僕は海へ行く

カニカマもどき

お姉さんとの日々

 秋の海は良い。


 人もまばらな浜辺に座り、波の音やウミネコの声を聴きながら、海に沈む夕日と、赤く染まるうろこ雲を眺めていると、心が洗われる。

 その雄大な景色は、ちっぽけな悩みや雑念などいつの間にか吹き飛ばし、明日からまた頑張るための気力をもたらしてくれる。

 だから、僕は海に行くのだ。


 別に、お姉さんに会いたくてわざわざ海に行くわけでは、ないのである。


 ***


 海へ行くと、僕は約七割の確率でお姉さんと遭遇した。


「やあ少年。また会ったね」

 お姉さんは僕を見つけると、決まってそう言う。


「ええ、奇遇ですね」

 僕も決まってそう答える。


 ちなみに僕は中学三年の受験生であり、少年と呼ばれるような年ではない。

 それは幾度となくお姉さんに伝えたのだが、「私から見たらまだまだ少年だ」などと言い、頑なに少年呼びをやめようとしないのだ。

 まあ、それはいい。話を戻そう。

 

 僕とお姉さんが海で何をするのかというと、特に何もしない。


 浜辺に座り、思い思いに海や空を眺めたり、本を読んだり、他愛のない話をしたり、鼻歌を口ずさんだり、合いの手を入れたり、伸びをしたり、うたた寝をしたり、要するにダラダラと時間を過ごすのだ。


「少年。あそこに見えるのは何だろう? ネッシーかな」

「ネッシーはネス湖にいるやつでしょう。いや、ネス湖にもいないと思いますが」

「じゃあ、アレは何と呼べばいいんだい。ウッミーかな」

「語感が悪いにも程がある」


 そんな適当な会話をし、適当に切り上げ、次に会う約束もせず、適当に解散するのである。


 ***


 そんなお姉さんとの日々は、案外長く続いた。


「少年よ。なんか甘いもの持ってない?」

「黒糖饅頭ならありますが」

「甘味のチョイスが渋すぎやしないかい。まあいい。この綺麗な貝殻と交換しよう」

「貝殻は要らないです」


 冬に入り、粉雪が舞っても。


「寒いな少年。ちょっと心暖まる話をしてくれ」

「ひどい無茶ぶり。そんな急にはとても」

「人生は無茶ぶりの連続なのだよ。どれ仕方ない、手本を見せよう……『丸くなったウニ』」

「なんか始まった」


 年が明けても。


「明けましておめでとうございます」

「おめでとうございます」

「少年は正月、餅をいくつ喉に詰まらせた?」

「なんで詰まらせること前提なんですか」


 受験の前日も。


「お姉さん、僕明日が受験本番なんですよ」

「知ってるよ。さっさと帰って支度して寝なさい」

「勉強しろとは言わないんですね」

「まあ、少年はもう大丈夫だよ。たぶん」


 そんな話をして、僕らはいつものように、適当に別れた。


 しかし、その日を境に。

 海へ行っても、僕はお姉さんに会えなくなった。


 ***


 僕がお姉さんと最初に出会ったのは、9月初旬の、やたらと暑い日であった。


 その日、何故、自宅から自転車で片道40分もかけて海へ向かったのかというと、僕自身にもはっきりとした理由はわからない。

 たぶん、部活を引退し、初めての受験が迫ってくる中で、誰に責められているわけでもないが漠然としたプレッシャーと焦燥感を覚え、僕なりの気晴らしが必要だったのだろう。


 一人、しばらくぼんやりと海を眺めていると、急にどしゃ降りの雨が降ってきた。

 現実に引き戻された僕は、慌てて雨宿りの場所を探そうと立ち上がって振り返り、そこで、浜辺に突っ立っているお姉さんと目が合った。


 お姉さんは雨の中、傘もささず、雨宿りをしようという素振りも見せず、仁王立ちをして、涼しい顔で僕に言ったのである。

 

「こんなところでどうした少年。何か悩み事かい?」


 ***


 その日から、僕は頻繁に海へ行き、お姉さんと時間を共有した。

 認めよう。僕はその時間が、嫌いではなかった。


 お姉さんには、もう会えないのだろうか。

 僕は一人、浜辺に座って考える。


 思えば、僕はお姉さんのことを何も知らない。

 名前も。年齢も。連絡先も。住んでいる地域も。仕事も。何も。

 知らないから、お姉さんを探す術がない。


 そういうことは尋ねないのがルールだと、僕は勝手に考えていた。

 いや、それは後付けであって、本当は何も考えてはいなかったのか。

 いつでも尋ねるチャンスはあったのに、と今になって思う。


 お姉さんは、あの日、悩んでいる僕を放っておけなかったのだろうか。

 最後に会ったとき、「少年はもう大丈夫」とお姉さんは言った。

 僕がもう大丈夫になったから、お姉さんは去ってしまったのか。


 それとも、お姉さんの身に何かあったのだろうか。

 思えば、何故お姉さんはいつも海にいたのだろう。

 何故あの日、一人で海に来て、雨に打たれていたのだろう。

 お姉さんにこそ、僕なんかよりも深刻な悩みがあったのではないか。


 そもそも、お姉さんは実在するのか。

 僕の作り出した、都合の良い妄想なのではないか。

 あるいは幽霊か人魚か、そういった類の存在なのでは。


 ……どうも変なことばかり考えてしまう。

 少し気持ちを落ち着かせよう。


 ポケットから、お姉さんがくれた綺麗な貝殻を取り出して眺める。

 改めてじっくり見ると、それは大して綺麗でもなかった。


 ***


 そうして、ひと月ほど経ったころ。

 お姉さんは、いなくなったときと同様、唐突に海へ現れた。


「やあ少年。また会ったね。合格おめでとう」

 何事もなかったかのように、そんなことを言う。


 僕はというと、突然の再会に、しばし言葉を発することもできなかった。

 なんだか視界がぼやけると思ったら、いつの間にか涙が溢れていた。

 とっさに、お姉さんから顔をそらす。


「少年。怒っているのか?」

「お気になさらず。春一番が目に染みただけです」

「……そうか」


 しばし沈黙。


「……勝手にいなくなって悪かったよ」

 お姉さんが、珍しく謝罪の言葉を口にする。

「……なんで、いなくなったんですか」

「まあ、話せば長いことながら……いや止そう。少年には関りが無いし、あまり愉快な話ではないよ。そんな話は聞きたくないだろう? 私と少年の会話というものは、適当で、中身がないものでないと……」


「いえ。聞きたいです」

 僕は、今度はお姉さんの目を真っ直ぐに見て、そう言った。

「聞いて、知りたいです。お姉さんのことを、もっと。お姉さんがまた、いなくならないように」


「……」

 お姉さんは泣き笑いみたいな顔をし、海のほうを向いてしまったかと思うと、長いため息をついて言った。

「……やれやれ。どうやら私は、厄介な少年と関わり合いになってしまったようだ」


 確かに僕は、お姉さんにとって厄介なことを言っているのだろう。

 それは分かる。

 分かってはいるがしかし、これだけは言わせてほしい。


「それは、こっちのセリフです。お姉さん」

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僕は海へ行く カニカマもどき @wasabi014

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