怒鳴り合い


 両親から聞いた話によると、うちのまな板はとてもいいまな板で、祖父母の代からうちに伝わる由緒正しいまな板であるらしい。

 本当かどうかは知らないけど、少なくとも私が物心ついた頃からうちに存在していたことは確かだった。

 両親が死んで、兄貴と二人で生きていかなければならなくなった時、一番困ったのが実は料理だった。

 私もだが兄貴も料理はてんで駄目だったのだ、それでも二人で頑張って切磋琢磨し頑張った。

 最初は何度も指を切ったし、火を使えば火傷もした、手洗いその他を怠ったせいで兄妹そろって酷い食中毒になってのたうちまわった日もあった。

 そんな情けない私達に使われつつ、少しずつ料理の腕を上げていく私達兄妹をずっと見守ってくれていたまな板ちゃんが今、哀れ真っ二つに。

 ちょっと泣いた。

「お前どうしてくれるんだようちのまな板!!! これしかないのに!! うわああああああぁぁぁぁああ、もう見事に真っ二つじゃん、ばっかじゃねえの!!?」

「ご、ごめん……」

「ごめんで済んだら!! 警察はいらない!! ああああああぁぁぁあ、もう!! これ結構古いしかなりいいやつらしいのに!!」

 全力でシャウトしてたら玄関から物音が。

「ただいま、どうし」

「おかえり!! ねえ聞いてよ兄貴!! 網川がうちのまな板ぶっ壊した!! 見てよこれ、かわいそうなほど真っ二つ!!」

 わーわー騒ぎながら帰ってきた兄貴に真っ二つになったまな板を指さした。

「お、おう……こりゃあ見事に真っ二つになってんなあ……てかなんでミズガネ先輩が」

「はあ!!? 兄貴こいつのこと先輩呼ばわりしてんの!!? 私のタメなのに!!?」

「一応そっちの方が狩人としては先輩だからな。それでなんだってミズガネ先輩がうちのまな板を真っ二つにする羽目に?」

「うちの包丁の切れ味が悪いって急に切れ散らかして、自分の『部位』使ってズドン、って!! やっぱり全部自分で切ればよかった!! 余計な気ぃ使いやがって!! これじゃありがた迷惑だ!!」

 そう叫びながら網川の顔をびしりと指差すと、網川の目が急に座った。

「……そもそもお前がいきなり自分で自分の手をナイフでぶっ刺したのが悪いんだろうが!!」

「うっさい!! 確かに元凶はそれだけどそれとこれは話が別!! なんでうちの包丁が切りにくいからっていきなりブチ切れて自分の『部位』使うんだよ!! 使うにしても手加減しろよてめえの手だろ切れ味くらい把握しとけバカ!!」

「あぁ!!? というかおまえが」

「うっさいおまえが!!」

 なんて、ぎゃあぎゃあ言い合っていたら、兄貴が間に入ってくる。

「どうどう、お前らちょっと落ち着け。互いの言い分はなんとなーくわかったから…………で? 何があった? お兄ちゃんに最初から話してみろや?」

『で?』のあたりで兄貴が荒まじい怒気を放ってきやがった。

 慣れているとはいえ、というかだからこそこれはやばいと黙り込む。

 網川もそこまで馬鹿ではなかったようで、押し黙っていた。


「…………つまり、スズがミズガネ先輩を錆び付かせるために左手をナイフでぶっ刺して負傷。話を聞かないスズの所業を俺にチクるためにうちまでついてきたミズガネ先輩が、手を怪我してるくせに無謀にも玉ねぎの微塵切りにチャレンジしたスズを止めて代わりにたまねぎを切ろうとして……うちの包丁の切れ味が悪いからと自分の『部位』を使った結果、まな板を真っ二つにした、と?」

 私は首を縦に振った、網川と動きがシンクロしたのですごく嫌だった。

 兄貴は私と網川の顔を交互に見てから、私の方に顔を向けて深々と溜息を吐く。

「九割お前のせいじゃねーか」

「まず残りの一割を怒って欲しい」

 そう言ったら拳骨を食らった。

 当然のように手加減されたけど、痛い。

「お前なあ……」

「取り返しのつかない実害があったのまな板だけじゃん……錆びたのは使えば戻るんでしょ、どうせ」

「お前の錆がどれだけ頑固で取れにくいのかはお前もわかってんだろうが。一般人相手なら別にいいがミズガネ先輩は俺と同じ狩人だぞ、普通に命取りじゃボケ」

 もっかい拳骨を食らった。

「いった……切り離しときゃ勝手に砥がれるんでしょ、ならそれでいいじゃん」

「確かにその通りだがその方法だと時間がかかるんだよ……あー、もう、すまないミズガネ先輩、うちの愚妹が迷惑かけて……このあと時間があればその錆落とす手伝いするけど……」

「手伝ってくれるのならその方がありがたい……こんなに錆びたの初めてだし、かなり頑固そうな錆だから」

「錆落とすって何すんの、一緒に生体金属でも狩りにいくの?」

「いや? 普通に手合わせ」

「は? 兄貴、私の同級生を殺す気か?」

「なんで??」

「兄貴、人間相手に手加減なんてできんの? 無理でしょ?」

「そんくらいできるわボケ」

 もう一回拳骨を喰らう。

「いったいなあ、もう……けど無理だって、絶対。だってこいつめっちゃ錆びてるんだよ? んで兄貴は超強いの。一方的にボコって終わりに決まってんじゃん」

「ミズガネ先輩も超強いから問題ないんだよ」

「嘘つけ。こいつナイフとマシンガンと包丁じゃん、兄貴の方が何十倍も強いに決まってる」

「それだけじゃねーから問題な……って、話さないほうがいいか?」

 兄貴が『やっべ、しまった』って顔で網川の顔を見ると、網川は首を横に振ってから『べつにいい』と。

「調べれば分かる事だし、隠しても意味ないから」

「そうか、ならよかった。……ってわけでミズガネ先輩はナイフとかだけじゃなくて他にも色々『部位』持ってるし、どれも一級品だから問題ないんだ」

「色々って、そんな大袈裟な……多くてもせいぜいあと一つか二つ程度だろ……で? 具体的に他には何があるんだよ」

 と、即答できるはずの質問を投げかけたのに、網川は何故かだんまりのまま何かを考え込む。

「……わからない」

「は?」

 長考の末に帰ってきた答えに、思わず睨んでしまった。

 わからないわけがないだろうが、こっちが不良品だからって馬鹿にしてんのか?

 なんてメンチを切ろうとしたところで兄貴にやんわりと止められる。

「訳ありなんだよお前と一緒で。口で言ってもどうせ信じないだろうから、見たほうが早いな」

「はあ」

「つーわけでミズガネ先輩、こいつも見学させるけどそれでいいか?」

「構わないよ。……とはいっても、どこでやるつもり?」

「んー、いちいち訓練所行くのも面倒だから、うちの庭で」

「わかった」

「うちの庭、今雑草でボッサボサだけど」

 広さは十分な気がするけど、手合わせなんてできる環境じゃない事を言うと、兄貴は『やっべ、忘れてた』と呟いてから、すごい申し訳なさそうな顔で網川に向き合った。

「そうだった……この前草抜きサボったんだった……ミズガネ先輩……こんなん頼むのどうかと思うが、芝刈り機とかあったりする……?」

 何をいっているんだうちの兄貴は。

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