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 決戦の日。

 まだかすかに寒さが残る朝早くから、彼らは景色をさえぎるものが何一つない、名もない平野に集まった。

 あまりにもありふれていて特徴らしい特徴のないこの地には、何もないし、何もいない。いずれここで展開される地獄から逃げるように。

 開かれた世界の中に、彼らが微生物のようにぽつぽつといるだけだ。


 空気そのものは重苦しいが、その重圧に反して当人たちの表情は穏やかだ。

 とてもこれから死ににいく人の顔ではない。あるいは、己の死を受け入れているからこそか。

 この大一番を前にしても、歴戦の猛者は自分のペースを崩すことなく、あくまで自然体で待機している。

 彼らの背には、一様に重量感のある武器が担がれてある。多くは大剣の形をとっているが、中には槍や鎌、珍しいものではこん棒のような形状の得物を手にする人もいる。


 物騒な集団の目的はただ一つ、アンノウンと呼ばれる正体不明生物の討伐である。

 およそ半年前、今は亡きとある国に出現したアンノウンは一か月と経たずにその国を滅ぼし、それから驚異的なスピードで地図上から多くの地名を消していった。

 各国の抱える軍も祖国を守るのに手一杯で、どこも攻勢に転じずに徐々に弱っていった。

 ジリ貧な苦境を打破すべく集められたのが、この平野に集う者たちだった。

 彼らは各国の最前線で好成績を挙げた数少ない英雄であり、人類の希望の星そのものといえる。


「…………よくぞ来てくれた」


 参戦予定の全員が到着したのを認めて、胸部にいくつもの派手なバッジをつけた大男が、朗らかながら威圧感のある声で切り出した。

 この男こそが、アンノウン討伐軍の指揮官である。

 若干名、意識が大男に向いていないが、構わず続け……ようとして、最重要人物がそこに含まれているのに気づいた。

 戦いの要が明後日の方を向くのはさすがに看過できないようで、「ゴホンッ!」とあえて強めに咳払いをした。

 露骨に反応を促される動きをされると無視できなかったのか、その最重要人物も大男に視線を合わせる。

 全員の意識が大男に向くのを待って、ようやく切り出した。


「改めて、誰一人欠けることなくこの地に集ってくれたこと、心よりうれしく思う。これより、我々は決死隊となって世界の平和を脅かす化物──アンノウンと大いなる戦いを繰り広げる!

 ここにいる皆はとうの昔にわかっていると思うが、あえて声を大にして言おう。……我々に敗北は許されない!

 なぜなら、我々の敗北がそのまま人類の敗北につながるからだ。すでにいくつかの国は再起不能なまでの打撃を受けていて、その国の民は今日をしのげるかもわからないような不安の只中にいる。ここで我々が負けてしまえば、我々の祖国もきっと同じ末路を迎え、さらには人類全体が存続の危機にさらされる。このようなことは絶対にあってはなら──」

「あの」


 大男の熱弁を割り込むようにして、(この面子の中では)小柄な少年がさっと手を挙げる。

 持っているのは実戦にはやや不向きそうな細剣で、これも例にもれず普通のものよりも二回りほど大きい。しかも全体的に複雑な装飾が施されていて、それがどうにも扱いにくそうな印象を与える。

 まさかの横やりを受けた大男は一瞬だけぎょっとするが、すぐに元のいかめしい顔つきに戻る。

 指揮官という絶対的な立場をもってしても、英雄御一行の自由奔放さは御しきれないようだ。


「む……。どうかしたか?」

「おっしゃることはよく理解できるのですが、敵はもうすぐ近くまで迫っています。

 なくてもいい演説よりも先に、必ずやっておくべきことを済ませておくべきではないでしょうか」


 また顔をしかめる。

 そしてまたすぐに立ち直り、


「なくてもいいとは聞き捨てならんな。だが、今回はお前が正しい。よし!

 では作戦を発表する! 皆、心の準備はいいな?」


 一人ひとりの真剣なまなざし──例外あり──をそれぞれ一瞥して、大男は何度か大きくうなづいた。

 どうやら大きいのは体格だけではないようだ。

 咳払いを一つはさみ、


「では早速始めるとしよう!

