ソードブレイカー(後編)

「……多少の手加減は出来ると思いますが、断言は出来ません。兄の左腕はこれでも妖刀……刀剣類では最強の部類に入る『部位』だったのですがこの通りです。これよりも酷い状態になることを……あなたは覚悟できますか?」

 無残なほど錆びた刀と、夫の左手を見比べる。

 夫の手が、こうなる。

 ひょっとしたら、もっと酷い状態に。

 あの優しかった手が、自分を守ってくれた手が。

「……顔色が悪いですよ。真っ青です。ならやめておいたほうがいい、きっと後悔しますよ。それでもどうしても弔いたいと……二度と使えないように錆付かせたいというのなら、時間がかかってでもあなたが」

「……っ!!? ダメなんです……!! それじゃあ、絶対にあいつらに盗られてしまう……!!」

 言葉を遮って叫んでいた。

 ダメだわたし、くじけるなとうに覚悟は決めたはずなのだから。

 奪われるくらいならと覚悟を決めたのだから。

「……あいつら、とは?」

「……夫の弟と、母親に。夫は生前砥が人専門の狩人で……ご覧の通りとてもとても頑丈で強い人だったので……」

 そう言って、夫とその家族のことをぼそぼそと途切れ途切れに説明した。

 危険区画での砥が人との戦闘中に夫が命を落としたこと。

 戻って来たのがこの左手だけであったということ。

 武器として頑丈で強い夫の左手を、夫の弟が遊びで作った借金を返すために売り払えと命じられたこと。

 全部話し切った頃には泣きそうになっていた。

「……よくある話ではありますが……酷い話ですね…………そういう外道がいるからこの仕事が中々やめられないんです」

「……よくあるはなしなんですか?」

 呆れと侮蔑の混じった表情でそう言った店主さんに思わず聞き返していた。

 うちだけだと思っていたのだ、こんな酷い話は。

 だから、身内の『部位』をくだらないことで売り払えと命じる外道が、あの家の人間の他にいるのかと。

「ええ。うちに来る客の半分くらいがそういう理由できますよ。借金のカタにされそうになっていたり、貴重だ強力だからと大金で売り払われそうになっていたり」

「はんぶん、も?」

「ええ。半分もと考えるべきなのか、半分しかと考えるべきなのかは私では判断できませんが……大切な誰かを売り物にされないように、消費されないようにと完全に錆び付かせてしまいたい、と願う人はあなたのような普通で真っ当な人が思っているよりも多いのですよ」

 そう言って店主さんは深々と溜息を吐いた。


「……それで、どうします?」

 知らなかった、というか知りたくもなかったこの世の汚い事に頭をぐるぐると悩ませていたら店主さんにそう問いかけられた。

 どうする、か。どうすればいいのだろうか?

 無残なほどに錆び付いた刀をもう一度見る。夫が、こうなる。

 今はもう冷たく鋭いだけの刃物だけれど、それでもこのはずっとわたしを守ってくれたものだった。

 それがこうなる、錆に覆われるどころか、錆そのものになって崩れ落ちるかもしれない。

「…………それでも」

 それでも、こうなればきっと夫の母と弟は諦めるだろう、こんな錆クズに価値はないと諦めてくれるだろう。

 そうすれば、もう奪われる心配だけはしなくていい、毎夜毎夜このを奪われたその瞬間を夢に見る必要もなくなる。

 例え醜い錆の塊になろうとも、わたしはせめてあの人が残したものを抱えていきたい。

 そして願わくば、わたしの寿命が尽きたその時に、同じ墓の中で眠りたい。

 だからもう一度だけ彼の手を撫でてから、意を決して店主さんに頭を下げる。

「お願いします」

 店主さんは少しだけ悲しそうな、どこか空っぽな顔でわたしを見つめ、静かにこういった。

「承りました」

 

「……生者の『部位』と違って死者の『部位』は錆びにくい反面、一度ついた錆を落とすことはほぼ不可能です。ですのでもう二度とこのソードブレイカー旦那様の左手を元の状態に戻すことはできなくなりますが……本当に、本当によろしいですか?」

 そう聞いてきた店主さんに無言で首を縦に振って、夫の手を差し出した。

「では……お預かりいたします」

 夫の手を店主さんに渡す、その時に触れた彼女の手はびっくりするほど暖かかった。

 弱い『部位』しか切り離せない人の体温は常人よりも暖かい、というのは一般常識ではあるけど、それを考慮しても暖かかった、というか熱いくらいだった。

 ひょっとして風邪でもひいているのではないだろうかと思わず店主さんの顔を見るが、特に体調が悪そうな雰囲気はない。

「どうかされましたか?」

「あ……いえその……手、が……とても暖かかったので……熱でもあるんじゃないかと、って」

「ああ……私、体温高い方でして……平熱が三十六度五分くらいなんですよね」

「さ、さんじゅうろくどごぶ?」

 『部位』の強さやらどれだけ砥がれているかによって人の体温は結構変わるというけど、三十六度越えが平熱扱いになる人って滅多にいないのでは?

