第3話 天音さん、校門で待つようです

 放課後。


 天音さんには「校門でお待ちしています」と言われたが、角地に位置するこの高校には、生徒が使用する門が三つある。正門に北門、南門だ。


 北門は、門を出てすぐのゴミ置き場に用があるとき以外、ほとんど使用されない。

 だから、天音さんが俺を待っているのは正門か南門の二択に絞られる。


 正門は南門よりも駅に近く、南門は正門よりもバス停に近い。

 正門前の歩道は人が三人並んでも余裕があるほど広く、南門前の歩道は人一人歩けるほどの広さしかない。

 この高校は電車通学と自転車通学が大半を占めるから、正門を使う生徒数が必然的に多くなる。


 天音さんは電車通学だ。

 ゆえに天音さんが俺のことを待ってくれているのも正門……と言いたいところだが、あの天音さんが正門に一人突っ立っているとは想像しがたい。


 校内では、廊下を歩くだけでも数人の生徒が引っ付いて回るほどの有名人なのだ。

 一人正門に立つ天音さんなど、砂場に丸裸のまま投げ入れられた磁石のようなもの。

 すぐに鼻の下を伸ばした大勢の生徒が吸い寄せられてきてしまう。


 だから、天音さんが俺のことを待ってくれているのは南門だ。


 用事を済ませて南門へ行くと、果たしてそこに天音さんがいた。

 腕を組み、門柱に寄りかかるようにして、しきりに辺りを見回している。


「ごめんなさい。お待たせさせちゃったみたいで」

「いえ、いまきたとこです」


 嘘つけ、と喉まで出かかった言葉をぐっとこらえる。

 天音さんなりに気を使ってくれているのだろう。


「それでは行きましょうか、天音さん」

「はい、まずは腹ごしらえですね」

「え?」

「腹が減っては傘を探せません」


 言いながら一歩踏み出した天音さんは、お腹をぽんぽんと叩く。

 確かに時刻はちょうどお昼時だし、お腹がすいていないわけではないが……。


「二人で一緒にいるだけでも危ないのに、一緒にご飯食べてるとこなんて見られたらお終いですよ」

「それくらい、いいじゃないですか」

「天音さんはよくても、俺はダメなんです。ほとんど確実につるし上げられます。俺がこれまで築いてきた人間関係が破綻しかねません」


 一緒に話しているだけでも周囲の視線を感じるのに、一緒にご飯を食べるとなると……。

 そんなところ見つかったらただで済まないことは分かりきっている。


「そうですか……残念です。匂わせというものを経験してみたかったのですが……」

「付き合ってませんから! そういうのはカップルがすることなんです!」

「分かりました。他人の目が気になるのなら、うちの生徒が誰も来ないような場所を知ってますから、そこで一緒に食事をとってくれませんか?」


 そんなに真っすぐ見つめられると断れない。

 同じ高校の生徒は来ないと言っている天音さんの言葉を、俺は信じることにした。




 先を歩く天音さんの後を、金魚の糞のようについて歩くこと十分くらい。

 到着したのはかなりレトロな喫茶店だった。

 ドアを開いたときにカランコロンとなる鈴の音も、店内からどっと押し寄せてくる独特の香りも、どこか懐かしかった。

 確かにここに天音さん以外の高校生がやってくるのは想像しがたい。


 窓辺のソファ席について、手書きのメニュー表に目を通す。

「実はこの店の常連なんです。だから裏メニューだって知ってます」とちょっと格好つけたように語る天音さんは、すでに注文を決めているようだった。


 俺は優柔不断でファミレスに行ってもなかなかメニューを決められないが、この喫茶店はメニュー数が少ないおかげで割とすぐに決められた。


 対面で頬杖をついて待ってくれていた天音さんに目配せすると、天音さんは「すみませーん」と店員を呼んだ。

「ご注文をお伺いします」と店員。


「私は、大盛ナポリタンをお願いします」

「では俺は、オムライスを」

「それと、食後にソーセージコーヒーを二つお願いします」

「ウィンナーコーヒーじゃなくて、ですか?」


 耳なじみのないメニュー名に、思わず口をはさんでしまった。

 オーストリアのウィーンに由来するウィンナーコーヒーなら聞いたことがある。

