第15話 センスが良い

 あの時は花の魔女から逃げることに必死でどの部屋で少女と出会ったのか、フェルディナンドは明確に覚えてはいなかった。

 それでも間違えることなく目標の部屋に到着できたのは、室内から漂う独特な匂いを自分の鋭敏な嗅覚が記憶していたからだろう。

 開かれたままの扉から室内を窺う。部屋の中央部には少女が入っていた蛹が見える。

 自分の後ろで周囲を興味深そうに見まわしてるオーウベンに声をかけると、彼は見てわかる程の嬉々とした足取りで部屋へ入って行く。警戒など全くしていないところからも分かるが、彼は相当少女の蛹に興味があるようだ。

 廊下で待機している騎士に合図を送り、フェルディナンドはゆっくりと室内に入る。敵がいないことは分かっていても、技巧銃は右手に持ったままにしておく。研究所内に敵がいなくとも、外部から侵入される可能性は拭えない。

 黒い蛹の前ではカンテラを片手にオーウベンが観察をしている。じっくり見ているだけかと思えば、手袋をしているとは言え躊躇なく蛹の表面を触る。表面の一部を切り取り細長い硝子の容器に入れると、今度は割れた部分から中を覗き込み何か弄っている。

 覇気のない顔は研究者が見せる真剣なものへと変貌しており、カンテラが映し出す様はさながら狂気に駆られた学者のよう。

 声をかけるのも憚られる彼から視線を外し、フェルディナンドは机の上に転がっている実験器具に視線を向ける。 

 どれもさっぱり使用方法が分からないものばかり。便利屋として魔術師の元で仕事はしていた彼はこの手の器具に見覚えはあっても、魔術師としての素養がない彼は全く興味が持てなかった。

 まあ、身体を動かすことを好むフェルディナンドにとって、まるで椅子に根を張るように一日中研究に勤しむ魔術師というものは相容れない性質である。


「ほう、それは……」


 手慰みに器具を触り、その中から乾いた一枚の葉が出てくると少女が声を上げた。


「何だ、お前の主食か?」

「よく分かったな」


 冗談交じりの言葉があろうことか正解であったことに、フェルディナンドは虚を突かれた気分になる。こちらの対する冗談に同じく少女が冗談で返したものと思ったが――徐に少女が机に置かれた葉を口に放り咀嚼していては真実だと疑わざるを得ない。


「……当然だが枯れているな。これでは

「――という事は、これが呪い花なのか」

 この土地に異常を起こした元凶と思わぬ邂逅に至り、思わず上ずった声をあげるフェルディナンド。

「その葉だがな。見たところ、花の部分はないようだな」

 

 驚愕するフェルディナンドに少女はさも自然な様子で返す。少女の感情の色がない瞳は、呆れたようにこちらを見ている。

 呪い花の研究をしている場所なのだから、その一部があってもおかしくないだろう、と。

 或いは、自分がこの部屋で蛹になっているのだから当然その餌となる物があって当たり前だろうと。

 無論、冷静に考えれば少女のそれは至極当然である。

 ただ、人間というのは――総じて愚かな部分がある。

 まあ、それを理解してくれる希望を彼女に持つのは無理な話であるが。


「おやおや、常世花の一部ですか」


 ふと視界が仄かに明るくなったと思えば、柔らかなオーウベンの声が近くでする。

 彼はカンテラを机の上に置くと、器具の中に残っていた葉を取り出しそれをしげしげと見ている。


「蛹の方は済んだのか?」

「ええ、蛹の形状はアゲハ蝶に酷似していますが……所々糸のような物が確認できました。内部には液体のような物があった形跡がありましたね。蝶の蛹を元に考えるなら、排出された老廃物ですかね」

「へぇ、尻から出したのか?」再び冗談を混じりにフェルディナンドは少女に問う。

「そうかもな。私をそこらの蝶と同じに見られるのは不満だが、可能性は拭えない。何より常世に住まう芋虫である私たちが、蝶になることなどあり得ないのでな」


 不躾且つあまりにも無神経なフェルディナンドの問い。だが、少女は現世の蝶と同じ括りにされたことを不満に思っただけで、さも当然のように肯定する。

 