 だって三十六度って言ったら、以前わたしがインフルエンザにかかった時の体温とほぼ変わらない。

「……私からするとあなたたちの方が冷たすぎるんですけどね……まあそれはいいです。とにかく風邪ひいてたりするわけではないのでご安心ください」

「は、はい……」

 本当に大丈夫なのだろうか、実は苦しいのを我慢してたりしないだろうかと思ったけれど店主さんの顔色を見ても体調が悪そうには見えなかったので、ひとまずその言葉を信じることにした。


 店主さんはお兄さんの左腕であるという妖刀を白い布に丁寧に包んで、元の場所に戻した。

 そしてその近くの棚から真っ白で綺麗な布を取って、テーブルに敷く。

 その真ん中に店主さんが夫の左手をゆっくりと静かに置いたところで、店員さんが声を上げた

「あ、待って」

 店員さんはそう言ってから自分の右手の薬指を引っこ抜いた。

 そうして切り離されたのは刃が薄くて鋭くてとてもよく切れそうな綺麗なナイフだった。

「はい」

 店員さんはにこにこと笑いながらそのナイフを店主さんに差し出す。

「いりません、結構です。あなたは使いたくない」

「えー? なんで? よく切れるし薄くて鋭いから痛みもそんなにないよ?」

 店員さんはぐいぐいと店主さんに自分の薬指ナイフを押し付けようとするけど、店主さんは頑なに受け取らなかった。

「とにかくいりません。あなたはそのくらいが丁度いいんです。あなた錆びると性格悪くなりますし」

「ひどいなあ……どうしても嫌かい? 目と脚が結構使われてるっぽいからそろそろ僕、砥が人になっちゃうかもしれないよ? いいの?」

「まだ大丈夫でしょう。……それに、わざわざ血を使うほどでもないですし」

「え……目と、脚……?」

 思わず会話に割り込んでいた。

 ついでに砥が人になりそうとかいうワードも聞き捨てならない。

「あ……えーっと、その……昔色々あって……私のせいで盗られたんですよ、彼の左目と左脚……目は義眼で足も義足……」

 罰の悪そうな、苦虫を噛むような顔で店主さんはそう言った。

「と……盗られちゃったんですか!? 二箇所も!? え、ちょっとまってください、大丈夫なんですか!!?」

 思わず店員さんの顔を凝視してしまった。

 確かに言われてみると彼の目は左右で少し色が違うし、左目を改めてよく見ると確かに義眼っぽい。

 脚の方は長ズボンを履いているから全く気づかなかった。

 というかこの店員さん、三ヶ所も切り離せるのかということにも地味に驚くし、そのうちの二つも盗られてしまっているとか、結構やばい気がする。

 切り離した『部位』は使えば使うだけ砥がれていく、砥がれ過ぎれば人間は砥が人に成り果てる、そうなったらもうどうしようもない、殺すしかなくなるのだ。

 二箇所も盗られて、更にそれが使われ続けているというのなら……今この瞬間に砥が人になってもおかしくはない。

「大丈夫です。定期的に私が錆付かせてるのでご心配なさらず。急に酷使されたとしても、最悪私の血を飲めばなんとかなりますので」

「そ、そうなんですか……」

「ええ。今だって適度な状態なんですよ? 錆びすぎるのも身体に毒ですから。特に彼はとても性格が悪いので……少し砥がれてるくらいがちょうどいいんです」

「……そんなに性格悪いかな?」

 店員さんが心外そうな顔でそう言うと、店主さんは呆れたような顔で肩をすくめた。

「自覚がないんですか? 悪いですよ、すごく。とにかく怒りっぽいですし、すぐに拗ねますし……あとねちっこいです、とっても」

「…………君の方が大概だと思うけど。それに僕が怒るのは君が無茶苦茶だからだよ?」

「それ、気のせいですよ。昔は確かに色々とアレでしたが今の私は普通です」

「今の僕に怒りの感情はほとんどないのだけど……それはない、ということだけは理解できるんだけどな」

「気のせいですよ気のせい……と、話が脱線しましたね。とにかくあなたを使う気はないのでさっさと戻してください」

 店主さんがしっしと手を振ると、店員さんは諦めたような表情で指を元に戻した。

