第4話 究極美 前編

 研究所を飛び出しフェルディナンドは少女を抱えながら、夕暮れ時に差し掛かろうとしている森の中を駆け抜ける。少なくとも日が暮れるまでにはあの女を探し出し決着を付けなければならない。夜になれば女を探すどころか、活発化する魔物に対処する必要がある。勇敢な英雄やお人よしの冒険家などとは程遠い彼は、逐一魔物を相手に戦闘をする性質たちではない。

 茂みをかき分け、時折伸びた木の枝に帽子を引っ掛けそうになりながら走るフェルディナンド。だが鬱蒼とした茂みが、女を追うために目印にしていた血痕を隠していることに気付く。

 

「何をしている人間。あいつはあっちに逃げたぞ」


 どうしようかと悩み足を止めていると、左腕で抱えている少女がうんざりした声と共に指で方向を示す。何故分かったのかと聞こうとしたが、よく見ると少女は時折まるで犬が匂いで獲物を探そうとするときのように鼻を動かしている。

 恐らく、女が流した血の匂いを嗅ぎ取っているのか。試しにフェルディナンドも大きく鼻から周囲の匂いを取り込んでみたが、鼻孔に入るのは草花の青臭さだけ。

 最も彼女の優れた嗅覚があるのなら、あの女を取り逃がすことはなくなるだろう。

 フェルディナンドはしっかりと少女を抱え込むと、再び茂みの中を疾走する。女が残した血痕を頼りに、見失った時には少女が示した方角を頼りに数十分は駆けただろうか。

 不気味な森を抜けた先に雄大さ感じる程に広大で青々とした草原が目の前に広がっている。太陽は地平線に沈もうとしており、焼ける様な茜色の空には僅かに夜を彷彿とさせる闇が見えている。


「人間、あそこだ」


 少女が指さす。

 フェルディナンドがいる場所からやや離れた所に女はいた。先の戦いで損傷した蔓は復活しておらず、加えてこちらの予想以上に消耗しているで逃走する蔓の動きは非常に緩慢であった。

 

「なあ、俺はお前に言われてあの女をここまで追ったがよ……」フェルディナンドは慣れた手つきで技巧銃に特殊なパーツを付けつつ、少女に訊ねる。「俺はあいつを倒す気は無いことは知っているか?」

「私の頼みを聞いたはずではないのか? そうでないのなら、何故私に言われるがままに追ったのだ?」

「場の空気に流されてって言う感じかな」

 

 フェルディナンドの言葉に少女はしばし考え込む。

 ふと冷静に考えてみれば、別に彼はあの女を倒す必要はない。呪い花と花の魔女の存在は確かに人類の脅威になるだろうが、だからと言って自分一人でそれを解決しようとする使命感を彼は持ち合わせていない。

 また彼が受けた任務のこともある。己に課されたのはあくまでも情報収集、本来ならば文書の他に呪い花を持ち帰ることが出来れば幸いだが、今の彼には自分のことを常世の虫と称する少女がいる。

 彼女が呪い花なり、常世なりの話をしてくれればあの国は間違いなくそれを信じて(単に魔術師嫌いを拗らしているだけでもあるが)軍隊を向かわしてくれるだろう。そうすれば後のことは勇猛果敢な騎士に任せ、フェルディナンドはまったりと自分に見合った仕事に精を出せる。

 何より、彼女の頼みを聞いたところで――それに見合った報酬が出せるのか、そもそも一方的に頼みごとをしてきた時点で彼女が何か褒美を渡してくれる気は無いのだ。


「では人間、今一度私の頼みを聞いてもらおうか」

「駆除すんだろ、それは聞いてるっての。大事なのは報酬だ」

「報酬……つまり何かを与えろってことだな」


 少女の言葉に頷きながらも、植物女からは視線を外すことは無い。頼みを聞いたつもりはないが、仮にあれを逃がした場合、少女がどんな対応を取るか不明慮であった。何しろ常世という理想郷の出身だ、少なくとも人間よりも高位の存在であることは明らかであり、それは如何なる神秘的な力を持っていても不思議ではない。

 故にフェルディナンドがこうして頼み事の話をしたのは――ある意味自身の命運をかけた交渉でもあり、しかしながら現状彼女が頼みをする相手が自分しかいないことへの自信のあらわれでもある。


