05

 俺たちは、洋館のような場所に訪れていた。豪奢なシャンデリアや、廊下に敷かれたカーペット。何だかとても上品だった。


「この建物の中に、『すごく素敵なスポット』があるんすか?」


 俺の言葉に、シェンルさんは振り向くと笑う。


「うん、そうだよ。ここは僕の知り合いが住んでいる場所で、屋上から見える景色が絶景なんだ。上の階にいる知り合いに皆を紹介するのも、とても楽しみだよ」

「へえ、そうなんすね……」


 どこか古びた階段を上りながら、俺は頷いた。

 やがてシェンルさんは、一つの部屋の前で立ち止まる。彼は微笑んで、振り向いた。


「ここの部屋だよ。さあ、入って」


 俺は頷いて、扉を開けた。

 ……そこには何故か、十人ほどの男性の姿があった。


「……え?」


 驚くのとほぼ同時に、背中に重い衝撃が加わる。


「いっ……!」


 痛みに顔を顰めながら、俺は部屋の中に倒れ込んだ。


「ラビト!」


 ヨカさんの悲痛な声が聞こえる。うずくまりながら振り向くと、表情をなくしたシェンルさんの姿があった。


「ヨカさん、シフィアさん。取り敢えず、中に入ってくれるかな?」


 ヨカさんは怯えた表情を浮かべながら、シフィアさんの腕を取る。シフィアさんは目を細めながら、「わかりました」と言って部屋の中に入った。


 俺はのろのろと立ち上がる。男たちを代表するように、シェンルさんが口を開いた。


「騙していて悪かったね。僕は、この組織のメンバーなんだ」

「この組織って……目的は何ですか?」


 俺たちを代表するように、シフィアさんが話し出す。シェンルさんはにこっと笑って、腕を組んだ。


「人身売買だよ」

「そ、そんな……嘘よね、シェンルさん!?」


 ヨカさんの言葉を、シェンルさんは鼻で笑う。


「ふふ、嘘なんてついてないよ。大丈夫。眠っている間に、ちょっと遠くの国に売らせてもらうだけだから。綺麗な女性は、一定の層から需要があるんだよ。貴女は美しいし、珍しい角持ちだ。だから絶対……金になる」

「……っ!」


 ヨカさんの表情が歪む。薄紫色の瞳いっぱいに、涙が浮かんでいた。俺はいてもたってもいられなくなって、衝動的に口を開いた。


「ふざけんな……!」

「別に、ふざけてなどいないよ?」

「何で……そんなに、ひどいことが言えるんだよ。お前、絶対に間違ってるよ……!」


「正しいとか間違ってるとか、どうでもいいんだよ。貴方が今ぎゃあぎゃあ喚いたところで、もうどうしようもないだろう? この人数相手に、勝てる訳ないじゃあないか」


 俺は悔しくて、歯を噛み締めた。

 確かに俺は、喧嘩が強い訳じゃない。こうして暴力を持ち出されてしまえば――もう、それに抗うことすらできないのだ。


 未来が絶望に染まってゆく。こんなことになるなんて。もっと、人を見る目を養うべきだった。簡単に他者を信用してはいけなかった。



「……あははっ」



 場違いな、笑い声がした。

 俺は驚いて、シフィアさんの方を見る。彼女は楽しげな表情を浮かべながら、右手首の辺りを左手でつうとなぞった。


「いやー、シェンルさん、どうやらめっちゃ悪い人ですね? あー、なんか怪しいなあとは思ってたんですけどね。


 シフィアさんの言葉に、シェンルさんはぴくりと眉根を寄せてから、口角を上げる。


「ああ、そうだよ? 今更嘆いてももう遅い。貴女も整った容姿をしているから、随分と高く売れるだろう。楽しみだよ」


「へえ、そうですかー。ちなみにどれくらいの数の人を、今まで他国に売ってきたんですか?」


「どうだろう……二十人くらいじゃないかな? 若い女性は馬鹿ばっかりだから、ちょっと甘い言葉で囁けば、すぐについてくる。阿呆だよね」


 シェンルさんは、ヨカさんの方をちらりと見た。シフィアさんはそんな彼のことを見据えながら、くすりと笑う。


「ふふ、キミがどうしようもない屑でよかったです。最近ちょっと暴れ足りなかったんですよ……雑貨店は楽しいですけど、運動不足になりがちですからね?」


 シフィアさんから表情が失われ、視線が段々と凍てついてゆく。

 彼女はそっと腰を落として、右手を床に触れさせる。


 淡い桃色の唇が、開かれる。



「――猫の死」



 ――冷気が、部屋を蹂躙した。


 俺は思わず目を見張った。部屋をぐるりと囲むように、透明な物体……氷が、生まれていた。俺たちのいる場所以外を、氷が満たしていた。


「うわあ、何だ!?」

「動けねえ……!」


 男たちの太ももまでもが凍てついており、彼らは必死にもがいている。

 驚いた顔をしているシェンルさんに、シフィアさんはつかつかと歩み寄った。


「あのー、シェンルさん」


 シェンルさんは怯えた目で、シフィアさんのことを見ていた。


「うちのヨカちゃん、多分初デートだったんですよ? どうしてくれるんです? 初デートがこれって何というか、最悪じゃあないですか? ねえねえ、どうしてくれるんですかー?」


 シフィアさんは口角をつり上げながら、そうやって尋ねる。声には隠しきれない怒気が滲んでいて、かなり苛ついているのが伝わってくる。


「……や、やめてくれ!」

「何をです?」

「暴力は、やめてくれ……」


「ああ、暴力ですか? あはは、ボクがそんなことする訳ないじゃあないですかー! やだなー、もう!」

「そ、そうか。それはよかった」


 微かに安堵したような表情を浮かべるシェンルさんの鳩尾を――シフィアさんは思い切り、蹴飛ばした。

 シェンルさんは唾を吐いて、苦しそうに咳き込んだ。



「嘘ですよ?」



 シフィアさんはそう言って、にこっと笑った。

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