弔い錆
朝霧
ソードブレイカー
ソードブレイカー(前編)
わたしはようやくその店に辿り着いた。
ネット上に漂っていた都市伝説に縋り、追っ手を巻き三日かけてやっと辿り着いたのだ。
その店の外観は、小綺麗で小さな建物だった。
調べた情報によると数年前に建て替えたばかりの店であるらしい。
看板にはシンプルで読みやすい字で『古書店とむら』と書かれていて、その横に何故か下手くそな……何だろうかこれは?
「うさぎ……いや、ねこ……?」
眺めているうちに犬っぽいような気もしてきた。
まあそんな看板の謎の生物はどうでもいい。
意を決して古書店のドアを開く。
からんころん、とやけに上質な鐘の音が響いた。
店の中は整然としていた。
設備は全て近所にある新古書店のものとほぼ同じだった。
本棚もスチール製で、ところどころにローラー付きの台が置かれている。
だが、棚の中に収められている本のほとんどがいわゆる新書や文庫本ではなく古めかしい書物だった。
あの第四次世界大戦で多くのものが失われたと小学校の授業で習ったような気がするのだが、案外まだいろんなものが残されているのかもしれない。
もしくはここの店主が相当のマニアであるのか。
「いらっしゃいませ」
気怠げな女性の声が店の奥から聞こえてきてハッとする。
奥に進むと小さなレジがあり、そこに『古書店とむら』という文字と先ほどの看板の謎の生物が描かれたエプロンをつけた女性が立っていた。
歳の頃は自分よりも少し下……おそらく二十代半ばだろう。
落ち着いた雰囲気の女性ではあったが、どこかとげとげしさをその女性から感じた。
「ええと、あの……」
女性に話しかけようとして別の方向からの視線に気付く。
本の整理をしていたと思しき男性の店員がこちらを見ていた。
その店員も女性と同じエプロンをつけている。
やけに綺麗な男だった、年齢はおそらくレジの女性と同世代で、どうやって手入れしているのかと咄嗟に聞きたくなるほどの見事な黒髪を首の下あたりで無造作にくくっている。
その端正な顔をしているが表情がかなり薄い、こちらを見る目もまるで監視カメラのレンズのようで少し怖い。
表情の薄さから、なんとなく砥がれすぎているのだろうか、と思った。
噂が本当ならそんな状態の店員がいるのは少しおかしい気がする、と心の中であの噂話を否定する声が上がる。
それでもこの可能性に賭けてここまで来たのだ。
せめて真偽だけでも確かめないと。
「あの、すみません!」
意を決してレジの女性店員に声をかける。
自分で思っていたよりも声が大きめに響いてしまって、少し恥ずかしかった。
「はい、なんでしょうか?」
「こちらのお店、副業もなさっているという噂話を聞いたのですが、本当でしょうか?」
そう問いかけた瞬間、こちらに殺意が向けられた。
あまりにも重苦しい殺意だった、息が詰まって窒息しそうだ。
「おいバカやめろ。落ち着けこのバカ」
レジの女性店員が今までの少し気怠げな接客スタイルをかなぐり捨てて、低くてドスの効いた声を上げた。
多分こちらが素なのだろうなとぼんやりと現実逃避に思った。
殺意の主は男性店員だった、先程までの監視カメラのレンズのように無機質だった瞳には敵意が滲み出ている。
「申し訳ございません、お客様。こい……ではなく彼は少々神経質でして、番犬代わりにはちょうどいいのですが接客には全く向かないダメ人間でして……」
ぺこりと頭を下げた女性店員に思わずあたふたしていたら、女性店員が頭を上げてこちらにこう問いかけた。
「それで、噂話というのは? 確かにこの店、というか私はちょっとした副業を行なっていますが……どのような噂話を?」
そうか彼女がそうなのか。
ならば彼女は店員ではなくて……
「こちらのお店の店主さんは……副業で死者が残した『部位リージョン』に弔いを行なっていると……」
そう、その噂話に縋ってここまでやって来たのだ。
わたしではどうにもできない……夫の左手を弔いを行う為に。
「……確かに、そういったお仕事を時折頼まれることがあります。やはり人の口に戸は立てられないのでしょうね。一応、口外せぬよう頼んでいるのですけど」
「ほ、本当なんですね……!!」
心から安堵する、ああ、良かった本当のことだった。
「ええ。……ですが代価と覚悟は十分でしょうか?」
「……はい」
代価は用意した、覚悟も……多分できている。
店主さんはこちらの顔をちらりと見て、次に男性店員の方を向いた。
「お店閉じてください。本当はあなた一人に店番頼みたいのですが、どうせ拒否するのでしょう?」
「うん、わかったよ。……拒否するに決まっているじゃないか、あんな仕事本当なら受けさせたくないし」
