第7話 豊富な知識

「まずは私が頼んだ依頼の進捗を聞こうか」

 

 依頼と言うのは勿論呪い花に関することに違いない。フェルディナンドとしては依頼主である彼女が何故この場所にいるのか、聞きたいことは山ほどある。

 だがエリンキルは自分の会話のペースを乱されることを特に嫌う。ここで質問に答えず、彼女にその旨を尋ねたところで素直に答えるどころか機嫌を悪くしかねない。魔術師も面倒な連中だったが、貴族と言うのも中々に気性に難がある輩だ。

 事これに関してフェルディナンドは魔術師との付き合い方を学べていてよかったと、心から思っている。

 

「詳しくはこれを読んでくれ」フェルディナンドは研究所で見つけた文書を取り出す。

 それを受け取ったエリンキルは露骨に不機嫌な顔を露わにする。「口で説明すればよいだろうに全く」

 文句を言いながらも彼女は文書に目を通す。仏頂面で読み進めていたエリンキルは、途中から異常な様子で書かれた内容にその顔を僅かにしかめた。


「なるほど、某国の連中が噂をしていた神秘のモノとはこの花のことであったか。しかし……ふむ、フェルよ、お前が持ち帰ったのはこれだけか」

「目についた中ではそれだけだな。もう少し情報を集めようとしたが、邪魔が入ってな」

「邪魔? ああ、そうだ、お前が連れている少女は何者なんだ」エリンキルの瞳がフェルディナンドの隣へ向けられる。

「私は貴様ら人間が持ち帰った花を食べる常世の存在だ」少女はそれだけ言う。

「常世? ああ、確か理想郷の類だったか。無論妄言ではないよな」


 怪訝な表情を向けるエリンキルに少女は背中の翅を大きく広げ、それが確かなことであると示す。しかし、フェルディナンドもそうだが大抵の人間は常世に対してそこまで詳しくはない。フェルディナンドは彼女の神々しい登場からそれを疑うことはしなかったが、一方のエリンキルはどうだろうか。


「……オーウベン、今すぐ来い」エリンキルは少し大きな声をあげる。

「しばしお待ちをお嬢様」

 

 彼女の背後、仕切り幕をされた奥の方から柔らかな男の声が響く。出てきたのは一目で学者か研究者と分かる白い服を着た男。年は二十後半ぐらいだろうが、黒い髪のせいか白髪が目立つこととやや疲労の残る顔から年齢以上に老けている雰囲気を醸し出している。痩せぎすな体躯、眼鏡の奥には糸或いは鞭のように細い目からは全く覇気を感じられない。

 男はエリンキルから文書を受け取ると、興味深そうに時折感心したように頷いて熟読する。


「私の話も聞こえていただろうオーウベン、王室薬草研究連であるお前は確か常世についても詳しかったはず。少女の真偽の程はどうだ」


 王室薬草研究連――王国のみならずいずれの他国に属する者の中でその組織の名を知らぬものはいない。その名の通り薬草の研究・開発・運用を目的とした組織であり、大国を含め各国に流通している主要な生薬は全て彼らが製造した物である。魔術を使用しない大国などの国にとって、傷や病の治療に使用できるのは生薬のみである。かつては治療に特化した魔術に劣ってはいたものの、今では拮抗するほどに大国の本草学は進んでいる。

 その源流は東方の地で生薬を専門とした流浪の薬師達であり、四大家による統一戦争に際して大国へ進出すると瞬く間に魔術を用いない国へ規模を拡大したことで莫大な富と影響力を有する。統一後、彼らは大国王家の確立に至るまで全面的な金銭の補助をしており、その最たるものが大国の象徴である白と青の美しい城だ。

 そして、こうした動きが四大家を含む古くから大国に影響力を持つ者たちに、多大な不信感を抱かせていたことを彼らは当然ながら理解していた。戦争から一年経過した大国で彼らが王室を掌握しようとしている、などと出所の解らぬ噂が広まろうとしていた時――彼らは全ての財産と権限を王室へと譲渡した。

 傷や病を治す生薬、それ故に人が傷つき病におかされることが多くなる戦いを呼ぶ――死神と言われることを彼らは嫌った。ただ人を救うために――彼らは王家直属の組織になることでそれらの噂を払拭した。最も一部の連中は他国の人間が王室に近づくことを好ましくは思ってはいなかったが、当時力を有した四大家が彼らの行いを快く賞賛したためにそのような思想――大国特有の選民思想――を持つ人間も今は殆ど存在しない。


「ええ、王室薬草研究連第二室長として、あの少女は確かに常世の存在であると確証できます」


 王室薬草研究連第二室とは主に薬草に関する研究を行う部署だ。別名『図書庫』と呼ばれるだけに、大量の本草学に関するモノ以外に草花のことが記された書物を収めると共に世界各地で新種の薬草の探求もしている。

 成程、そこの室長であるなら魔術師が持ち帰った呪い花とそれが生えている常世についての知識もある程度は有しているのだろう。

 

「それはまたどうしてだ」

「ワタクシが知る限り常世には常世花――ああ、この文書では別の名で書かれていますがワタクシとしては馴染みがあるのでこちらで使わせていただきます。そしてその場所には常世虫或いは花喰蝶と呼ばれる花を食べる存在がいます。常世にて常世花を食べることでその数を抑制し、また死んだ者の魂を常世へ送る使者であります」


