第14話 いい予感
研究所への道のりは予想していた危険などなく、何とも平和そのものであった。
青く晴れた空には太陽が眩く輝き、歌うように囀る小鳥、豊かな緑の野には多種多様な花が咲き誇る。
大国の都市部には見られない舗装されていない道。
エリンキル、フェルディナンド、オーウベン、そして三名の上級騎士と五名の兵士が行く。
隊の先頭にはエリンキルが、その傍らで道案内をしているフェルディナンドは片手で少女を抱えている。出発時に歩きたくないと(厳密に言えば人の歩調に合わせるのは面倒と)告げるや否や、飛び込むようにこちらの体にしがみついてきた。
図々しい奴だと、思いながらもあまり彼女の機嫌を損ないたくないフェルディナンドは不満を漏らすことなく応じた。少女を抱えていると咄嗟の事態に対応することが難しくはなるが、そこは後ろで控えている騎士や兵士に任せるしかない。
長閑な雰囲気に加え、暖かな日差しに微睡んで少女が船を漕ぐ。その仕草は幼子にそっくりだが、抱えている少女がまるで死人のように冷たいことが嫌に不気味だ。
一行の足音と、隊を離れては道端の草花を採取して周囲の人間に無駄な雑学を語るオーウベンの声。
やがて道のりは深い森の中へ続き、鬱蒼とした木々を見上げながら獣道を進むこと数十分。
秘花学院の研究所が見えてくる。
大自然の中に突如として現れる人工物は建築直後は異物感があったのだろう。ただ、こうした建物は総じて人の手が絶えれば緑に包まれやがて森の一部となる。
この研究所も、やはりその結末は同じである。
古びた煉瓦造りの外観は既に所々が崩れており、その崩壊しそうな表面を無数の蔦がまるで蜘蛛の巣のように広げられている。
中へ続くと扉は既に風化して崩れており、明かりが殆ど入らない暗い室内は踏み入ろうとする者の足を地面と縫い付けたような感覚に陥る。如何なる戦場も臆することのない上級騎士、最新鋭の装備をした一般兵士は皆総じて入ろうとしない。
あのエリンキルも思わずその雰囲気に圧倒されているようだ。
ただ既に一人で侵入しているフェルディナンドは警戒を強めつつ、再び研究所内へ足を踏み入れる。薄暗い室内に目を慣らせようとしていると、次いで入ってきたオーウベンは持参していたカンテラに火を点ける。
オレンジ色の暖かみのある光が研究所内を仄かに照らす。
「あんた、意外と度胸があるんだな」
片手に技巧銃を持ちながら、フェルディナンドは感心する。この手の学者連中は総じて危険なことはしないのが、彼の認識であった。
「肝の小さな人間に学者は向いていませんよ。危険を冒してこそ、その先に発見があるものです」
オーウベンは人差し指を立てると得意げに言う。その心意気は立派だが見るからに非戦闘員であるのだから、あまり無理をして余計なことはしないよう釘は刺しておく。
そんなやり取りをしていると、背後から数名の騎士たちが入ってきている。フェルディナンドはともかく、流石にオーウベンが怖がる素振りも見せなかったことが彼らの心を奮起させたのだろう。残りの騎士と兵士は外での警備を自ら買って出たようだ。
騎士たちの隙間から小さな体を滑らせたエリンキルは、室内に漂う埃と黴臭さに咳き込んでいる。
「そうだ、お嬢様。宜しければフェルディナンドさんに、そちらの少女と出会った場所を教えて欲しいのですが」
「先に所内の安全を確認してからではいかぬか?」
「……心配するな、この建物には花の魔女はおらん」
フェルディナンドの腕で微睡んでいた少女はそう声を上げると、そのまま床に降りる。
何を根拠にしたのか不明ではあるものの、少女はエリンキルに有無を言わさない雰囲気を放っている。美しい青い瞳は僅かに上位者たる威圧を孕んでおり、さしものエリンキルも反抗することは出来ない様子だ。
「……良いだろう。フェルディナンド、オーウベンを案内してやれ。私は騎士たちと行動を共にする。廊下に騎士を一人待機させておく、用件が終わり次第即刻合流するように」
エリンキルはそう告げると、足早に騎士を引き連れて近くの部屋へ入ってしまう。
物分かりが良いのは本当に彼女の長所だ。
「それでは、宜しくお願い致しますねフェルディナンドさん」
親切丁寧に、ただある意味慇懃無礼にも見えるお辞儀をするオーウベン。
どうにも彼らからトラブルメーカーな雰囲気を感じたフェルディナンドは、再び彼に勝手な行動は慎むよう強く注意する。無論少女はこの研究所に花の魔女の気配はないと言っていたが、何せここは魔術師たちが居ついていた場所。
解除を忘れられた魔術の罠が残っている可能性はある。
こちらの注意に能天気に返すオーウベンに一抹の不安を抱えつつ、フェルディナンドは少女と出会った場所へ案内をする
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