 まず、本戦場における主戦力部隊──主攻を担う者たちを発表する。リーダーをロンセ、補助役にノロー、デタック。他にコデヤン、レネギ、パトラ、ゲイツ、ブイバー、コメイ、カンテラ……以上だ。

 何か異論がある者はいるか? これは大事なことだ、遠慮なく申すといい」

「なら自分から一つよろしいでしょうか?」


 ビシッと腕を伸ばした青年が、はつらつに訊ねる。

 この場にいる多くが覚悟を決めた顔をしているが、この青年だけは違った。

 先に断っておくと、彼はまだ覚悟を決めていないのではない。むしろ、誰よりも現実を重く、そして深く受け止めている。

 その上で、彼は目をぎらつかせている。

「やってやるぞ!」と、その熱意ある瞳が雄弁に訴えている。

 そのエネルギッシュな若さに呑まれ、大男はにやりと似合わない笑みを浮かべる。


「おお、ゲイツ。万全を期して挑むためにも君の意見はぜひとも聞いておきたい! なんでも言いたまえ」

「ありがとうございます。自分が気になるのはノローさんの配置です」

「え、おれ?」


 自分の名前が出てくるとは露ほども考えていなかったノローが、だらしのない驚嘆の声をあげる。

 真剣に話を聞いていた者たちの視線が、鋭く突き刺さっているのにも今気づいたようで、目をぱちくりとしている。

 呑気な様子をやや怒気のこもった顔つきで尻目に流して、


「はい。本当に悔しいですが、ノローさんはここにいる方々の中でもかなりの戦力です。

ロンセさんと同じ場所に固めるのはこの戦いの性質上よろしくないのではないでしょうか?」

「『本当に悔しい』ってのは今必要だったか?」


 小さな抗議の声は誰に届くこともなく無視された。


「貴重な意見に感謝するが、他の者はともかく、ノローとデタックの二人だけは変えられん。

 私はこの戦いをロンセを生かし続ける戦いを見る。こやつを最後まで前線に出し続けるには、付き合いの長い二人の補佐が必要不可欠だ。

 おまえもそう思うだろう? ロンセ」


 視線がロンセと呼ばれた白髪の少女──紅一点である──に一斉に注がれる。

 血液のように赤く、宝石のように透き通った瞳に疑問符を浮かべるロンセは涼しい顔で、


「まあ」


 と、極めて簡潔かつ簡素に答えた。

 誰しもが「こいつ話を聞いてないな」と呆れたが、呆れただけでそれを言葉にはしなかった。口にしたところで彼女が反省するとは思えず、さらに話の流れを無駄にさえぎってしまうからだ。

