逃亡キセキ

アカニシンノカイ

逃げるだけだが


「わかったな」と不機嫌な声で念を押された。俺はうなづく。

 ルールは単純だ。鬼から逃げる。ただし、文字を描きながら。

 といってもペンと紙を手に鬼ごっこをするのではない。俺が走ったルート、軌跡が指定された文字の形になるように逃げねばならないのだ。

 わからないのはなぜ俺がこのゲームに巻き込まれたかだ。


2 


「実際にテストプレイをやってみよう、そのほうが早い」

 天の声が言う。

「オーケー、で、俺はなんて書けばいいんだ」

「アルファベットの【S】だ。じゃ、フィールドに送るぞ」

 俺はバスケットボールのコート二面ほどの正方形の空間に転送された。

「まだ鬼は出さない。走ってみろ」

 腕時計型の端末の画面には、俺の移動したルートが緑の線で表示される。簡単だと思ったが、案外、難しい。

 ディスプレイは正方形のフィールドを真上からカメラで撮ったような形で表示されるのだが、俺は床に立っている。空間の把握が慣れるまでは大変そうだ。

 腕の端末の小さな画面とにらめっこしながら、俺は走りきった。

「アルファベットを覚えたての幼稚園児くらいいびつなSだが、一応、合格だ」

「楽勝だね」と俺は強がる。

「じゃあ鬼一体と壁を出すぞ」

「ちょっと待て」

 床からついたてのようなものがはえてきた。見える範囲では三つだ。三つとも高さが違うように見える。

「壁は鬼から身を隠すには便利だが、ルートどりをミスると乗り越えなきゃならん。気をつけろ」

「捕まったらどうなるんだ」

 乾いた笑い声がした。

「知らないほうがいい。ちなみに私の声は鬼には聴こえない周波数だが、君のは聞かれているからな」と天の声は冷たい。

「オーケー、じゃ本番といこう」

 俺はささやいた。出たとこ勝負だ、こんちくしょー。



「最初のお題はひらがなの【い】だ。健闘を祈る」

「待てよ。【い】ってなんだよ。一筆書きできないじゃないか」

 ジャンプでもしろってか。

「いいところに気がついた。腕の端末にWのボタンがあるだろう。それを押して画面を押すと、押した位置に相当するポイントにワープできる。ちなみに鬼から逃げるときにも使えるが無制限ってわけじゃない。一回使うとしばらくは使えないから気をつけろ」

「しばらくってどれくらいだよ」

「説明してもいいが、後ろを見てみろ」

 顔まで青い全身タイツのような人間の形をしたやつが壁の向こうから姿を現した。あれが鬼だろう。青タイツはゆっくりと顔を俺のほうに向けた。

 実際には瞳も鼻の穴もなく、のっぺらぼうなのだが、目があったと感じさせた。タッと鬼が駆けだした。俺も走りだす。【い】の一画目、左側の縦棒のような部分を描くように走らなければならない。

 振り返ると、鬼との距離は遭遇したときより離れていた。青タイツの足は俺より遅い。

「Wでワープだな」

 俺はWのボタンを押したが、瞬間移動しない。

「どういうことだよ」

「移動先を押さないとダメだと話しただろ」

 どこでもいいから適当に、と動かした手を俺は止めた。【い】の一画目は描けたのだから、二画目のどこかにワープする必要がある。

「ま、いっか逃げねぇと」

 俺は二画目の書き出し、ペン先を置くポイントを押した。体が軽くなるような感覚があり、俺はワープに成功した。

「あぶねー」

 見える範囲に鬼の姿はない。やや弧を描くように進めばクリアだ。

「余裕、余裕」

 ピーと背後で笛の音のようなものがした。緑の全身タイツの人間型の鬼が横を向いて手招きのような動きをしている。

「言い忘れた。緑の鬼は仲間を呼ぶ。青よりやや足は遅いが厄介だぞ」

「先に言え」

 俺は走りだす。足を動かしながら尋ねる。

「他に何色の鬼がいるんだよ」

「お前より足の速い赤、ワープできる紫、あとはな、おっと合格だ。おめでとう」



「めでたくはないが、一応、ありがとよ」

「さぁ、次が卒業試験だ。次の課題は君が選ぶのだ」

「じゃあ【一】だ。漢数字の【一】」

「単純な文字なら簡単だと思うのは大間違いだ。文字の線上ならば、なぞるように何度も移動できるが、【一】だと一本道だぞ。鬼に囲まれたらどうするつもりだ」

 天の声は親切だ。

「それにだ、この卒業課題の文字でお前は他のプレイヤーと対決するんだ。難易度が高いほうが相手がしくじる可能性は高いぞ」

「待てよ、対戦って」

「お前が選んだ文字で相手が逃げる。お前は対戦相手の卒業試験の課題文字で逃げる。走破タイムが早いほうが勝ちだ。もちろん、逃げきれなければアウトだぞ」

 しばらく考えて、俺は告げた。

「俺の最終課題の文字はトウだ」

「トウ? どのトウだ。タワーの【塔】か、陶器の【陶】か」

 俺は首を振る。

「いや、逃亡、逃げるの【逃】だ」


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