「容赦のない質問ですねぇ。気分を害したらどうするんですか」

「冗談で言っただけだろ」

「一応言っておきますけれど、花喰蝶は常世信仰衆に信仰されていました。つまり、あの少女は神である可能性もあるんですからね」

「神ねぇ、俺には眉唾物だな」


 生まれてこの方、信仰心など持ち合わせていないフェルディナンド。彼にとって、人々の伝承や絵画の中でのみ光を放つ存在も曖昧なものより、現実世界で確かな煌めきをせてくれる宝石の方が信じるに値する。


「ところで気になっていたのですが、あの少女に名前はないのですか」

「聞いていないな」


 オーウベンの言葉にフェルディナンドは初めてそのことに気付かされる。

 少女と出会った時は花の魔女に追われていたせいで名を尋ねる時間はなく、そのまま少女に強引に呪い花の駆除を命じられた為に尋ねることが出来なかった。

 エリンキルと合流した時も尋ねることはせず、夜に少女と話していた時でさえフェルディナンドは彼女に名を聞くことを忘れていた。

 最もこれはフェルディナンドが人との関りを深く持たない性質があるのだろう。今でこそ大国に雇われていることで継続的な依頼主はいるものの、魔術師の元で雇われていた時代は使いの魔術師を通して仕事を引き受ける方式であった。

 それ故にフェルディナンドを含めた便利屋の連中は殆ど魔術師のことを知らなければ、便利屋同士も素性を殆ど知らない状態だ。

 唯一覚えているのは、度々護衛をしていたカト……何とかと言う少女の名ぐらいである。


「なあ、お前に名前はあるのか」

「名か? 貴様らが言う常世の虫、或いは花喰蝶か」

「それじゃなくて、お前自身の名前を聞いているんだ」

「個体識別名のことか? そんなものは無い、私たち常世の存在にそれは必要がないからな」


 少女の返答はある程度想定内だ。

 彼女が上位者、或いは神にも等しい存在なら名前などと人間がお互いを区別するための道具を必要とはしない。

 オーウベンの説明や少女の口ぶりから、常世の虫はある程度の数が存在するようだが、それら全てがある種の自然の仕組みのように動いているのなら、尚更名前など不要だろう。


「それでは失礼ながら名前を付けても宜しいですか? 貴方には不要でも我々にとって名前は非常に重要ですので」オーウベンが思わぬ事を言ってくる。

「構わん」少女はあっさりと応じる。

「では……プシュケルはどうでしょうか」

「同意を求められても困る。好きに呼べば良い」

「じゃあ、芋虫ちゃんでも構わないのか?」


 昨夜から今に至るまで不敬な物言いにも対して怒りを見せない少女に、フェルディナンドは少しばかり調子に乗っていた。

 此度も同じ冗談な物言い、そしてやはりと言うか少女は意に介さない。


「好きにしろ」


 正直に言えば、ここまで無反応だと冗談を言う方もつまらない。

 相手が反応するから、悪く言うなら過剰に反応をしてくれるからこちらも更に冗談を言うのだ。こうまで反応がされないと、フェルディナンドとしても飽きが出てくる。


「……プシュケルだっけか? センスが良いなお前」

「豊富な知識が為せる技です。プシュケル、それは魂を意味する言葉です。意味合いも含めて、貴方には相応しいでしょう」

「そうか」プシュケルの答えはそっけない。やはり興味がないのだろう。

「――さてと、そろそろエリンキルと合流するか」


 この部屋でやることは終わっただろう。オーウベンはそのことを聞くと、急いで本棚へ駆け寄り幾つか本を引き抜いている。

 両手に数冊の本を積み重ねたオーウベンを待ち、フェルディナンドはエリンキルたちと合流すべく部屋を出ようと扉に向かう。

 そこで扉が勢いよく開かれると、廊下で待機していた騎士が現れる。


「緊急事態だ、早急に外へ出ろ」

「何事ですか」


 何か嫌な予感に技巧銃を強く持つフェルディナンドに対し、オーウベンはいつも通りの能天気な調子で訊ねる。


「救難狼煙が上げられた。野営地に敵襲だ」

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