃったがのー。

 ほーか、知らんかったか!

 そらぁ、えらいことしちまったかなぁ!」

笑いが咳に変わるほどひとしきり笑ったら

「まぁもう21じゃろう。本当のことも知らんとな。」

もうその話に興味をなくしたとばかりに、はよ食えと鯖缶と山盛り飯を押し出してきた。


帰りの車の中のわたしは、まるで通夜だった。


父が生きて?

生きていたなら、なぜ会いにこない?

どうして?

この地獄から救い出しには来てくれないのだろう。


祖父の前で平然としていた分、パニックは凝縮され頭を駆け巡る。

なにかを考えているのに、

何も考えられないまま

わたしの家ではない、祖母の待つ家にハンドルを切るしかなかった。




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人生はフィクションだ。 室尋 @RootlessLife

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