夢幻の鏡界

たい。

夢幻の鏡界

夢を見ていた。

それは言ってみれば現実だった。

明晰夢のように甘美な感覚に身を委ねたーー


はっと目が覚めた。

「あ、起きた?」

「……レナか。」

寝ぼけ眼を擦りながら周囲を見回す。

気が付けば時計の針は十時を回っていて二時間目も終わってしまったようだった。

生徒の話し声で包まれている教室内で友人のレナはジト目でこちらを見ていた。

「なんでそんなにぐっすり眠れるのかなぁ。先生ももう諦めちゃったよ。」

「逆になんでお前は俺なんかに構うんだよ。」

初期の頃は割と話しかけてきた人も居たがまだそれを続けてくる物好きは彼女くらいのものだ。

「えー、それ聞いちゃうー?」

レナは大げさに身を引くような態度を取る。

「分かりやすい演技をするな。」

「もう、素直じゃないなぁ。」

レナは顔を背けてしまった。

まったく、妙な奴だ。

こんな問題児など放っておけばいいものを。

「ねえ、どんな夢を見てたの?」

急に振り向いてレナは俺に尋ねた。

「…覚えてない。ただ、幸せな夢だった気がする。」

「だからそんなにぐっすりと。」

そう言ってレナは微笑んだ。

その真意がなんであるのか俺にはよく分からなかったが気に留める間も無くチャイムが鳴る。

「やば!次の準備しないと!」

レナは大慌てで席に戻っていく。

そうだ、それでいい。

明確な答えなんて要らない。

そのまま、何もしなくても時は過ぎて物事は移ろっていく。

焦るレナを横目に眺めながら、俺は再び机に突っ伏した。


はっと目が覚めた。

「ようやく起きたの。」

「……レナ?」

倦怠感に襲われつつも俺を取り巻く世界を把握する。

薄暗い裏路地で何かを引き摺るような音が何処かからしている。

「起きたんなら早く移動するわよ。あいつに気付かれる前に。」

「あいつ?」

レナは呆れた様子でこちらを見る。

そんな事をされても俺は目の前に立っている女性がレナなんだということくらいしか分からないのだからどうしようもない。

「頭を打った衝撃で記憶でも飛んだ?あの化け物に捕まったら一巻の終わりよ。」

「あー、もしかしてそれって大きさが五メートルくらいで腕が五本あって顔がすっごく気持ち悪い奴?」

「なんでそんな詳しくーーっ!?」

俺の視線に何かを悟り、レナが振り向くと化け物はそこに立っていた。

「もう見つかったの!?くそ!逃げるわよ!」

裏路地の化け物と反対の方を抜けて駆け出す。

だが、影がぬっと出てきて俺たちは後退りした。

「もう一体!?」

「この街はもうこいつらの巣窟よ。死にたくなければしゃがんで!」

レナが背負っていてケースを開けて中から銃を取り出す。

刹那、空気を切り裂くような揺らぎと暴力的な轟音が俺の耳をつんざいた。

前方からは煙が上がり、化け物だった何かの下半身が力無く倒れている。

「よっしゃ。倒した!」

「一時的に機能停止しただけよ。すぐに再生するわ。ほら、走って!」

言われるがままに身体を動かす。

入り組んだ街の中を化け物から見つからないように、その上で速度を保って走り抜ける。

引き摺る音が小さくなるような感覚に襲われては後ろを振り返った。

その度にレナから注意される。

「今は自分の進む道だけ見るの!でないと逃げ切れない!」

燻んだ灰色が視界を占拠している。

その中を俺たちは生きる為に、走った。

走って、走って、走って。

息も絶え絶えになった頃、ようやくレナは立ち止まった。

「この辺りでいいか。」

「はぁ、はぁ、もう追ってこないのか?」

「取り敢えずは撒いたはず。あなたがぼーっとしていなければこんなに苦労しなかったのに。」

そう言ってレナはジト目で俺を睨む。

「仕方がないだろ。急でこっちも何が何だか。」

「本当に憶えていないの?あんな化け物のことを?」

レナは怪訝そうにこちらを見る。

「ああ。見た時は本当に驚いた。」

「記憶が無くなった、ということは要因があるかもしれない。例えば眠っている間、何か夢は見た?」

「良く憶えていない…。ただ、辛い夢だった気がする。」

「その精神的苦痛、それがあなたの記憶の鍵になっているのかもしれないわね。」

いつの間にか何かを引き摺る音は聴こえなくなっていた。

俺たちの息遣い以外は無音の空間の先程とのギャップに却って不安になった。

「今は私が見張りをするから少し休みなさい。」

「大丈夫なのか?」

先程の件もあって不安になる。

「何かあればすぐ起こすわ。あなたの身体はだいぶ消耗している筈よ。夢が鍵となるのならば意味はある筈だし。」

「じゃあ、おやすみ。」

「今度はちゃんと起きてね。」

皮肉を受けながらも俺は身体を休めた。


目を覚ますと三時間目どころか四時間目が終わっていた。

生徒は皆、昼食を食べている。

