第5話 究極美 後編
「人間、銃を貸せ。片手が塞がっていては組み立てられないだろう」
少女は両手にパーツと工具を既に持っている。いつの間に抜き取ったのか、彼女の鮮やかな手癖の悪さに感心しつつフェルディナンドは銃を手渡す。どのような場所でも即座にその時の状況に合わせたパーツ付けることを売りにしているだけに、技巧銃の組み立ては非常に単純ではある。ただ、それでも初めて行う彼女の手際は非常に素早く精確であった。
フェルディナンドが最後に残った蔓を切断した時と同時に少女が銃を手渡す。
「これで女を撃て。ただ、あの胸に咲いている花は傷をつけるな。それ以外ならどこへ撃っても構わん」
少女の言葉に従い、フェルディナンドは技巧銃を女の額に向け――引き金を引く。銃口から発射された少女の力が付与された弾丸は風を切り、寸分の狂いもなく額に真っ赤な花を咲かす。
糸の切れた人形のように女は地面へ崩れ落ちようとしたかのように見えたが――少し近づいて見ると女は依然として呼吸をしており、そしてその双眸未だ燃え盛る程の眼力を放つ。
同時に女の胸に咲いている花がより鮮やかな色に染まる。
驚異的な力、最早それは不死の能力。急所を撃ち抜いたというのにまだ斃れない女を前に、フェルディナンドは花の魔女の恐ろしさをこれでもかと味わう。
こんな奴を本当に倒すことが可能なのか。
「まあ、この程度では死なんよな。これが花の力、これこそ不死の力。」少女がはそう呟いた。
フェルディナンドの焦りには興味も見せず、少女は彼の腕から降りるとゆっくりと女に近づく。彼女の顔は極上の料理を前に目を輝かせ舌を鳴らす圧倒的な捕食者たる相貌をしている。気分が高揚しているのか折りたたまれていた黒い翅が開かれたとき、先程までこちらを激しく睨んでいた女の顔から一瞬で覇気も憤怒も消え去った。
浮かべるは絶望の表情。
大きく目を開き、唇をわなわなと震わせる。
追い詰められた非力な生物が、無駄なあがきをするかのように四肢を動かそうとしているが深い傷を負った彼女が――絶対的な捕食者を前に出来ることは何もない。
舌で唇を舐めながら少女は女の頬に触れ、小さな口を開くと柔らかな首筋へ噛みつく。
それは正しく、妖しき吸血鬼が美しく若い女の血を吸う行為。少女の喉が血を飲むたびに規則的に動く。
少女を剥がそうと女は必死で彼女の白く美しい腕を――柔肌に爪が食い込むほどに――掴んでいたが、徐々にその力が弱まり体全体が弛緩していく。一つの肉体から命が消える瞬間、女の胸に咲いている花が光を纏いより一層美しく花弁の輝きが増す。
それと同時に女の体に不可思議な現象が起きる。触手のような蔓の先端と手先が徐々に青い色の結晶に変化してゆく。それは僅かな青みを帯びた
「ほう、これは面妖だな。私が神秘を吸ったことでこうなったのか……或いは……」
時間にして一分。完全に全身を結晶化させた女から口を離し、恍惚の表情を浮かべる少女は興味深そうに女の体を観察している。どうやら常世出身の彼女も、呪い花が齎す効果や副作用を全て把握しているわけではないようだ。
「……で、例の宝石ってのはどうした」少女の食事が終わるのを待ってからフェルディナンドは訊ねる。
「これだ」
うっとりとした表情で少女は女の胸に咲いた花に指を向ける。
まさかこの花のことを宝石と比喩したのか。がっくりとフェルディナンドは肩を落とす。確かに彼はこの花の美しさに魅了されたが、所詮これは花に過ぎない。
「おい、よく見ろ人間。何のために目を持っている」
少女に言われ、落胆していたフェルディナンドは目を丸くする。
結晶となった女の胸に咲いていた花の形が変化していた。先ほどまでは四枚の花弁しかなかったものが、今やその形状を綺麗な円に形を変えている。近づいてよく見るとそれは薔薇の花にも酷似しているが、外見からでも分かるようにそれは確かな硬さ(花弁の柔らかさはどこにもない)を有している。
