第10話 憎しみ
その城はかつてこの国の魔術師と親密な関係にあった有力貴族の持ち物であった。白い城壁の美しさから『白鳥城』と称されつつ頑強な造りから不沈城と名だたる猛者から尊敬と畏怖を込められて呼ばれたが、今その麗しい姿は身を隠している。秘花学院の統治に伴い、戦乱後唯一無事に残ったこの城を魔術師たちは本拠地にするべく夥しいほどの改築を施した。
取り分け城の中心部には城の外観にそぐわない不格好な施設――魔術師による研究棟――が強引に築造されており、当時の城主は彼らに明け渡したことを後に後悔したという。
最も今や後悔する者はいない。国中の人間を集め、彼ら全員に呪い花を宿させた今や反抗心を持つものなど存在していない。
多数の人が居住しているにも関わらず、ひっそりとした不気味な雰囲気を漂わせる城。かつて精強な騎士たちの出発を見送り、彼らの帰還を迎えた立派な重厚な正門の横に設けられた小さな門が開かれる。偵察から帰還したアコニティナとガブリエルは馬を手伝いの者に預ける。
「お帰りなさい、アコニティナ様」
パタパタと小走りで駆け寄ったのは茶色のローブと魔術師然とした服を着た少女。年齢は二十に僅かに届いていない程で、顔つきにはまだ幼さが残る。ただ紫色の髪の毛が月明かりに照らされ妖しく光る様は大人びた印象を受ける。
「ああ、これは
「今日は他国から大勢のお客様がいらしましたので……」
大変だっと言わんばかりに肩を揉んでいるが、カトレリアの顔は少し綻んでいる。
秘花学院の創設者の一人にして、この国を掌握した魔術師の一人、ベラトリア。カトレリアは彼女の娘であり、元来の魔術師としての素質も相まって次世代の秘花学院を纏める者である。最もまだ幼く加えて過保護な性格のベラトリアのこともあって、カトレリアは今日までまともに仕事を任されてこなかった。生来真面目な彼女が母に対して、都度自分に仕事を任せるよう言っていたことはアコニティナの記憶にも新しい。
「……客人の容態は?」
「花の蜜を体内に入れることは成功しました。特に拒否反応も見られず、しっかりと花に操られています。明日にでも自国へ帰らせる準備は出来ています」
「……そうか、そのことだが――少々、面倒な状況になっている。至急皆を集めてくれ、それとヘディナは呼ぶ必要がない」
アコニティナの言葉に嫌な雰囲気を感じ取ったのかカトレリアは顔を曇らせる。特にヘディナとは仲が良かっただけに彼女は事情を訊ねた。
死んだ、とだけアコニティナは告げる。
聞きたくなかった言葉を耳にしてカトレリアは涙で青色の瞳を濡らしたが、泣き出すことはせず袖で拭うと駆けだした。
「強い娘だ」後ろで控えていたガブリエルが呟く
「そうでなければならん。我々に反旗を翻す者がいた時、彼女には立ち向かってもらわねばならない。我ら花の力を宿した者たちの星になってもらわねばならない」
「幼い子には少々苛酷な責務だな」世を嘆くようにガブリエルは言う。
「だからこそ私たちがいる」
アコニティナの言葉にガブリエルは力強く頷いた。
「ガブリエル、皆に出撃の準備をさせろ。明朝にでも出発する」
「承知しました。しかし、些か焦りすぎでは? この時点で大国と接触するのは危険だとは思いますが」
「何時であろうと大国とは敵対する宿命だ。連中が他国の船を沈めた以上、前以て大国の傘下勢力を削る作戦も通用しない。ならば、ここで連中を叩いてしまっても変わらん」
「左様ですか。ですが貴女の目的はフェルディナンドでしょう?」
ガブリエルの言葉にアコニティナはぴくりと体を震わす。
その名を聞いただけで腹の底から憎悪と憤怒が湧き上がり、それらが体中を駆け巡り激熱を帯びさせる。脳裏に深く刻み込んだあの男の忌々しい風貌。
闇夜に紛れ、恥知らずな戦いで命を奪う男。
格下だと判断した相手を、徹底的に嬲る不埒者。
そして――
「アコニティナ様?」
こちらの異常にガブリエルが気付く。落ち着く声だ、記憶の底に沈んだ亡き父のことを思い出す。
「大丈夫だ、私は冷静だ」
怒りも恨みも、全ての負の感情を押し殺す声は震えている。
「そうですか。ですが、彼へ抱く負の感情は貴女の力になる。冷静でいることは大事ですが、今の貴女は花の魔女。自分の本能に素直になってもよろしいでのは?」
「……留意しておこう」
アコニティナは彼に告げてその場を後にする。
城の中心部に行く道中、アコニティナはガブリエルの言葉を何度も脳内で繰り返す。
本能に素直になる――フェルディナンドへの憎悪を想うたびに胸に咲いた呪い花が熱く滾る。
奴を殺せ――徹底的に完膚なきまで、跡形もなく殺せ、自分の本能に従え、と何者か脳内で囁く。
「……待っていろ、フェルディナンド」
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