第16話 不吉な予感
研究所の外に出ると、青い空に一筋の赤い狼煙が幾つも上げられているのが目に入る。複数の狼煙を用いて遠方に指示を送るべく大国は様々な色の出るものを使用している。
指示の混乱を招かないように狼煙は一つだけ上げるが基本だが、それが複数も――まるで火事と思えるぐらいに――上がっていることから、かなり緊急事態だと思われる。
既に先に外にいたエリンキルは慣れた様子で指示を送っている。想定していたとは言え、それでも狼煙から分かる非常な緊急事態にも関わらず焦る素振りを見せないのは流石である。
各員に出発の準備を早急に指示させて、額の汗を拭い一息ついたエリンキルはフェルディナンドに気付く。
「状況は分かっているな」
フェルディナンドは頷く。
「敵襲、もしかして花の魔女でしょうか」
「分からぬ。だが、その可能性はあり得るだろうな」
積み上げて不安定な塔になっている本の横から顔を出すオーウベン。流石の彼もこの緊急事態では、お得意の能天気も曇り空な様子。
無理もない非戦闘員である彼にとって、戦闘など最もしたくない行為だ。
「フェルディナンド、すぐに出発する。準備は出来ているな」
「当然だ。まあ、花の魔女の相手はしたくないがな」
肩をすくめて答えるフェルディナンド。
その時だ、ようやくいつも通りの調子を取り戻してきた彼の聴覚が何者かの接近する音を拾う。
茂みを強引に押しのけて突き進むそれはまるで熊のよう。足音からしても、四足で駆けているようだが――こんな速度で駆ける生物などフェルディナンドは出会ったことがない。
騎士や兵士たちもその音に気付くと、急ぎエリンキルとオーウベンを守るような陣形を組む。
足音が近づく。
前方に見える茂みが激しく揺れ、小石が巻き上げられる。
「来るぞッ」
騎士の誰かがそう叫ぶ。
ほぼ同時に茂みから飛び出したのは――狼を模した銀色の鎧を纏った騎士、いやその様相は狂戦士だ。
こちらの姿を視認すると、まるで狼のように地面を揺らすほどの不気味な遠吠えを一つ。
そして右手に持つ湾曲した剣を煌めかせ、獲物に襲い掛かるネコ科の動物のような跳躍。
フェルディナンドたちを飛び越えて砂埃を巻き上げて着地する。
次の瞬間、騎士はまるでオオカミの如く地面を駆り、手にした剣を闇雲に振るいながら突撃する。
剣筋も、剣術もない、ただ刃の嵐。されど、非常に厄介な技法。
その無茶苦茶な攻撃に兵士たちは容赦なく発砲をする。
大国の技術の粋を集めた最新鋭の銃器。魔術師を殺すに長けたそれは、当然ながら戦場を駆け抜ける騎士たちに見るだけで恐怖の念を抱かせた。
だが、眼前のあれは怯む素振りすらない。
一斉に放たれた弾丸の嵐。
それを真向に受けながら、鎧に穴を開け黒く変色した血を吹き出しながら騎士は剣を振り回す。
残忍にして熾烈な刃の煌めき、だが大国の猛者たちは決して雑兵ではない。
初弾の攻撃で仕留めきれないと判断すると、素早く後退し距離を開けると共に彼らを守るように上級騎士たちが前進する。
三名の上級騎士の中で腕っこきである騎士隊長が銀色の直剣――大国の熟練鍛冶職人が打った物――が煌めく。激しい狼騎士の連撃に一度は体勢を崩しそうになるも、即座に相手の動きを見切ると彼は回避を主軸に立ち回る。
魔術そして銃器。この二つは白兵戦を得意とし、それこそが戦場の華と考える者は多い。
故に剣と剣のぶつかり合いを好むのだが、大国の上級騎士は少々違う。
即ち、相手に付き合わないことを至上とする。
上級騎士の動きに翻弄される狼騎士。その隙を狙い、後退した兵士たちが再度銃撃を放つ。