ぐっと伸びをすると血流が全身に廻り眩暈がする。

酸素が欠乏し、小さく欠伸をしているとレナが寄ってきた。

「あ、起きたんだ。」

「ついさっきな。さて、俺は昼飯を食うんだが。」

「一緒に食べよ。」

レナは席まで弁当箱を持ってきていた。

「……」

「露骨に嫌な顔しないの。まったく、可愛げが無いんだから。」

そう言いながら俺の返事なんて待たずにレナは弁当を広げている。

「ほっとけ。」

そう言ってレナに舌を出した。

その口元に何かが突っ込まれる。

「むぐっ」

遅れて認識した甘い味。

卵焼きが俺の舌の上で溶けていた。

形容出来ない程にやわらかく、美味しかった卵焼きについ舌鼓を打ってしまう。

「どう。参った?」

レナはニヤニヤしてこちらを見ている。

「分かったよ。ほら、さっさと食うぞ。」

あれを美味しいと咄嗟に思ってしまった時点で俺の負けだ。

今も残るあの自然由来の風味が俺の食欲を刺激して、自分の弁当箱を開ける。

「ほら、これやるよ。」

適当に見繕ったきんぴらを箸で摘まんでレナの口に放り込む。

「んー!美味しっ。これ、自分で作ったの?」

「ああ、そうだが。」

「……負けないからね。」

「そこで勝負を仕掛けたつもりはねえよ…。」

昼食を食べ終えて席で日に当たっているとなんだか眠気が増してくる。

「俺、そろそろ寝るわ。」

「え、また?」

「じゃ、おやすみ。」

レナの抗議の声が聞こえる気がするが、無視して俺は意識を深くまで落とすのだった。


目を覚ますと同時に頭に鈍痛が走った。

「ーーっ」

「あら、起きたの。そしたらそろそろ移動するわよ。」

「レナは寝なくていいのか?」

「人の心配とは良いご身分ね。私は大丈夫よ。」

「そうか。」

周囲に意識を向けるとまた何かを引き摺る音が響き渡っていた。

「この音は?」

「特に強力な化け物がこの街を徘徊しているの。そいつの特徴がこの音よ。」

「見た事あるのか?」

「前の仲間が見たらしいわ。すぐに気が狂って死んでいったけどね。」

「それだけ絶望的ってことか。」

「だからここから移動するのよ。着いてきて。」

レナはまたケースを背負って走り始める。

それに置いて行かれぬように急いで追従する。

すぐに呼吸が安定しなくなって速度が落ちる。

「短距離を全力疾走するとか以外の時は呼吸は長めに保ちなさい。」

「…ああ。」

一度息を大きく吸ってから返事する。

最初はそっちの方が苦しかったが慣れてくるにつれて身体は再び動き始めた。

だが、曲がり角を通り抜ける時に事件は起こった。

背負っていたケースが街路を若干飛び出す形になっていた鉄柱とぶつかり甲高い音を立てる。

一瞬、お互いに目を合わせた後、まずいということをはっきりと認識した。

「ーーっしまった!」

前方よりやってきた敵を銃で機能停止させたレナは後ろに目をやりながら言った。

「あなたにこの銃を預けるわ。時間を稼いで。」

「おい、見捨てるつもりか?」

「馬鹿言わないで。周辺施設の再起動を行えないか試すの。でも、使用中は無防備になるから気を引いていて貰わないと。」

「あー、逆じゃ駄目?」

「あなたに機械の再起動が出来る?」

「仕方がない。任せろ。」

渋々銃を受け取る。

このまま二人揃って野垂れ死ぬくらいならば一抹の期待に賭けたって良いだろう。

レナが近くの建物を上っていったのを確認すると俺は今度は自分の意思で思いっきり鉄柱を蹴っ飛ばした。

「ーーなるようになれっ!」

ヘイトが完全に向いた化け物たちが後ろから俺に迫ってくる。

多分先程撃った奴らも再生を終えたら追い付いてくるだろう。

全力で駆け出しながら俺はレナが見ていたマップの道を必死に思い返していた。

ある程度逃げたら今度は起動した機械を用いて奴らに攻撃を仕掛けなくてはいけない。

大回りしてかつ囲まれないように誘導しなくてはならない。

俺の死はレナの死をも意味する。

もしかしたら生き永らえることもあるかもしれないが銃が駄目になっては流石に厳しいだろう。

次は右。その次は左。また左。

うろ覚えの中でも希望のあるルートを選択していく。

兎に角追い詰められることの無い様に。

表示されている銃のエネルギー残量的に撃てるのは後二発程度だろう。

本当に切羽詰まらない限り使いたくは無い。

息を吸え。

ゆっくりと大きく息を吸って動きを持続させろ。

これは持久戦だ。

直すか、捕まるか。

裏を返せば捕まらなければ俺の勝ち。

それだけを巧妙にひた走る。

今はもう廃墟と化した街の中から微かに駆動音が聞こえる。

それを掻き消すようにまた金属を蹴る。

酸素が段々と欠乏し視界が狭まっていく。

俺は振り向かずに走り続けた。

どれほどの時間が経っただろう。

否、きっと疲労のせいで体感時間が長いだけだ。

まだか、まだなのか?

