白の境に舞う金烏
増田朋美
白の境に舞う金烏
日中はまだ暑いけれど、日が陰ると冷える季節になってきた。そうなると、秋が深まってきて、過ごしやすい季節になる。秋は、学問の秋だとか、読書の秋、スポーツの秋、色々あるけれど、どれもみんな自分には合わないなと、ジャックさんは思うのだった。理由は唯一つ。学校にまた呼び出されてしまったからである。
相変わらず、担任教師の先生は、こういう。
「この学校が私立であることを、もうちょっと認識してもらわないと。お父さんが、いくらイギリス出身で、武史くんを自由に育てようとしているのかもしれないですけど、日本では、こういうルールもあるのだと言うことを、ちゃんと、わかってください。」
ジャックさんがなんで学校が呼び出したのか聞くと、武史くんの素行の悪さには、困ったものがあるという。教師の言うことにすぐにやじを飛ばして、直ぐ答えを言ってしまうので、他の生徒が考える事をできなくさせるのだという。そうかと思えば、日本の勉強は、試験で一斉に同じ答えを書かなければいけないのに、授業では、意見のある時は手を上げて言え、となるのだから、日本の教育システムはよくわからないとジャックさんは思うのだ。勉強ができないので塾へ行って、勉強を教えてもらおうとする生徒さんも多いが、それだって、正しい答えをただ事前に教えてもらうだけで、自分で考えるとか、なぜそう思うのか主張するとか、そういう事は一切ないと言うのだから、全く意味はないとジャックさんは考えていたのだった。
「お父さん!聞いているんですか!もうこちらに来てからは、イギリス式の教育のやり方は、もう絵に書いた餅だと思ってくださいよ。日本に来ているんですから、郷にはいっては郷に従えだと思ってくださいよ!」
「はあ、はあ、、、。」
担任教師は何回も日本の教育システムになれてくれというのだった。だけど、ジャックさんにしてみれば、日本の教育システムなんて、何の意味のないものをただ頭に叩き込んで居るようにしか見えないのだった。そんなものを、わざわざ学校で、学ばなければならないのかよくわからない。
「お父さん。わかったら、お返事くらいしてくれませんか?」
担任教師に言われて、
「わかりません。」
とジャックさんは答えた。
「うちの武史が授業妨害すると言いますが、それは、積極的に発言をして授業を盛り上げているということで、良い評価をしてもいいと思うんですが?」
「だから、それが日本の教育システムなんです。授業を盛り上げるなんて、はっきり言えばどうでもいいのですよ。それよりも、武史くんが試験でどれくらいいい点を取ってどれくらいの偏差値を獲得するのが、評価されるべきところなのです!着眼点が日本とイギリスでは全然違います!それに、そんなふうに授業妨害ばかりする生徒さんがいるとなったら、学校の評価だって、下がってしまう!そんな事をしたらどうなるか。お父さん、それもわかってくださいますよね?」
「はあ、そうですか。でも、それは武史のためじゃなくて、学校の評価のためのことですよね。それは、通っている生徒には、関係ないと思うんですけど?」
ジャックさんがそう言うと、担任教師は呆れた顔をした。
「全く、ヨーロッパ人というのはどうしてこうなんだろう。日本では自己主張することが美徳ではありません。それより、過酷な授業に耐えて、家族のために一生懸命やることが美徳なんです。家族を喜ばせるために、厳しい授業に耐えて良い成績を作る。これこそ、理想的な日本の子供です。それをわかっていただけないと。」
「そんな事わかりません。家族を喜ばせるために楽しくもない授業に参加して、ただ砂を噛むような試験を受けるだけの学校なんて、何の意味も無いと思います!」