「……わかったよ。でも、どうしてもというならその人は使わないで欲しいな。君の肌を他の男の刃が裂くと思うと……すごく嫌なんだよね。触るだけでも不愉快なのに」

「毎度思いますが相変わらずよくわからない嫉妬心ですね。仕方ありません、いつもの使います」

 と、店主さんはエプロンをごそごそして、どこか古ぼけた印象のナイフを取り出した。

 アンティークと呼ぶほどではないのだろうけど随分と古いナイフだ。

 こう言ったものを見る目は一切ないのだけど、よく使い込まれているのであろうことはなんとなくわかった。

 そのナイフを目にした店員さんが、本当に一瞬だけ怨敵でも見るような表情をしたのは、きっと気のせいではないのだろう。

「……また、それか」

「ええまあいつものです。……まさかとは思いますけど、これにまで嫉妬してませんよね、流石に」

「当然してるけど?」

「……うーん、やっぱり意味がわからない……おま、じゃなくて貴方の性癖おかしいですよ」

 店主さんは苦々しくそう言って、ナイフと店員さんを見比べた。

「おかしくないと思うけど……まあ君にはわからないか」

「ええ、さっぱり……まあいいです、ごめんなさい長々と。あらためて今から弔いを始めようと思いますが、よろしいですか?」

 ナイフを鞘から抜きながら店主さんがこちらを見た。

 本当にいいのかと視線が投げかけられる。

 意を決して首を縦に振る。

「はい。お願いします」

「わかりました。……あ、えっと今更なんですけど、特に儀式的な何かは行いませんのでご了承を。私の血を刃にちょっと塗るだけで終わりです」

「あ、はい……それは大丈夫です……」

 むしろ宗教色がないことにかえって安心する。

 大戦よりもずっと前から残り続けている大手の古い宗教以外は基本的にカルトだったり怪しいやつなので。

「わかりました。……では、はじめさせていただきます」

 そう言ってから店主さんは一度だけ深く深呼吸をした。

 そうしてナイフの切っ先を左手の人差し指に押し付けた。

 小さく、それでも深い傷口から血がぷくりと溢れ出す。

 その赤く膨れた傷口で、店主さんは夫のをつーっとなぞった。

 赤い血が、夫のに薄く付着する。

 変化はすぐに起きた。

 血が付着した部分からじわじわと呪いのように錆が広がり、刀身全てを覆い尽くす。

 刃の切っ先がボロボロに崩れかけ、砂のような欠片が布に落ちる。

 思わず悲鳴をあげかけたけど、どうにか堪えた。

 柄の部分まで錆が侵食したところでようやく変化が止まった。

 刃は切っ先がボロボロで全体的に崩れかけているけど、それでも折れることはなかった。

「これで終わりです」

 店主さんがいやに落ち着いた静かな声でそう告げる。

 わたしは変わり果てた夫のを見て、泣き叫びたくなる衝動をかろうじて押さえつけてから『ありがとうございます』と頭を深く下げた。


「なるべく加減をしたので形は残っていますが、かなり脆くなっています。なのでお持ち帰りの際はどうか気をつけてください」

 店主さんの言葉に顔を上げて、無言で頷いた。

 そうして目を背けたくなるほどボロボロになった夫のに触れる。

「あ……」

 暖かかった。

 錆び付いた直後だからなのか、冷たかったはずの夫のはひどく暖かかった。

 そのぬくもりによって、自分が一気に錆び付いていくのがわかった。

 砥がれていたことで感じなくなっていた感情が、悲しみが、痛みが、絶望が、一気に溢れ出す。

 同時に涙が溢れる、止めたかったのに止まらなかった。

 その時、暖かい手がわたしの指先を夫のから引き剥がす。

「今はまだ直接触らない方がいいです。……私の血は生者にも効くので……その影響が残っているうちは……辛いでしょうから」

 引き剥がした手はすぐにわたしの手から離れていった。

 それでも指先に残ったぬくもりは消えなかったし、錆び付いたせいで感情をコントロールできなくなったわたしは、その場で子供のように泣き崩れてしまった。

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