第13話 依存

 朝日がまだ顔を出す前に大国の野営地は動き出していた。呪い花の情報を集めるべく研究所への出発を前に一般兵士たちは銃の確認を、既に準備を整えている上級騎士は静かにその時を待つ。

 忙しない朝の到来にも関わらず、フェルディナンドは大きなあくびをしながら悠々とテントから出ると、一切れのパンを口に放り煙草を咥える。火を点けようとした所で上級騎士がこちらを睨んでいることに気付く。

 野営地内は禁煙だと、言わんばかりの眼光に臆することは無いが面倒なことになるのは御免だ。上級騎士がやたらと規則や規範に煩いことは知っていたし、酒は嗜めるも煙草はやらぬ彼らが常時紫煙の匂いを漂わせる自分のことをあまり快く思っていないことも解っている。

 しかし野営地内で最も大きいテント――エリンキルやオーウベンがいた場所だ――の雰囲気からして、外に出る時間はなさそうだ。

 

「手透きだからとすぐさま煙草を吸うのは辞めたらどうだ」


 火の点いていない煙草を咥えるフェルディナンドに少女が声をかける。

 足音どころか、全く気配がなかった。

 長い間、汚い仕事で身銭を稼いでいたフェルディナンドは当然ながら心の落ち着かない日々を過ごしていた。命を奪い血濡れた金を得る身として、怨恨や他の便利屋に命に狙われることは日常茶飯事。

 故に周囲の音には殊更敏感な耳を持つフェルディナンドですら、少女の接近には全く気付けなかった。

 老い或いは多少なりとも安心な場所で過ごしたことで鈍ったのか。どちらにせよ、今後の業務に支障が出るならば改善は必要だろう。

 嫌なことを教えてくれた少女に、フェルディナンドはいつも通りの不敵な笑みで言葉を返す。 


「生憎、頭で解ってても手が勝手に煙草を掴んでしまうんでな。喫煙者の性だよ」

「難儀な性だなぁ。暇だから吸う……か、貴様の命を奪うのは人ではなく煙だろうな」

「どうだろうな。案外、コロッと誰かに殺されるかもしれないな。仕事柄、恨まれることは多いからな」


 フェルディナンドと少女が他愛のない話をしていると、テントの方で動きがあった。

 二人の上級騎士を横に従えたエリンキルが現れる。花の魔女を殺した直後に出会った時の派手な服ではなく、落ち着いた白い服と軽装の鎧を纏っている。

 普段は威厳と風格を出すために装備している豪華な装飾のサーベルではなく、実戦用に仕立てられた武骨で飾り気のない直剣を引っ提げている。

 その姿は、大昔己の兵士たちを鼓舞するために危険を顧みず前線に立ったと言われる大国の女領主のようにも見える。

 誇らしげに登場したエリンキルはこちらを一瞥すると、手短に朝の挨拶を済ますと集まった上級騎士と兵士に手早く作戦の指示を与える。

 仰々しい程に難解な言葉を交えた長話をせずに、単刀直入に本題に入るのが性格の彼女だ。

 実のところ演説が苦手なだけ、であるのだが。


「研究所に向かう人員は以下の通り」


 エリンキルが挙げた名の中に当然ながらフェルディナンド(と連れている少女)も含まれていた。

 最後にエリンキル自身とオーウベンの名で人員の発表を終えると、彼女は出発の時刻を告げると共に残りの者たちに野営地の警備するにあたり、手慣れの上級騎士に一時的な指揮権を譲渡する。


「一時的に貴殿をこの野営地の指揮官とする。苦労をかけてすまないな、ティピュリエル」

「身に余る光栄ですお嬢様。老い耄れであはりますが、この野営地を必ずや守りましょうとも」

「老い耄れ、か……ならば夜遊びは控えるのだなティピュリエル」


 一族特有の嗜虐心に満ちた笑みをエリンキルは見せる。彼女の言葉にティピュリエルはドキリと一瞬身体を震わしたものの、すぐさまバツの悪そうに肩をすくめる。

 周囲で緊張していた兵士たちは各々笑みを浮かべており、一方で上級騎士たちは呆れつつもいつものことのように首を振っている。

 意図的なものかは分からないが、緊張感を与えすぎないのはエリンキルの長所である。

 そんな微笑ましい光景を見つつ、フェルディナンドは出発の時刻までに煙を体内に入れる時間があることに気付く。取り急ぎ煙草を吸おうとしたフェルディナンドの足を止めるように、エリンキルが駆け寄ってくる。


「道案内及び私たちの警護は頼んだぞ」

「待て、の警護だと? お前を守るお仲間がいるじゃねぇか」

「当然、彼らのことは信頼している。ただ、仮に花の魔女とやらと遭遇した場合、実戦の経験があるお前を頼る必要がある」


 至極当然な物言いだ。

 花の魔女あれは魔術師とは比べ物にならない。魔術師狩りに手慣れた上級騎士でも、あれと初めて対峙して勝つ所か真面な勝負を出来るかさえ分からない。

 フェルディナンドも、あの研究所で出会った花の魔女には逃げることしか出来なかった。

 そんな状態で、結果的に花の魔女を倒すことが出来たのは少女のお陰である。


「そうだ、研究所に同行する連中の武装にお前の血で常世の力を付与させれば良いじゃねぇか」

「却下だ」


 主に自分の負担を減らすためのフェルディナンドの提案に対して、少女は無表情のまま拒絶の意を表す。


「あの騎士や兵士ごときが私の力を得ても花の魔女を殺せるとは思えん。貴様のような様々な戦場を駆け抜けた者が戦うに相応しい。何より魔術の付与されていない鉄塊では私の力は効果を発揮できん」


 それ以上の説明は不要だと言わんばかりに少女は口を閉じる。

 彼女の言葉からフェルディナンドのことを評価をしているのは分かるが、今の彼が欲しているのは評価よりも自分の負担の減少だ。

 何とか少女に考えを改めてもらおうにも、そっぽを向いている上に少女の人ならざる力を前にはフェルディナンドも強気な態度に出られない。


「騎士や兵士と評し、それに加えて我が大国の優れた武器を鉄塊扱いか……フェルディナンド頼んだぞ」


 苛立ちを抑えきれない声色で呟きエリンキルは足早に去る。

 少女が自国の戦力の要を評価していないことや鍛冶職人である先祖を持つ故に腹を立てたようだが、激昂することは抑えてくれたようだ。 

 これがちょっとでも愛国心の強い御方であれば、たちまち――やめておこう。初めて大国へ渡った時の失敗を思い出してしまう。

 

「なに、心配するな人間。私がいる限り、負けるようなことにはならんさ」


 何を根拠にしているのか、自信ありげな少女を尻目にフェルディナンドは残された時間を有効活用すべく――足早に野営地の外で煙草をふかすことにする。

 仕事前の一服。

 喫煙者にとってそれは何よりも大事な、ある種の儀式とも捉えても良い程に大事な行為なのだから。

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