限界を迎えそうになった時

「キュインッ!」

起動音が鋭敏になった俺の耳にはっきりと届いた。

最後の力を振り絞って最初の地点に向かう。

そこから先は一瞬だった。

化け物の息遣いが聞こえるようで必死に走り続けた俺はあそこに辿り着いた。

もう足は動かず、反射的に振り向きながら銃の引き金を引いた。

こちらに飛び掛かろうとしていた化け物の身体の一部が弾け飛び、遅れて上から機銃掃射が降り注ぐ。

それは辺りの化け物たちを粉々に砕き、再生さえも許さなかった。

「はぁ、はぁ、終わった…のか?」

「お疲れ様、よく頑張ってくれたわ。」

「遅いぞ。死ぬかと思った。」

「こっちもかなり無理矢理な作業だったのよ。専門家じゃないし。」

「俺だってマラソン選手じゃねえよ。」

「何はともあれ生き残れて良かったわ。さあ、移動しましょう。」

そう言ってレナはすぐに俺に背を向ける。

未だに何かを引き摺るような音は止んでいない。

「俺は疲れた…。」

「野たれ死にたいならそこで転がってなさい。」

「この鬼、悪魔!」

「化け物よりは幾分かマシね。」

そう皮肉で返してレナは俺に手を差し伸べる。

俺は息も絶え絶えだったがそれに掴まって立ち上がる。

「分かったよ。ほら、銃返すぞ。」

「それはあなたが持っていて。またこんな事がないとも限らないし。」

「…分かった。」

俺は今後の役回りを想像して絶望しながらもふらふらと歩く。

そして安全そうな場所に辿り着くや否や意識がシャットアウトされた。


はっと目が醒めた。

机の硬い感触と痺れた両腕。

窓から射し込む光は茜色へと変遷を遂げて気温は緩やかに下がり始めている。

蛍光灯の微かな明滅が眼に悪い。

黒板の深々とした緑は靄のような白に覆い隠されていて俺の視界も霞んだように錯覚させられる。

「おはよ。」

横を向けばレナが居る。

「もしかしてお前、待ってたのか?」

時計を見れば時刻は四時半を回っている。

いくらなんでも部活などがない者は家に帰っている頃合いだ。

「うん。待ってた。」

「なんでそこまでして俺に構うんだよ…。」

俺のような問題児に関わって良いことなんてない筈だ。

話して得られるメリットに釣り合わないデメリットが発生している事は自覚している。

「あのね、友達待つのに理由なんて要る?」

レナは屈託もなく笑った。

空の橙は彼女のイメージカラーを示しているのかもしれないと思うほどに。

それが眩しくてつい目を背けた。

「ちょっと、なに恥ずかしがってんのー?」

「いつから友達になったんだよ。」

レナの質問は無視して言葉を返す。

「冷たっ」

「頭を冷やすのには丁度いいだろ。」

そう言いながらも荷物を纏めて教室を出る。

「ねえー、待ってよー!」

「着いて来んなよ。」

軽く突き放してみる。

「私は天邪鬼だからそう言われると逆に着いて行きたくなっちゃうかも。」

「じゃあ、着いてこいよ。」

「あ、言質取ったよ。」

「…………策士め。」

俺は溜め息を吐いたがレナを諦めさせる事は無理なようだったので諦めて駅への道のりを歩き始めた。

「ねえねえ」

「なんだよ。」

「さっきはどんな夢、見てたの?」

少し俺の先に出て振り返りながらレナは問う。

「だから夢の内容なんて覚えてないって。」

「でも幸せだとかなんとか言ってたじゃん。」

「あれはそんな気がするって話だ。確定事項じゃない。」

「全く覚えてないわけじゃないんでしょ。もしかして言えないような夢だった?」

ニヤニヤしながらまたからかってくる。

「そうかもな。兎に角、俺は本当に分からないんだ。」

「寝すぎで頭がボケてるんじゃないの?」

「酷い言い草だな。」

「だって、気になるじゃん!」

それでも、俺は何一つ分からなかった。

なぜ彼女が俺に興味を示すのか、どんな夢を見ていたのか。

俺はこれからどうしたいのか。

そんな俺の杞憂もつゆ知らず、レナはある方向を指さした。

