第2話 神秘的

 破れた遮光幕から僅かな光が入り込むも、その部屋の全貌を殆ど照らせていない。黴臭いその部屋には埃を被った実験器具や文字の掠れた書類が散乱しており、既に管理する者がいないことを教えてくれる。

 薄暗い室内の中をまるで闇を纏うようにして一人の男が歩いている。

 射干玉の如き真っ黒な服をまとう姿は死神のよう。服と同じ色の鍔の広い帽子を深く被っていること、やや長めの白髪交じりの黒髪のせいで目元は隠れてしまっている。

 彼は物色するように室内を散策しており、時折机の上に散らかった書類に目を通している。やがて後半からミミズのような文字で文章が書かれた一枚の紙を手に取った時、彼は過去を静かに呟いた。


「魔術師ってのは本当に救えないなぁ」

 

 帽子で半分ほど隠したフェルディナンドは片方の口角を上げて呆れと嘲りを含んだ苦笑をする。

 彼がいる場所はかつて自身を便利屋として雇っていた魔術師たち、今は秘花学院と称した組織でこの国を支配している魔術師連中の研究所。

 傲慢不遜に無理難題なことを要求する連中だったが、半生を自堕落に生きてきたフェルディナンドにとって彼らは貴重な収入源である。情報収集、危険地帯の安全確保から時には強奪や暗殺などと決して明るくはない仕事をさせられたがそこに不満はなかった。

 しかし満ちていたか、と言われれば答えは否である。

 魔術を極めんとしながらも一向に成果を出せない彼らにフェルディナンドは飽きた。魔術に明るくない彼だからこそ、魔術の神髄に至る道程が険しいことなど知らず、一人の女魔術師が常世へ向かうなどと妄言を吐いたことを鼻で笑い、彼はある時黙って魔術師たちの下を離れ海を越えて他国へ渡った。

 奇しくも彼が旅立ったその日、件の女魔術師は常世から呪い花を手にして帰還していたのだがフェルディナンドがそれを知ったのは旅立ちから数か月経ち、とある大国を統治する王族と密接な関係を築く軍事貴族に雇われ、汚れ仕事をしていたときだ。


 かの国で魔術師が何やら不埒なことをしている。

 魔術師がのさばることは、我が父ひいてはこの国の不利益につながる。

 お前は確かそこの出身なのだろう、仕事を与える。

 疾くその国へ渡り情報を集めよ。

 期限は半月だ。


 軍事貴族の小娘(この一族がフェルディナンドに仕事を頼み始めるきっかけを作ったのが彼女だ)からそのような仕事を受け、出港から四日ほどかけて船を降りた時に彼は不気味な違和感を覚えた。

 戦いの臭いがしなかったのだ。

 この国は昔から統治者を決めるための戦いを行っていた。騎士を擁した貴族、大地主、富と力を蓄えた傭兵集団、そして魔術師と己が抱く思想こそを至上としそれ以外の一切をねじ伏せんと争っていた。斃れた者の死臭や火薬の臭い、魔術による爆発音、戦士たちの鬨の声。

 それらはこの国でたった一つの船着き場からでも感じられたほどだ。

 また違和感は人々にも感じられた。

 港を出てすぐ巡回の兵士を発見した彼は茂みに身をひそめると、何やら異様な様子の兵士たちを注意深く観察する。

 時折出る声はまるで言葉になっておらず、表情はまるで人形のように動かない、そして何かに支配されたかのように胡乱な双眸をして歩き回る彼らにフェルディナンドは生まれて初めてゾクリと冷たい手で背中を撫でられる感覚を味わった。

 兵士だけではない。農民も市井の者も、巡回する騎士ですらも――恐らく今この国に住む人間は皆何かされたかに違いない。そしてその首謀者は、あの小娘が言っていた不埒なことをしているかつて自分を雇っていた魔術師たちだ。

 そこから数日かけてフェルディナンドはこの場所に到着する。

 自分がいない間に何が起こったのか。

 魔術師たちは何をしたのか。

 その答えとなるものを探し、そして見つけた。


 常世、そして呪い花。 


 しかし、まさか本当に見つけ出していたとは。フェルディナンドは僅かに驚いたが、やがて不機嫌さを見せるように形の良い口をへの字に曲げる。

 呪い花がこの国何らかの影響を齎したことは先ほど目にした文書からも解る。それも決して良い影響とは言い難い、少なくともフェルディナンドには件の呪い花をそこまで魅力的に思えない。どんなに美しい外見をしていようとも、人の体内で育ち蝕む花を自分に植えるなど御免被る。



 集めるべき情報はこれでよいだろうか。いや出来るならば呪い花も探して持ち帰るべきだろう。

 フェルディナンドは文書を服の内側に仕舞い込むと、他にも情報を探すべく部屋を出る。先ほどの部屋には文書以外に目ぼしいものはなかった。

 呪い花は人間にとっての脅威であることは明確だ。あの花の影響でこの国に居た者たちは胡乱で人間味のない姿にされたに違いない。敵意があるのかは不明だが、現状自分自身が何ら干渉されない以上は、こちらから下手に手を出すことは避けたい。

