第11話 心の闇は内に隠して

 城の中央部にある研究棟が増築された塔。長い螺旋階段を上がること数分、一部の魔術師と花の魔女以外は入ることが出来ない場所がある。廊下に灯された僅かな魔術による炎を目印に、アコニティナは目的の部屋へと向かう。道中目にする扉はどれも厳重に鍵がかけられており、花の魔女であるアコニティナでさえ部屋の用途は知らされていない。

 最も自分は騎士。

 己に課されたのは呪い花に反抗する者の放逐。

 ベラトリアや他の魔術師が何を企んでいようが関係ない。自分はただ歯向かう敵を滅するだけだ。


 目的の場所である木製の両扉――表面に花の紋様が刻まれている――が目に入る。扉を開けると廊下の暗さとは対照的に室内は少し眩しい。中央に置かれた円形の机には四つの椅子が置かれており、その内三つにはそれぞれ女性が神妙な面持ちで座っている。


「おかえりなさい、アコニティナ。早速偵察の報告を聞かせなさい」


 開口一番、入口の向かい側に座っている女がこちらを見つめてそう言った。

 漆黒のローブに頭部を含めた全身を包んでいるため、アコニティナからでは彼女の口元しか見えない。それでも時折見える紫色の髪越しに妖しく鋭い輝きの青い瞳は、数々の戦場を駆け抜けたアコニティナでさえ蛇に睨まれた蛙と化すぐらい。

 流石、呪い花を持ち帰ると並びに秘花学院を創設した魔術師――ベラトリア。

 今まで何人の魔術師を見てきたアコニティナは彼女が放つ異様な雰囲気、まるで見つめるだけで呪われそうな美貌と改めて思い知らされる。今でこそ、彼女はこの塔に籠りっきりではあるが、この国がまだ混乱状態であったころ数多の魔術師から『呪殺の魔術師』と称され、恐れられていたことも頷ける。

 だからこそベラトリアの娘であるカトレリア――母親の右に座っている――が、魔術師として天性の才能を持っていることも当然である。


「ベラトリア様の見立て通り、大国の連中はこの城には来ず、野営地を設営していました。また事前に来ていた他国の船は全て沈められており、恐らくは大国の仕業と思われます」

「ほんと手際だけは鮮やかな連中ね」

 

 ベラトリアは褒めるような言い方をしているが、赤い口紅が塗られた唇に白い歯を食い込ませている。


「それで他の報告は? 本来なら朝にしてもらう報告を今しているのには理由があるのでしょ」

「ヘディナが殺されました」


 冷たく言い放ったアコニティナの言葉にベラトリアは彼女らしくない動揺さを見せた。

 やや適合が上手く言っていないとはいえ、ヘディナも花の魔女。これまでの戦いで他を圧倒していた花の魔女が重傷を負うまでに留まらず殺されたことは、花の魔女作成指揮を執っているベラトリアに衝撃を与えたようだ。

 それでも魔術師としての探求心か、或いは大事な仲間を殺された当然の復讐心か、或いはその両方なのか。見せていた動揺を抑え、ベラトリアは次に口を開いた時には従来の冷静さに戻っていた。


「大国の連中を少々見くびっていたかもしれないわね」

「いえ、恐らく彼女を殺したのは大国の者ではないと思われます」


 想定外の発言にベラトリアを含めた三人が一斉に小首を傾げる。


「フェルディナンドが大国側にいました。そして奴はヘディナから奪った宝石を手にしています」


 絶命した花の魔女から生えていた呪い花が宝石のようになることをアコニティナたちは知っていた。過去実験の最中に暴走した花の魔女を殺した時にその光景を目にしている。


「フェルディナンドさんが……そんな……」


 信じられない、と言うように唇を震わせているのはカトレリア。確か彼女がまだ幼い時、秘花学院の前身である魔術組織にフェルディナンドは属していた。どうやらベラトリアから度々カトレリアの護衛を頼まれていたようで、彼の強さを嬉々として――時には恋する乙女のような顔で語っていた。

 フェルディナンドに並々ならぬ憎悪を抱いているアコニティナにとって、カトレリアの話すことは癪に触ったのだがベラトリアの娘と言う手前、そして魔術師としては珍しくあらゆる人間に優しく接する彼女の性格から彼が自分の恩讐の相手であることは言い出せていなかった。


「成程。どうりで、鎧を脱がないわけね。自分にとっての怨敵を今すぐにでも殺したいのかしら、この騎士サマは」


 今まで沈黙を保っていたもう一人の花の魔女が口を開く。


「貴殿にとってもは復讐を誓った相手だろ、ハイドレンシー。目よりも正直に髪がそう言っているぞ」


 普段は紫色のハイドレンシーの髪は烈火の如く赤に染まっている。

 紫陽花柄の和装姿の彼女は美しい以上に冷淡な表情でこちらを睨む。凍てつくような青い瞳から、彼女がフェルディナンドにどのような仕打ちを受けたのか思い知れる。


「生け捕りにしてくれない? 後で二人で思う存分復讐を果たしましょうよ」

「生憎私は貴殿より我慢が利かないからな。肉塊を嬲るので良いなら、約束しよう」

「……なら、私も特別に貴方について行こうかしら」

「貴殿の職務は城内の警備だ。フェルディナンドに構っている間に城を大国に襲撃されたら、どう責任を取るつもりだ」

「大国が攻め入る時間を作れる程、あの男は粘れるのかしら? 一人ならともかく、花の魔女二人を相手に戦える人間なんていないでしょ」

「そうか。では付いて行きたいならそうしてくれて構わん。最も私たちは馬が居る上に足も早いが、貴殿は……徒歩で来るのか? 私が率いている騎士は付いてこられるだろうが、ふむ、貴殿脚力に自信はあるのか?」