ジャックさんは、担任教師に向かってそういったのだった。どこまで行っても平行線である。いつまでたっても決着がつかないので困ったものだ。なんでこういうふうに、学校から呼び出されなければならないのか、ジャックさんはよくわからなかった。できることなら、学校に監視カメラでもつけて、授業の様子を見せてもらいたいものだ。それで武史くんがしていることが、本当に授業妨害になるのかどうか、自分で調べてみたいところでもある。
「全く、これでは武史くんも可哀想ですね。日本式の教育も受けさせないなんて。いいですか、日本で暮らしている限り、日本式の美徳をちゃんと身に着けないと、暮らしていけませんよ。親の仕事は、それを教えてあげることでしょう。黙って雨風に耐えて学問し、良い成績を取って良い学校にいき親を喜ばせるのが子供の仕事です。そしておとなになるためには、良い学校にいって、良い会社に入って幸せにならないと生きていけないんですよ。それを大人は手本として見せて挙げなければだめでしょう。いいですか、自分らしく人らしくなんて日本では皆無なんですよ。そうではなくて、周りの環境にうまく順応することこそ、一番大事なんだと教えていくことが最高の教育なんです、おわかりになりますか!」
担任教師はつばを吐きかけるように言った。
「そんな事はわかりません。僕は会社も何もはいっていませんので。それに、いい学校とか、いい会社と言いますが、そこへ行って、良い人生をつかみ取れる人は果たしているでしょうか?僕の知り合いでは、そういう人は、ほとんどいません。」
ジャックさんは、担任教師に言った。
「はあ、やれやれ。日本もグローバルな国家になったなんて、大嘘ですよ。日本ではまだまだ古いしきたりは残ってます。それに従って生きていかないと行けないです。武史くんにもうちょっと、点数を取るようにとりなしてあげること、そして、授業妨害をしないで意見のある時は手を上げて言うように、注意してください。イギリスでは子供はのびのびと自由にと言われているのかもしれないですけど、日本では、そうは行きませんよ。お父さん。今日はもう時間が無いので、帰ってもいいですが、もうちょっと、日本の教育について、考え直して、それで今一度学校に来てくださいね。よろしくおねがいします。」
と、担任教師は、ジャックさんにもう帰るように言った。ジャックさんは、よくわからないなと思いながら、学校をでた。なんでこんな事を言われなれければならないのか、がよくわからない。よく挙手をして、授業を盛り上げて、教科書に載っている主人公の心情を自分なりに理解してくれれば、それでいいのではないかと思うのだけど。日本の教育制度は、違うのだろうか?
ジャックさんは、学校を出て、家に向かってトボトボ歩き始めたが、まっすぐ家に帰る気持ちにはなれなかった。とりあえず歩いていると、12時の鐘がなった。ちょうどお昼の時間だったことを思い出して、ちょっとラーメンでも食べていくかと思いつき、別の道を取った。どうせ武史くんは、うまいものを食べさせてもらっているに違いないから。ジャックさんは、住宅街の一部にある、イシュメイルラーメンと、看板のある店にはいった。
「いらっしゃいませ。」
と、店主のイシュメイルさんことぱくちゃんが、ジャックさんに声をかけた。
「今、空いているから、開いている席に座ってよ。」
「わかりました。」
ジャックさんは、開いているテーブル席に座った。ぱくちゃんから、ご注文は、と言われて、ジャックさんは、とりあえず、チャーシュー麺をといった。はいわかったよと言って、ぱくちゃんは、厨房に戻っていった。ラーメンは数分後にやってきた。ラーメンと言っても、ウイグル式のラグメンを醤油味に応用したものなので、ちょっと、普通のラーメンというより、黄色いさぬきうどんという感じのものであった。この店はそれが売りなのである。おかしいよな、とジャックさんは思うのだ。だって、こうして自分の個性を生かしてラーメン屋をやっている人も居るじゃないか。それも、学校の先生から見たらおかしなことなのだろうか?