 これを渡せば間違いなくあの国は兵を向かわすに違いないが、あれも一応は大国としての威厳と品格がある。この文書だけでは狂った魔術師の妄言と取られる可能性もある。それこそ呪い花とやらを手に入れる必要があるが、正直に言えばこれ以上この国にいるのは避けたい。


「……なんだこれは」


 悪巧みをしながら研究室を出たフェルディナンドは、薄暗い廊下の壁一面に異変を感じる。

 近づいて見るとそれは植物の蔓のようなものだが、大きさはフェルディナンドが見たこともない。丸太ほどに太い蔓からは先が三つに割れた葉が互生に生えている。そして不気味なことに蔓は僅かに動いており、特に蔓の先端部は地面を這うミミズの頭部かのような気味の悪い動作を続けている。

 これが呪い花なのか。

 フェルディナンドは周囲を警戒する。

 壁一面を覆う蔓がもし動いてくれば防ぎようがない。

 腰から下げた刺剣をいつでも抜ける様に構えながら、ゆっくりと足を進める。

 こちらを感知しているのか不明だが少なくとも視覚はないと考えられる、もし視力を備えているならとっくに自分は襲われているはずだ。

 音をたてない様に足元に注意払いながら廊下を進む。半分ほど歩いただろうが、そこでフェルディナンドは前方に人の形をした何かに気付く。

 暗がりに浮かぶのは一人の女。

 だが、一糸纏わぬその姿は植物で出来ているかのように緑色に染まっている。体の所々から短い蔓が伸びており、何よりも奇妙なのは女の腰から下はまるで軟体動物のように無数の触手に似た蔓が不気味に蠢いている。

 露出している控えめな胸の中央部には何かが輝く。


 花だ。

 七色に輝く四枚の花弁は見るものの心を虜にしそうなほど。 


 その花の美しさにフェルディナンドは一瞬で心を奪われた。生来宝石の激しい輝きを何よりも好み、花のような穏やかな美しさに一つとして理解しなかった彼は、今ここであの花の美しさを、息をのむほどの美しさの何たるかを強く脳に焼き付けられた。

 そしてそれ故にあの花を胸に付けた(或いは植え付けたのか)女から放たれる危険性は圧倒的されそうな程。

 それなりの死線をくぐり抜けてきたフェルディナンドの肌がひりつく。花に魅了されている場合ではないと、即座に思考を強敵と対峙するものへ切り替える。


 女の目がゆっくりとこちらを見つめた。

 柔らかな双眸が獲物を前にした捕食者の如く変貌した瞬間――フェルディナンドは床を強く蹴り身を投げるようにして近くの通路へ飛び込む。数秒遅れて、床を激しく複数の何かが叩く音が響き渡る。

 ずれた帽子の位置を直しながらフェルディナンドは立ち上がると、後ろを振り返ることはせずに全速力で駆けだす。薄れた記憶を頼りに出口を求めて廊下を駆け抜ける――背後から床や廊下を這う蔓の音が嫌な程に大きく聞こえてくる。

 このままではいずれ捕まってしまう。

 フェルディナンドは服の内側からのやや大型の拳銃を取り出すと、振り返り蔓の主から少し離れた床へ向かって撃ち放つ。喧しい銃声音と共に放たれた弾が着弾した場所は女の体ではなく、廊下の床。外したのには訳がある、何故ならば着弾と同時にその個所からは大量の煙が立ち込め、ものの数秒で廊下全体に濃い白煙が充満する。


 技巧銃。その名の通り特殊な改造(魔術師の手によるもの)を施された銃のことで、フェルディナンドが所有するこの拳銃は殺傷能力を有する弾丸から閃光や発煙を発生させる特殊弾丸、さらには魔術を有した特殊パーツを使用することで鉤付きの縄を発射することも可能である。魔術師に雇われ様々な仕事をしていたフェルディナンドにとって非常に応用が利く銃であり、特に闇討ちや奇襲に特化している彼にとって熟練の騎士や凶暴な魔物を前にした時にこの銃は大いに役立ってくれた。

 最も一発撃つたびに排莢と再装弾が必要であるが故に連射ができず多対一の戦闘は勿論、一発で相手を仕留めきれない場合や外した時には一気に形成が悪化する弱点がある。


 手慣れた動作で弾丸を装弾しつつ、フェルディナンドは煙幕の方を警戒しつつ観察する。あの植物のような女がこちらを見つけた瞬間に蔓が襲い掛かってきた。

 視覚を使用して感知しているなら、視界を潰してしまえばよい。

 フェルディナンドの目論見通り背後からしていた蔓の音が静かになる。だが、あれが廊下にいる以上この研究室の出口へ向かうのは難しい。ならば窓から脱出するしかない。

 取り急ぎフェルディナンドは近くの扉を開けて部屋へ体を滑り込ませる。

 室内に独特な匂いが漂う。

 嗅いだことのない匂いに不安を感じたフェルディナンドは、そこで部屋の中央部に異様なものがあることに気付いた。

 それは本棚に付いた蝶の蛹だが、あまりにも大きい。少なくとも人ひとりならすっぽりと入れるほどの大きさだ。

 異様なそれに嫌な予感がしたフェルディナンドが刺剣を抜くよりも早く、蛹の背面に切れ目が入った。

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