「ですよね……本来のあなたなら私をぶん殴ってでも止めていたでしょうから」
「そこまでわかっていて引き受ける君は、やっぱり捻くれ者の愚か者だね」
「だまらっしゃい。さっさと看板ひっくり返してこい。……っと、申し訳ありません」
思わず素で話してしまったらしい店主さんがまたぺこりと頭を下げる。
「い、いえ、だいじょぶです……」
どうでもいいことで謝られるのが少し苦手なのでまたちょっとアワアワしてたら、頭を上げた店主さんが冷静な声でこう告げた。
「では、詳しい話はこちらで」
通されたのは店の奥にある小さな部屋だった。
そこに用意されていた椅子にテーブルを挟んで座らされた。
「それで、弔いたい物は?」
「夫の左手です……武器型で、ナイフです」
鞄の奥底に隠すように押し込んでいたそれを引っ張り出して、くるんでいた布を解いてテーブルの上にそっと置いた。
櫛状の峰を持つ大振りなナイフ。
刀剣にはあまり詳しくないのだけど、ソードブレイカーという種類になるらしい。
生身の頃は冷たいけど大きくて優しい手だった。
わたしの手を引いてくれた手で、少しだけ不器用に頭を撫でてくれた手だ。
「ほう……ソードブレイカーですね。随分と頑丈そうな……」
「……僕のが強いし綺麗だし万能だし」
ボソッと呟いた男性店員の顔を店主さんはぎっと睨みあげた。
「あなたは黙っていてください。…………刀身が少しだけ錆びていますね、これはあなたが?」
「はい。……でも、わたしの血じゃ追いつかなくて……」
最初はわたしだけでどうにかしようと思っていたのだけど、わたしの血ではどう考えてもとんでもない時間がかかってしまうのだ。
長い時間をかける余裕はなかった、そうでなければいつか確実に。
「そうですか。ちなみにあなたは?」
「掃除機です。左脚が」
椅子から立ち上がって、両手で左脚を引っ張って切り離す。
淡い光に包まれた後、掃除機に変化した左脚を見た店主さんが目をまん丸にした。
「ず……随分強力そうな掃除機ですね……ゴツい……」
「はい……強すぎてフローリングが剥がれることもありますので……一応、道具型なんですけどねー……」
子供の頃に廊下を掃除しようとしたらメシャゴキととんでもない音を立てながらフローリングがバッキバキに剥がれたのは今でもトラウマだった。
……話のネタには使えるのだけど。
「うわあ……パワフルですね……」
「武器として使えないこともなくはないのですが……あんまり役には」
「そうですか……」
掃除機を左脚に戻して椅子にもう一度座る。
「確かにあなたは強い『部位』をお持ちのようなので、錆付かせるには時間がかかるでしょう……特にこちらのソードブレイカーは随分と頑丈そうというか屈強というか……」
「はい……」
現にあの人が亡くなってから何度も手首を切ったのだけど、うっすらと一部に錆が付着しただけだ。
このペースじゃあ間に合わない、いつか奪い取られてしまうだろう。
「自分だけでは時間がかかりそうだから、私の噂を聞きつけてここまでやってきたというわけですか」
「はい」
「なるほど……わかりました。事情はなんとなくわかったので……覚悟を決めてもらいましょうか」
と言って店主さんは立ち上がって、部屋の片隅のタンスから、白い布に包まれた何かを取り出して、テーブルの上に置く。
そして随分と慎重な手付きで布を解いた。
「ひっ!!?」
思わず悲鳴をあげていた。
布の中身は、刀らしきものだった。
だけど、その状態があまりにもひどい。
刀身が無残なほど錆びていて、全体的にボロボロ。
しかもその刃は真ん中で折れていて、軽く叩いただけでぼろりと脆くばらばらに砕けてしまいそうだった。
「こ……これは…………」
「私の兄です。死んだ兄の左腕」
惨いほど錆付いた刀身を指先だけでそっと撫でて、店主さんは低い声でそう言った。
「お兄さん、なんですか……?」
「ええ。……惨いと思います? 『ここまでする必要はないだろう』と」
「……はい」
噂には聞いていたが、まさかこれほどまでとは。
だってあんまりな状態だった、ここまでしなくても十分ではないのだろうか?
「……私もそう思うんですけどね。でもダメなんです、加減が効かないんです。私の血は特に死者の『部位』に対して強すぎるんです」
「そんな……」
そう言った店主さんの顔色は暗かった。
強い『部位』を切り離すことができる人間ほど他者を錆付かせる力は弱くなる。
ならきっと彼女はその逆で、とても弱いのだろう。
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