 小さなころは、ウィンナーが刺さったコーヒーだと思っていた。

 だが、ソーセージコーヒーは初耳だった。


「それではソーセージが食べられません」

「………………」

「以上でお願いします」


 天音さんがそう言うと、「少々お待ちくださいませ」と店員は去って行った。


 ソーセージコーヒー。頭から離れない。

 メニュー表に載っていなかったから、裏メニューなのだろうか。


「私ここの常連なので、裏メニューを頼んじゃいました」

「やっぱり裏メニューだったんですね」

「裏メニューを頼める私のこと、一さんはかっこいいと思いましたか?」

「え、ええ……。ものがあれですけど、裏メニューを頼めるほどこの喫茶店に長く通っているのは、かっこいいと思います」


 微かに口角をあげた天音さんは、何も言わないでうつむく。何かおかしなこと言ったか。

 しばらくの沈黙ののち、


「そっ、それより一さん。お願いがあるのですが」


 天音さんは小さな手をぱちんと打ち鳴らして、何か思い出したように言う。


「なんでしょうか」

「少し貸してくれませんか? ブリリアントフォン……じゃなくて、クレバーフォン……じゃなくて、インテリジェントフォン……でもなくて……」

「スマホですか? スマートフォン」

「そうです! スマートフォンでした。恥ずかしながら、私、持ってないんです。人様に、それも思春期真っただ中の男子高生に貸してほしいなんていうのは不躾なことは重々承知なのですが、お願いできませんか?」

「べっ、別にやましいものなんて隠してませんから。……あ、やっぱり少しだけ待ってください」


 見られてまずいものはないはずだが、念のため、念のために確認させてほしい。

 天音さんに変なものを見せるわけにはいかない。


「大丈夫でした。どうぞ」


 言って、天音さんにスマホを手渡した。


「ありがとうございます」

「それにしても、どうしてスマホを?」

「電話したいんです。鉄道会社の方に、『私の傘を知りませんか?』ってお尋ねしたいんです。傘の安否が不明なままでは、やはり食欲がわきません。今日はたまごサンドを頼めませんでしたから……」


 天音さん、見かけによらずよく食べるらしい。


「そういうことでしたか。それでは……。はい、あとは発信をタップするだけです」


 一旦天音さんからスマホを受け取って、天音さんが通学に使っている鉄道会社の電話番号を調べ、それを打ち込んだ。

 確かに、通学途中に傘を失くしたとなると、電車に置き忘れてきたと考えるのが自然だ。


「へぇ、便利なこと」


 スマホを手に取りながらおばあちゃんみたいなことを言う天音さんは、ピンと伸ばした人差し指で画面をタップすると、それを耳に当てた。


「……すみません、傘の忘れ物がないかお尋ねしたいのですが……はい、はい、ビニール傘です……はい、ひらがなで『そら』って書いてあるテープを持ち手に貼っています……ええ、そうですか……お手数おかけしました……はい、失礼します」


 電話を切って、「ありがとうございました」とスマホを返してくれた天音さん。


「どうでしたか?」

「『そのような傘は届いていませんねぇ』と言われてしまいました……。もっと大きくお名前を書くべきだったでしょうか」

「恐らくそういう問題ではないかと……」

「お待たせしましたー。お先に大盛ナポリタンです。オムライスはもう少しお待ちくださーい」


 傘の捜索が振出しに戻ったところで、天音さんが頼んだ料理が運ばれてきた。


 食欲がわかないとか言っておきながら、天音さんは瞳を宝石のように輝かせてテーブルに置かれる大盛ナポリタンを見つめている。


 それにしても、量が多い。天音さんの顔の大きさと同じくらい盛られている。


 フォークを片手に、テーブルに置かれたナポリタンをまじまじと見つめる天音さん。

 まるで、飼い主に「待て」と言われて、必死で本能に抗いながらお座りしている犬のよう。


「どうぞ、冷めないうちに食べてください。傘のことは食べ終えてから考えましょう」

「はい! いただきます!」

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