 両者とも自分の恩讐の男を殺すべく、一歩も譲らない。加えてアコニティナは城内の仕事を半ば放棄して不埒な生活を送るハイドレンシーのことを良く思っておらず、ハイドレンシーも真面目一辺倒なアコニティナのことを日頃から嫌っている。

 言葉の応酬を終え、片方は剣を、片方は傘を手にし――一触即発の気配。流石に不味いと思ったのか、普段から二人の不仲を嘆いているカトレリアが抑えようとするも双方は最早、眼前のいけ好かない相手しか捉えていない。

 

「二人とも止めなさい」


 緊迫した空気にぴしゃりと終点を打ったのはベラトリア。

 その一言に、アコニティナとハイドレンシーは全身に雲間を貫く稲妻もかくやの衝撃が走る。口を開けることも出来なければ、視線もアトローファに固定されている。恐らくは彼女が得意とする呪いの魔術を使用したのだろう。

 普段魔術を使用しないベラトリアの魔術を初めて目の当たりにして、そして初めて魔術を受けた――これが呪いの魔術師と称された彼女の実力。未だお互いに対しての日頃の嫌悪感を捨てきれていないものの、これ以上続ければ本気で呪い殺されそうだ。

 アコニティナとハイドレンシーは一先ず矛を収める。


「フェルディナンドがいることは確かに想定外……彼が強いことは私も知っているけど――ヘディナを倒せるとは思えないわね……。アコニティナ、偵察時に不可解なことはなかったかしら」


 大国の野営地で見たものを思い出す。

 別段、おかしな点はなかったと思うが――いや、ちょっと待て。あの時はフェルディナンドを目にしたことで彼にばかり注目していたが、その傍らで面妖な少女がいたではないか。

 肌寒い夜にも関わらず華奢な体に一糸も纏わず。

 長い黒髪と青い双眸は造化の妙。

 そして、背中から生えた黒い四枚の翅。

 少女の姿を浮かべた時、アコニティナは全身を氷の手で握られたかのような寒気を覚える。同時に胸から生えている呪い花がぶるぶると震え、自分の中に恐怖の感情が流れ込んでくる。

 

「……少女が居ました、蝶のような黒い翅を生やした少女です」


 今まで感じたことのない恐怖に思わずアコニティナは態勢を崩しそうになる。机の端を強く握ることで何とか立っていられるが、少しでも気を抜けば尻もちをつくどころか――気絶してしまいそうだ。

 

「蝶のような黒い翅……もしかして……」


 その特徴に何か心当たりがあるのか、考え事をする時の癖でぶつぶつと呟くベラトリア。


「――調べる必要があるわね。少し時間が欲しいけれど……大国に好き放題されるのも困るわね。アコニティナ、明朝連中の野営地に向かい奇襲をかけなさい。ただし、フェルディナンドと件の少女との戦闘は避けること、貴方と狼騎士たちならそれぐらい可能でしょ」

「……私が彼を憎んでいることを承知の上でそれを頼むのですか」アコニティナの声は己の怒りを抑えるように震えている。

「ええ、そうよ。それにフェルディナンドのことは私もある程度知っている、彼は愚かな人間だけど実力だけは確かよ。上手くいけば私たち側に引き込める」

「……最大限の努力はしよう」


 それだけ告げるとアコニティナは部屋を出る。彼女が決めた以上、こちらが何を言おうが簡単に判断を変える性でないことは知っている。前までは彼女の決意の強さに感激していたが、今ではそれを忌々しく思う自分がいる。

 ただベラトリアには悪いが、今回ばかりはアコニティナも己の感情を優先せざるを得ない。あの蝶の翅を生やした少女に呪い花は恐怖を抱いているが――怯むわけにはいかない。何より自分に宿っている呪い花から受けた力は強力なものだ。

 この力と自分の仲間たち、そして騎士となった時から使い続けている剣があれば――恐れるものはなにもない。



「あれは言うことを聞かなそうですね」


 アコニティナが退出した後、静まり返った室内でハイドレンシーが冷淡な口調で言う。


「うん、まあ、そうでしょうね」

「承知の上でしたか」

「今のアコニティナは完全にフェルディナンドのことしか考えていない。何を言っても無駄なのはわかっているわ。あのように言ったけれど、彼女が本当にやってくれるかは……彼女次第ね」

「お母様、本当にアコニティナさんはフェルディナンドさんのことを……」


 悲し気な表情で見つめるカトレリアの頭を撫でてやる。


「カトレリア、あの男のことは忘れなさい。それに今の貴方には強くて優しい人がついているでしょ」


 泣き出しそうな子供を慰める母親の声。

 優しく我が子の頭を撫でる。

 それでも悲しそうな顔をするカトレリア。

 自分の大事な一人娘がここまでフェルディナンドを想うことに、ベラトリアは苦虫を噛み潰した気分になる。幼気な少女の心にどうやって潜り込んだのか、あの宝石にしか興味のない人殺しのことを考えるごとに怒りが湧き上がる。

 カトレリアをハイドレンシーに任し、ベラトリアは貴重な本を収めている部屋へ向かう。

 今はフェルディナンドのことよりも――蝶の翅を持った少女の方が重要だ。

 黒い翅――そして呪い花、自分の見立てが間違ってなければ、それは常世の虫、或いは花喰蝶と呼ばれる存在なのだから。

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