 一人、同じく呆けていたノローはそもそも状況を理解していない。


「…………コホン、というわけだ、わかってくれたかね?」

「納得しました」

「うむ。他に意見のある者はいるか?」


 沈黙。

 声による返答はないものの、何人か首を横に振っている。

 これを全員共通の答えと解釈して、大男は続ける。


「ロンセたちには中央を担ってもらうとして、次に左翼だ」


地図の上に名前の彫られた駒を一つずつ置きながら言う。


「ここのリーダーはリトリー、補佐役にウウォン、他はスピカ、アートゥン、メリッカ、エメ、キヨウ、ココチの以上八人に任せる。

 右翼はリーダーをカース、補佐役をニカヨム、他にツヨマ、ゾンナ、ビュー、クセン、ツルホ、ヘッサン、ナセイの九人とする。

 残るセイシャ、ケン、マニック、ホドの四人は私の護衛についてもらう。……ここまでの配置について意見はあるか?」


 各自持ち場を見て、そこで疑問を持ったらそれを大男にぶつけるということになり、一時的に解散となった。

 ある人は地図を覗き込んで自分の駒の位置を確認し、ある人は眼前の平野を見据え数刻後の自分の姿を想像している。

 中央の要とされたノローとロンセは後者だった。集合場所から少し歩き、横に並んで平野を眺める。


「微妙に足場悪いな。全体的にゴツゴツしてやがる」

「いつものことでしょ。むしろ今までん中じゃ比較的、りやすいほうじゃない?」

「これまでとは比べ物にならないくらい大事な戦いなんだから、多少は神経質になるってもんだ。というか、おれはこれがマシ扱いされるようなところにはあんま行ってない」

「ああそっか、ノローは弱いからそういう経験少ないんだ」

「はっ倒すよ?」

「冗談。……で、敵が来る前に均す?」

「それを実現させるための力を敵に使ったほうが効率良くないかな」

「あー、ね。そこは断言できないなあ悩んじゃうなあ。ノロー的にはどうよ」

「今言ったばかりなんだけど」

「失礼」

「でも、現実的な話をすると実際に始まってみないと何とも言えないな。もしかしたら、途中でお願いすることになるかもだ」

「チキンめ」

「うっさい」


 とてもこれから命懸けの戦いを繰り広げるとは思えないテンションで、二人はだらだらと軽い会話を続ける。

 背中の剣がただの飾りのようだ。


「二人とも、続けるから戻ってきたまえ」

「うっす」「はぁい」


 全員が戻ってきて来るのを待って、大男は口を開いた。

 仲間との会話を経てリラックスしたのか、皆の表情は集合時よりも柔らかくなっている。

 もちろん、両の眼に宿る戦意に変わりはない。


「各々確認は済んだだろうか? では改めて意見を訊くとしよう」

「カースです。僕の役割や各員の配置についてには特に異存ありませんが、間隔が気になります」

「というと?」


「ええ、長官のおっしゃることを整理すると、助攻左翼──主攻中央──助攻右翼という関係になると思うんですが、各部隊に助攻と主攻の役割を与えるのならそれぞれが遠すぎると思うんです。

 これでは各隊間で連携が取れないと思うのですが」


「ん? ああ、細かいことを気にするのだな。はっきり言って呼び方にそう大した意味はない。わかりやすいだろうから便宜上この表現にしたに過ぎん。

 だが距離設定には意味はあるぞ、近すぎるとアンノウンどもが我々を無視して侵攻する恐れがあり、それを防ぐためだ。

 互いの様子を確認できて、なおかつアンノウンどもが無視できない距離──それを第一としたのがこの配置だ」

「わかりました。そういうことでしたら異存はありません」


 その後もいくつかの問答があったものの、作戦に影響を与えるような発言が飛び出すことはなかった。

 当然といえば当然である。決戦の地がこの平野になることも、参戦できる人員も何日も前から決まっていた。

 今日この瞬間まで、指揮官には作戦を練る時間が十分にあったのだ。

 胸にあるきらびやかなバッジは、決してただの飾りでも経済力の証でもない。指揮官の立場は言うに及ばず。

 彼もまた世界が認めた名将なのだ。


 ありったけの時間をアンノウン殲滅作戦の立案に注いだ彼だからこそわかる。

 と。

 なるほどロンセは優秀だ。この場にいる誰よりも、あるいは全人類を集めてみても、武器を担いだ彼女に敵う者はいないだろう。

 そしてノローとデタックも優秀だ。この二人なら、確実に彼女の強みを最大限活かしてくれるだろう。

 それでもなお、アンノウンには勝てない。


 敗因は単純明快、戦力差だ。

 種族全員が戦闘力を持つアンノウンと違い、戦える人類には限りがある。

 岩を一つ置いたところで大河の流れは変わらないように、人類の代表者数十人を集めたところで勝ち目はない。

 奇襲作戦が通用する余地のない平野となればなおさらだ。

 元から詰んでいる局面、最高の動きと幾度の奇跡が重なってようやくぎりぎり相討ちにならない程度に終わる。

 これは、初動を間違えた人類による終焉の引き延ばしに過ぎないのだ。


「もう訊きたいことはすべて訊いたか?