「ふむ、人間お前は何を好ましいと思う」

「好きなものってことか? そうだな、宝石とかは結構好きだな」フェルディナンドは素直に言うとそこで嗜虐的に口角を上げる。「まあ、大抵の宝石は目にしているが……そう言えばお前は常世出身なんだろう、常世にしかない宝石ってのを大量にくれるなら……頼みを聞くのも吝かではないな」

「残念ながら、常世に宝石などはない。何より常世から離れた私がそれを持っている訳がなかろう」


 それでは頼みは聞けないな、とフェルディナンドが言おうとした時だ少女がそれを遮る様に顔を近づけてくる。

 間近に迫る彼女の美しく整った顔、その中でも一際輝く青い双眸はまるで青空か水面を閉じ込めたようで、フェルディナンドの顔がおぼろげに映っている。


「だが、貴様が見たことのない宝石なら用意ができる」

「……見たことのない宝石?」フェルディナンドは少女の言葉を鸚鵡返しする。

「ああ、貴様の肥えきった瞳に強烈な刺激を与える宝石だ……大量とまでは約束はできないがな」

 

 少女はそう言うとこちらに近づけていた顔を離し、こちらの左腕に全身を預ける。彼女の顔には僅かだが笑みが浮かんでいる、恐らくはフェルディナンドの興味をしっかりと惹いた感覚があったのだろう。

 ああ、全く、その通りだ。

 見たことのない宝石、その言葉にフェルディナンドは確実に興味を惹かれた。


「花の魔女と言ったか、あれを倒してもらおうか。さすれば、宝石をくれてやる。その宝石がもっと欲しければ、私の頼みを聞け――これでどうだ?」


 少女の言葉にフェルディナンドはしばし思案する。

 宝石に魅了された身としては彼女が言う〈見たこともない宝石〉を手にした欲は十分にある。

 しかし、その対価が呪い花と花の魔女の駆除。命を奪い合う世界に身を寄せていた彼だからこそ、花の魔女の強さは痛い程に理解している。仮に少女の力があったとしても、他にいるであろう花の魔女を全て倒せる自信はあまりない。

 ハイリスク、リターンされるのは己がまだ見ぬ宝石。この二つをフェルディナンドは己の中にある血濡れた天秤でゆっくりと計り――そして答えを出す。


「良いだろう、頼みを聞いてやる。ただし、お前にもしっかりと協力してもらう」

「当然だとも」少女は頷く。


 少女の頼みを引き受け、まだ見ぬ宝石に心を躍らせつつも花の魔女に対する恐怖は忘れずにフェルディナンドは駆けだす。こちらの走る音に気付いた女はその顔に明確な憎悪と敵意を込めた怒りに染まり、草原の上を滑るように蔓が襲い掛かる。

 少女を抱えたまま(何処かに置いておく訳にもいかない)フェルディナンドは、蔓の連撃を跳ねる様にして回避する。過去の仕事の中でフェルディナンドは相手の動きや攻撃の癖を注意深く観察し、そこから攻め手を生む技術を鍛え上げている。既に彼にとって、あの植物女の蔓をよけることは造作もない。

 そのことは女も気付いたのだろう。恐らくは蔓による攻撃方法以外に手段を有さないのか、女は逃げようとするがそうはさせない。

 フェルディナンドは技巧銃を取り出し、撃ち放つ。撃ったのは弾丸ではなく鉤のついた縄であり、蔓による防壁がされる前に女の腹部へ深く突き刺さる。着弾を確認するや、即座に技巧銃の銃身を取り外し地面へ深く突き刺す。鉤縄を撃つ為の銃身は杭として使用することも可能であり、こうして地面などの硬いものに打ち込むことで相手の動きを制限する拘束具に使用が可能である。

 加えて鉤には鋭いかえしが鮫の歯のように並んでおり、獲物の肉に食い込み外れないようにする他、拘束から逃れようと身を捩れば傷口に無数の針を刺すが如き激痛をもたらす。

 逃走手段を制限された女は再び鞭のように蔓をしならせてフェルディナンドを攻撃する。宙を切り裂くように変則的な挙動をする蔓を紙一重で潜り抜け、或いは刺剣で切断し女との間合いを詰める。

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