「あそこの公園、ちょっと寄ってかない?」

「ああ…」

俺は生返事をしてレナに着いていく。

そのまま空いていたブランコに並んで座る。

しばらく揺れているとレナが話し掛けてきた。

「ねえ、なんで私が君に話しかけるんだと思う?」

「さあな。不幸になりそうだから止めといた方がいいぞ。」

「あはは、酷い言い草。でも、幸せっていうのは人によって違うんだよ。」

「……」

「私は例えそれで嫌な目に遭ったって不幸だとは思わない。自分の選択の結果なら。」

「お前は、強いな。」

「逆だよ。ちゃんと後悔して反省する方が難しい。」

そう言ってレナは寂しそうに微笑った。

「ねえ、君にとっての幸せは何なの?」

俺は俯く。

どうしようもない静寂が頭を叩いてくる。

俺はその質問には答えられない。

レナは不思議そうにこちらを窺っている。

身体の微かな震えに同調して鎖が金属音を立てる。

その時、子供たちが公園に駆け込んできた。

「おい、お前何やる?」

「靴飛ばし合戦やろうぜ!」

子供たちはこちらへとやってくる。

レナはすっと立ち上がって子供たちにブランコを譲った。

「少年たち、お姉さんが審判してあげよう!」

「マジか!」

「じゃあ、俺からな。」

俺もブランコから離れ、近くのベンチに座る。

そのまましばらくの間、ぼんやりと彼らの様子を眺めていた。

「あー、ミスったー!」

「ドンマイ。次は誰の番?」

「次は俺!」

彼女を中心として大輪の笑顔が咲いている。

あんな風に出来る人間が羨ましい。

抵抗なく人の心に触れて、傷付けることなく過ごせる。

それは多くの人から見ても立派な「幸せ」の形だろう。

考え事をしていた俺にいきなり手が振られる。

「どうした?」

「君もほら、飛ばしなよ。」

「はぁ?なんで俺がーー」

「私スカートで出来ないじゃん。代理出場っ!」

引きずられるようにしてブランコに座らせられる。

一体どうしてこうなっているのか。

でも、なんだか悪い気はしなかった。

一回、二回、三回。

大きく揺れてから足を前に突き出す。

するりと抜けた靴が宙を舞う。

「うわー!一番だ!」

また一つ、わらいが増えた。


程なくして空の暖色は元気を無くしていき、子供たちも帰って行った。

「どう?気分はすっきりした?」

「良い子供たちだな、とは思った。」

まったく的外れな返事で応える。

「なら良かった。」

「此処にはよく来るのか?」

「いや、今日で三回目くらい。あの子たちも初対面だよ。」

「凄いコミュ力だな。」

「私なんてお姉ちゃんに比べれば全然だよ。」

「…なんで比べるんだ?」

「え?」

「レナはレナであって姉とは違うだろう。」

「……」

「あ、悪い。」

なにか気分を害する事を言ってしまったのかと不安になり咄嗟に謝る。

だが、予想とは裏腹にレナは笑い出した。

「あははは。ほんとに君は不思議だね。」

「失礼だぞ。」

「いや良い意味で。何考えてるか分かんないもん。」

「俺だってレナの考える事なんて分からないぞ。」

静かになった公園の中でブランコは揺れる。

空では一番星が輝いて周囲の夜空をより鮮明に感じさせる。

少しの間、俺たちは何も言わずにただその揺れに身を任せていた。

往復するたびに動きは遅く、弱くなっていく。

やがてレナは立ち上がった。

「ま、いいや。それじゃ、そろそろ帰ろっか。」

レナは俺に手を差し伸べる。

俺はその手を取ってブランコを降りた。

月は白から着色され始めていて時間もそれなりに遅い。

帰り道は一転して話すことなくただただ歩く。

だが、別に心地は悪くなかった。

どこかやすらいだ気持ちで家に着き、明日の準備や風呂、食事を済ませて眠りに着いた。


はっと目が醒めた。

既に微かな筋肉痛が襲ってきていて顔を顰める。

乳酸が溜まらないように遅い気もするが足にマッサージを施しながら辺りを見回す。