 ……よろしい。では、敵の出現までまだ時間がある。それまでは自由に過ごしたまえ。解散ッ」



 大男の号令の後、何人かが脱力する。

 散漫な動作で腕を伸ばすと、ノローは猫のようにくしゃくしゃとした顔でゆっくりと欠伸をした。

 そこに、


「ちょっといいか?」

「どうしたんだデタック、おれと同じ立場になったのが不満なのか?」


 決戦に召集された中で唯一戦斧を扱う青年──デタックが話しかけてきた。

 彼の特徴はなんといっても、その道の素人が見ても動きにくそうな重苦しい装備で、今日も例にもれず分厚い甲冑をまとっている。

 身軽なのは装備を修理に出しているときだけで、その際の代用品もやはり比較的重いものを選んでいる筋金入りだ。

 デタックはノローの挑発をさらりと流し、


「いやなに、さっきから気になっていたことがあるから先に言っておこうと思ってな」

「…………」


 最強戦力であるロンセの補佐を務めるだけあり、二人は実力はもちろん、互いの付き合いも長い。

 その豊富な経験が告げている。

 これは良くない流れだと。

 言い回しが丁寧かつ大仰になっているときは、大抵「これから説教が始まりますよ」という合図なのだ。

 もはや逃げられるような状況ではない。

 ため息を一つ、彼の言葉を甘んじて受け入れる。


「きみというやつは緊張感がなさすぎる。

 これから始まる戦いがどれだけ意味を持つのかをちゃんと理解できているのかね。これはね、我々人類の歴史を左右する極めて重要な決戦なんだよ。

 それをロンセと一緒にのほほんと……。いや、役割の重さでいえば彼女のほうこそ問題なんだけど、それを正しい方向に修正するのが補助役であるきみとぼくなわけで、やはり一緒になって馬鹿してるのはよろしくない。

 とはいえ、自然体で挑めるという点ではまったく無意味なことではないとは思うよ。今回はまず間違いなく死と隣り合わせになる。そこで冷静でいられるのとそうでないのとでは結果に大きな差が出るからね。

 でも、きみたちはあまりにも自由過ぎる。

 自然体なのは結構だけど、過度なリラックスはかえって失敗を誘発しかねない。勝ち目のある戦いを無駄にして敗北したら、我々はどう責任を取ればいいんだ。

 その辺、ちゃんと考えてくれないと困るんだよ。──人類全体が」


「相変わらずうっさいなあ。そんな調子でおれより戦果出せなかったら、だいぶ悲惨なのわかってんのか?」


 けらけらと、おどけた調子で笑って返す。内心はともかく、表面上はこの言い草がデタックにとって一番効くとわかっているのだ。

 地平の先には、まだ敵影は認められない。

 だからこそ言える軽口であるが、しかしデタックはノローが期待していた特別大きな反応を見せない。

 すでに意識はもうじき訪れる死のほうを向いているのだ。

 つまんね、と一言だけ吐き捨てて平野を見やる。


「少ししたら、あそこがアンノウンでびっしり埋まるんだよな。

 …………ま~るで想像できねえ」

「それには同感しておこう。

 あれだけ滔々と語っておきながら、頭ではぼくもこの大一番を完全に理解できたわけではない。

 しかしだね……」


「まあまあ、そこまでにしておきなさい」


 デタックの言葉を遮り、指揮官の大男が割って入る。

 すぐに二人とも敬礼をしたが、ノローのそれはワンテンポ遅く、指もピンと伸びていない雑なものだった。

 即座にデタックが肘で脇腹を突くも特に意味はなかった。

 大男は反射的にした苦笑を誤魔化すように、


「先も言ったが、諸君には特に大きな役割が課せられている。

 どのような心持ちで挑もうと、どのような距離感で臨もうと構わないが、それが枷になって結果に悪影響をもたらすことは許されない。

 それを重々承知しておきたまえ」

「きみのことだぞノロー」

「おまえもだろ」

「私は二人に言っているのだぞ」


 沈黙。

 少しの間をおいて、


「ふ、ふはははははははは」

「あはははははははは」

「……ハハハハハハハハ」


 直前の険悪な雰囲気はどこへやら、一様に笑い声がこぼれる。

 三人ともそろってひとしきり笑いに笑い、かなりの時間をかけて落ち着いた。

 

「いや結構、諸君が求めている仕事量を無事に熟してくれそうで安心したとも」

「おれらは仕事だけはちゃんとしますよ、指揮官」

「きみには仕事以外の部分がダメダメだから困るんだよ」

「だーかーらー、それを仕事で挽回できるからいいんだって。指揮官もそう思いますよね?」

「いや、私はデタックの意見に賛同するが」

「えぇ~」


 再び三人の顔に笑顔が宿る。


「耳にたこができる頃だろうがもう一度言わせてもらおう。

 この戦いでは、ある意味でロンセ以上にデタック、ノロー両名が相当の戦果を挙げることを絶対としている。

 くれぐれも、下らないミスはしないでくれたまえ。良いね?」

「はっ」「はっ」


 二人の威勢のいい返事を聞いた大男は満足げに去っていった。



 まだ、アンノウンの軍勢は見えない。

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③終末の後の屋根裏 坂道南瓜 @Sakamitikabotya

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