まるでそれは熟練の職人の腕で加工された宝石。大きさとしては片方の親指と人差し指で取れる程。全体的な色合いは透き通るような水色で、それはまるで晴れた青空そのもののよう。それでいて僅かに視線を傾けてみれば、宝石の中央部の色が変則的に七色の様相を見せる。さらに目を凝らすと、内部には小さな黄色い花が球状に集まっておりこれまた違う輝きでその存在感を放っている。
雨の上がった空にかかる虹。その景色を閉じ込めたかのような花――否、宝石。己が知る限りここまで綺麗に、そして多様な輝きを拵える宝石など見たことがないフェルディナンドは興奮のあまり讃嘆を抑えきれない。
「これ、取れるのか?」
フェルディナンドの問いに少女は頷く。服の内側から綺麗な白手袋をはめると、ゆっくりと宝石に触れる。すると宝石はいとも簡単に茎からそしてかつての宿主の手を離れ、今やフェルディナンドの手の中で妖しい美しさを放つ。
それに伴い結晶になった女の体にヒビが入り――砕け散る。粉々になった青い結晶屑が僅かに人の形をしていなければ、遠目からではただの塵山にしか見えないだろう。
「宿主の死が近いとその花は血を吸い上げて、それを神秘の蜜として溜め込み宝石のように硬化する。私としてはこちらの方がメインディッシュなのだが……貴様にくれてやる。……ふん、それには見る以外の使用法があるのだが、どうにも貴様に魔術の素養はないようだな、勿体ない」
「使用法? 結構だ。これはこのままでも値が付けられないほどの価値がある」高揚を抑えきれないフェルディナンドの声は弾んでいる。もっと見ていたいが傷でもつけたら大変だ、綺麗な布で宝石を覆い頑丈な革袋に入れると少女へ質問する。
「全ての花の魔女はこれを有しているんだよな」
「ああ。見かけは同じだが、貴様も分っているとは思うが細部には少し差異がある」少女が伝える。その声色にはフェルディナンドが確実に頼みを聞いてくれるという自信がある。
「いいだろう、お前の頼み聞いてやる。この宝石を手に出来るなら、花の魔女であっても相手してやる」
最早フェルディナンドに花の魔女への恐怖は無くなった。極上、いや至上、否それらの言葉を使うには勿体ない程の
少年期以降、何かに心躍ることもなく自堕落に生きていた男は、今やかつての情熱を取り戻し己の凶相に笑みを浮かべる。この広い世界の中で自分だけが、自分にしか所有していない物がある喜びは計り知れない。
「おや、何やら騒がしいと思えばお前であったかフェル」
自分が知る限り恐らくは一人しか使っていないであろう愛称と共に聞き慣れた幼さが抜け切れていない女の声がした。フェルディナンドは声の方へ視線を向け、そして驚いた。
長い茶色の髪を後ろで馬の尾のようにして纏めた頭には、まるでキノコのような不思議な形状をした笠――遥か東方にある国由来の品――を被っている。薄い桃色の唇と黒と紫を混ぜわせた色合いの瞳は魅力的だが、反面些か童顔な顔つきなためか可愛らしさの方が勝っている。
背丈は二十歳手前の女性ほどで、南国の鳥に似た派手な彩色の服と動きやすさを重視した簡易な鎧を纏っている。細身の体のために嫋やかな第一印象を覚えるが、腕や脚にはしっかりと筋肉が付いており、腰に装着している豪華な装飾の施された鞘に収めたサーベルもあって様になっている。
「どうして、ここにいるんだ――エリンキルお嬢さん」
自分の背後に頑丈な鎧を着た騎士と精強な顔つきをした兵士たちを連れている彼女はエリンキル。フェルディナンドを雇っている大国の軍事貴族、そのきっかけを作った人物にして三姉妹の次女。
「急がねばならない事情があってな……どうやらお前の方も色々あったようだな。近くに我々の野営地がある、そこで話をしようじゃないか」
エリンキルのくりっとした瞳がフェルディナンドと少女を捉える。どういうわけか、彼女はひどく嬉しそうに彼女の一族特有の残酷さを拵えた笑みを浮かべた。
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