それに反応し兵士たちへ危機が迫れば、すかさず上級騎士たちが間に入り標的を自分に向けさせる。
この間、狼騎士は何発も銃弾を受けながら――斃れる気配を全く見せない。
「プシュケル、こいつも花の魔女か?」
「少し違うな。確かに体内に常世の力があるが……何か違う」
狼騎士から噴き出た血を舐めながらプシュケルは言う。
「――よく分からんが、つまりお前の力が通用する相手なんだな」
プシュケルの言葉を待たず、技巧銃を構えて撃ち放つ。
狙いは頭部。
動き回る狼騎士の頭部を精確に狙うのは困難だが、上級騎士たちのお陰でそれもある程度には容易い。
放たれた銃弾は狼騎士の頭を撃ち抜き、宙に黒く染まった血飛沫を上げさせる。
読み通り、プシュケルの力が作用した弾丸で狼騎士は体勢を大きく崩した。
だが、相手は呪い花の力を受けている。
プシュケルは少し違うと言っていたが、どちらにせよこの一撃では殺しきれない、はずなのだが。
狼騎士はまるで糸の切れた人形のように地面へ倒れると、そのまま微動だにしない。近くの上級騎士も最初こそ身構えてはいたものの、相手の絶命を確認すると戦いの終わりを告げるように剣を納める。
「どういうことだ、死んだのか」
「絶命しているようだ」
技巧銃を握りながら狼騎士に近づくフェルディナンドに、騎士隊長が短く告げる。ただ後方では増援に備えて騎士と兵士たちがエリンキルを守るように展開したままだ。
「プシュケル、あの蔓女はこんな簡単に死ななかったよな?」
「何か違うと言っただろ」
プシュケルは狼騎士の死体から流れ出た血を口に含む。「濃度は同じか。だが、あの女の血とは何か違うな……」
そこで何かに気付いたのかプシュケルは狼騎士の鎧に、唐突に片手を突き刺した。少女の小さな手が容易く鎧を貫き、殆ど力も入れずにプシュケルは強引に鎧の一部分を引き剥がす。
とんでもない力だ。鎧でこれなら、人体など彼女にとっては紙を裂くに等しいのだろう。眼前で起きたことにフェルディナンドと騎士隊長は、やはりプシュケルが人知を超えた存在であることを思い知らされる。
「花がないな」
プシュケルは呟き、指さす。確かに露わになった男の胸には花がない。
「つまり、こいつは花の魔女ではない? だが、あんだけ銃弾を受けて死なないのはおかしいだろ」
「良いですね、興味が湧きますね」
困惑するフェルディナンドたちの間からスッとオーウベンが現れる。学者肌の彼は手袋を付けた手で狼騎士の身体を容赦なく弄っている。
しかし、今の彼の所持品やそもそも不明なことの多い呪い花や花の魔女。何か新しい情報が得られるかは、微妙なところだ。
「フェルディナンド! そいつは倒したのだろう、ならすぐに野営地に戻るぞ」
エリンキルの上げた声にフェルディナンドは野営地のことを思い出す。
そうだ、こんなことをしている場合ではない。プシュケルを抱えてフェルディナンドは騎士隊長と共にエリンキルの元まで駆け寄る。
だが、オーウベンは動こうとしない。
「後で合流しますので。大丈夫です、ワタクシこう見えて危険な場所を幾つも渡り歩いてきましたので」
オーウベンは能天気に言うと、視線を狼騎士に向けたまま先に行けと言わんばかりに片手を振る。
正直に言って彼への不安は尽きないが、今は野営地に戻るのが最優先だ。
エリンキルも一応オーウベンに声をかけるも、彼は同じ対応するだけ。
「仕方ない男め、必ず戻ってくるのだぞ!」
言葉すら返さず手を振るだけのオーウベンを尻目に、フェルディナンドとエリンキルたちは野営地への帰路を急ぐ。
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