 まるで流れる水のように滔々とオーウベンは語る。何か彼の興味心をくすぐることでもあったのか、隠しきれない興奮が彼を徐々に早口にさせる。 


「常世と言えば、数年前この世界には常世信仰衆と呼ばれる魔術師たちがいました。常世に住む花喰蝶を信仰し、その力を以て現世を支配しようとし、その過程で異端とされて消滅した存在です。その過程で彼らが残した記録の多くも消失されましたが、その一部は逃げ延びた残党たちが持ち出したそうな……興味深いですね、ともすればこの国の魔術師は常世信仰衆の残党が混じっているのかもしれませんね。何せ当時の魔術師界隈では常世の存在は眉唾だと、思われていましたからね――」


 油を差したように饒舌に喋るオーウベンをエリンキルが手で制す。しゃべりすぎか、或いは彼の話が本件のものから逸脱したと判断したのか。

 ただ、オーウベンが話した内容は決して関係のないモノではない、とフェルディナンドは考える。

 常世信仰衆のことはフェルディナンドも名前だけしか聞いたことがない。いくら大国の組織と言えど、そこまで知っているものなのか。 


「そんな連中も居たなぁ。しかし薬草師であるあんたが何でそれをそこまで詳しく知っているんだ?」フェルディナンドは茶で喉を潤しながら訊ねる。

「ワタクシは薬草師、当然ながら常世花も薬草として一応は研究をしていましたからね。何せ古い文献には常世花を得た者は無限の命を獲得するとありましたからね。それに詳しいのは当然でしょうンフフ……世界の大国には大量の書物を収める大図書館があります――ワタクシ、見た目通りの学者肌でして興味や好奇心に対しての投資は惜しまない気質かたぎなんですよ」


 オーウベンは途中からフェルディナンドに対して視線を向けていた。こちらが僅かに怪しんでいることに気付いていたのだろう。

 学者、と言う連中をフェルディナンドはとかく苦手としている。彼らの方向性は魔術師に似ていてるのだ。

 これ以上面倒な目に遭いたくもないのでフェルディナンドはオーウベンに対して疑惑の言及を止めることにした。


「オーウベン、無限の命と言ったな。しかし、この文書にはそれに関する記述は見られないぞ」エリンキルが文書を指で挟みひらひらとさせている。

「ふむ、恐らくこの国の魔術師たちが求めたのは常世花の蜜の方でしょうね。蜜には神秘が含まれておりそれは魔術の質を高める源です」

「貴様本当によく知っているな。常世花は神秘と無限の命を与える花。神秘の部分は花の蜜、無限の命は常世と言う場所がそも不変の世界であるが故に持ち得ている特異性だ」少女が珍しく目を丸くさせている。

「だからこそワタクシには解らないのですよね。何故花食蝶である貴方が、そのような姿をしていることに」


 オーウベンは僅かに細い目を開き、そこに輝く青い双眸に好奇心をむき出しにした視線を少女に送る。

 確かにそれは気になることだ。フェルディナンドも少女と出会ったときに訊ねたが、その時ははぐらかされている。


「私は常世の存在でありながら、魔術師が花を持ち込んだ時に一緒にこちらへ来てしまった。現世で食事をし、現世の影響を受けることで私は不変の存在から姿形を変えるモノになった……ついでに言うが私の目的は花の駆除だ。どうせ、貴様ら人間のことだ――私のような不穏な存在が敵か味方か、早く解った方が段取りが楽なのだろう」

「お気遣い感謝する。なるほどな、フェルお前、少女から花の駆除依頼を受けたのだな」

「察しが良くて感謝するよ」


 我儘な性格ではあるが、割と察しが良いのが彼女の評価点だ。


「しかし、お前ともあろう男がただで動くわけがないよな」

「そりゃそうだ。花の駆除と花の魔女の打倒、それの見返りがこの宝石だ」


 フェルディナンドは革袋から慎重に宝石を取り出すと、花の魔女について自分が知る限りのことを説明する。

 到底信じがたい話であるが、先程エリンキルは結晶粉となったあの蔓を使う花の魔女を見ている。何より彼女は割と柔軟な人間だ。フェルディナンドが自分よりも遥かに年下の彼女のことをそこまで嫌っていないのは、自分にとって都合の良い面を有しているからだ。


「……なるほど、それは好都合だ。フェルに依頼を出した直後、魔術師を保有する国々が動いてな、こうして私たちがこの地に来たのもそれが理由だ」

「一国潰すにしては兵が少ないとは思うけどな」

「あくまでも私たちはこの地に来た他国の連中を排除するのが目的だ。ここを潰すのはフェルの情報待ちであったが、こうなった以上すぐにでも動く必要がある」


 エリンキルは近くに積んでいた書類を手に取る。それに幾つかペンを走らせると、近くの兵士に手渡す。


「こちらは既に他国勢力の船を全て沈めている。後は上陸した連中の排除だが、花に関する情報も集めたい。明朝、お前が捜索した研究所に向かう。フェルそして花喰蝶よ、しっかりと働いてもらおうか」


 エリンキルは幼い顔に笑みを浮かべる。

 それは何とも残酷に輝く笑み。

 エリンキルの一族が皆そろって好戦的な気性を持つことを、露骨な程にこちらに知らしめる。

 魔術師嫌い、そしてそんな魔術師を世界から抹消しようとすることに関してはエリンキルは残虐非道な独裁者たる思想を秘めることなく露わにする。

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