レナが居ない。

一通り足をほぐしたら立ち上がって周囲を探してみる。

少し歩くとすぐにレナは見つかった。

彼女は少し高い場所に登って座っている。

「何やってんだ?」

「見張り。」

「お前、寝てないんじゃないか?」

「まだ動けるし、大丈夫よ。」

「いや、俺が代わるからレナは少し休め。」

「でも…あれだけ走らせたし疲れたでしょ?」

「もう充分休んだ。レナだって施設の復旧とかで疲れてるだろ。」

「…じゃあ、お言葉に甘えて。」

レナは梯子を降りて睡眠場所まで歩いていく。

「三時間経ったら起こして。また交代するわ。」

そう言って時計を手渡される。

「分かった。」

どこまでも真面目な発言に苦笑する。

そして梯子を登って街を見渡す。

今日の夜は静かだ。

あの引き摺る音も、射撃音もなくただ時が過ぎていく。

たったそれだけの事なのにどうしてこんなに安寧を感じるのだろう。

警戒は緩めないまま色々と考えてみる。

一体あの化け物はなんなのだろうか。

少なくとも俺が覚えている知識でアレと似通った生き物は存在しない。

突然変異にしても数が多すぎる。

そして、街の外にも奴らは居るのか、という疑問もある。

世界中に奴らが蔓延っているとすれば人類はかなり危機的状況にあるのではあるまいか。

ふと街の砲台を思い出す。

あれだけの威力のものがあるというのにレナ以外の人間は居ないし、廃墟も多い。

機能は停止していて街はすっかり化け物の根城と化している。

街の人が逃げただけなのか、強力な個体がいたのか、はたまた怪物以外にも脅威があるのか。

原因はまるでわからない。

それどころか俺は自分の記憶すらも思い出すことが出来ない。

何もかもが不明瞭だというのに俺はこの逃避行に意義があると希望的観測をしている。

それはきっとレナの存在が大きいのだろう。

頼り甲斐があって、優しくて、強い。

月は闇夜に照らされて青白い光を放っている。

三時間の時はあっという間に過ぎ去っていた。

梯子から降りてレナを起こしにいく。

「おい、レナ。言われた通り起こしに来たぞ。」

目を瞑ったままのレナの事を軽く揺すぶる。

するとレナの腕が動いて俺の服を掴んだ。

「…お姉…ちゃん……」

意識はまだ戻ってきてはいないらしく寝ぼけているようだ。

その無防備で弱々しい姿に俺は意外さを感じていた。

服が張ってそのまま引っ張られ、勢いのままに引き倒される。

「え、ちょっ」

ドサッ

図らずとも覆い被さるような形になってしまい狼狽する。

レナの暴走は止まらず、今度は俺の肌に彼女の手が触れてもっと寄せられる。

その柔らかさと温かさに緊張が脳をショートさせる。

「ん、うぅ」

ここで彼女は目を開けて、しばらくぼんやりとしていた。

やがて焦点が定まっていき、俺の顔が間近にある事に気が付くとかなり驚いた様子で身を引ーーこうとしたが自身の手が俺の身体を掴んでいる事に気が付いて赤面する。

「そ、その。ごめん。」

「いや、あー。起きたならいいんだ。」

お互いに気まずさを感じて目を逸らしながらも話す。

「退いてもらえる?」

「あ、悪い。」

体勢がそのままだったことを思い出し、慌てて移動する。

次いでレナもゆっくりと身を起こす。

「ありがとう。今度はあなたが休むといいわ。」

レナはそう言い残して走って行ってしまった。

残された俺は未だに緊張が抜けきっていない。

「とりあえず休もう。」

この状況下だ。次いつ休めるかも分かったものじゃない。

俺はこのぐちゃぐちゃな気持ちを誤魔化すように眼を瞑った。


はっと目が醒めたーー

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夢幻の鏡界 たい。 @tukawareteorimasenn

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