ジャックさんがラーメンを食べていると、中年の男性と、一人の女の子が、店にはいってきた。
「はい、いらっしゃいませ。開いているお席にどうぞ。」
ぱくちゃんが、優しくそういった。彼女は、何故か泣いていたのだった。多分、小学校の低学年の女の子だと思うんだけど、なにか悲しいことでもあったのだろうか。
「えーと、お客さん、ご注文は?」
ぱくちゃんが聞くと、お父さんと思われる男性が、
「ああ、それじゃあ、味噌ラーメンと、」
と言って女の子に目をやった。
「あたしは、ネギラーメン!」
ちょっと八つ当たりするような感じで言うその女の子は、何か嫌なことがあったのだろうか。それとも、なにか言われてしまったのだろうか。とても悲しそうな顔だった。子供なのに、こんな悲しそうな顔をしてもらいたくなかった。日本の子供というものは、なんでこんなふうに疲れているような子供さんが多いんだろうとジャックさんは思う。
「わかりました。じゃあネギラーメンと、味噌ラーメンだね。しばらく待ってて。」
ぱくちゃんはにこやかに笑って、厨房に戻っていった。
女の子はまだ泣いていた。隣に座っているお父さんもどうしたらいいのかわからないという感じだった。ジャックさんは、ラーメンのスープを飲んで、お会計を済ませようと思ったが、なんだか放っておけない気がして、女の子に聞いてみた。
「一体どうしたの?なにかいじめでもあった?」
「ああ、すみません。わざわざ声かけてくださって。」
隣に座っているお父さんがそう言うが、日本人はどうして助けてあげようとすると、拒絶してしまうのか、わからない気がしてしまうのだった。悩み事なんて、誰にでもあることだから、普通に誰かに話したりして解決するのが当たり前なのに、日本では相談しないことが多いのである。相談しないで自分の体の中にためこんで置いたら、心にも体にも良くないと思うのであるが、日本人は誰にも相談しないのである。だから、凶悪犯罪とかそういうものが減らないのではないかとか、思うのであるが。
「ママが、ママがね。」
女の子は、泣きながらジャックさんに言った。
「ママがどうしたの?」
ジャックさんは優しく彼女に言った。
「ピアノ売っちゃったの。受験には必要ないものだからって。」
「受験、、、。」
確かに、日本の受験というものは、必要なものなのかもしれないが、受験をして果たしていいものかどうか、よくわからないのだった。まあ確かにイギリスでも試験を受ける必要がある学校もあるにはあるのだが、本人が行く気になれば受ければいいだけの話になっているので、あまり重要ではない。それに、どこの学校に行くなんて、そんなのみんな本人任せであり、親が試験をどうのという手出しはしない。よくわからない日本の習慣でもあった。
「どこか行きたい学校でもあるの?」
ジャックさんがそうきくと、
「だって、ママがどうしても、私立中学校に行かないと、将来がだめになるからって言って、、、。」
確かに、受験の主役はいつもママである。そしてパパがママに任せっきりでいるのも、また困ったところだと思う。たしかに日本のお母さんは、将来がどうのとか、そういう事を言うが、製鉄所みたいな支援施設にかよっている利用者さんたちの話を聞くと、受験を突破しても幸せにはなれない人が居ることを、ジャックさんは知っているのだった。そんな英雄的な事をしても、幸せになれないのなら、やめたほうがいいのではないか。そう思うけど、日本人はどうしても周りの目ばかり気にして、本当にやりたいことをしていると、好きなことばかりしているといって、妬む傾向もある。それだから、子供さんには夢を持てというのではないだろうか。自分の好きなことを仕事にしていると、かえってまわりから妬まれて、幸せになれないから、子供には自分の好きなことで幸せになってほしいという願いが湧いてしまうのではないか。特に女性にはその傾向が強いような気がするのだった。
「そうなんだね。でも、ピアノをやりたいんだったら、もっとやりたいってお母さんに主張していいんだよ。」
ジャックさんは、女の子に優しく言った。
「ありがとうございます。いつも言い聞かせて居るんですけど、家内は、どうしても有名な学校に入れさせたいらしくて、困っております。他のお母さんたちが、そういう話ばかりするので、いつの間にか、そうなってしまったようです。本当になんで、そういう事になってしまうんでしょうね。本当は、好きなピアノに打ち込んで楽しい青春時代を過ごしてほしいと思うんですけどね。」
隣にいたお父さんが、ジャックさんに言った。
「そうですか。それなら、お父さんがもっと力を持ってもいいと思いますよ。どうしてもお母さんが主役になってしまいますけど、将来の事なんて、何もわからないんですから、今の生活を思いっきり楽しめれば、それでいいんだと伝えてあげてください。」
ジャックさんは自分が思っていることを言った。
「学校なんて、楽しめればそれでいいのです。たとえ、受験に勝って、レベルの高い学校に行けたとしても、子供さんが、何も楽しくなかったら、何もなりません。子供さんが苦しい生活をしていたら、きっとお辛いでしょうし、そういう事をさせてしまっては、ご家族も悲しいでしょう。だから、そんな必要はないと思うんですよね。」
「そうですね。うちの家内が、その辺り、理解してくれるかどうか不詳ですが、でも、大事なのは娘の意思ですし、それに反して親が娘の楽しみを奪ってはならないですよね。もう少し、頑張ってみます。」
お父さんは、ジャックさんの励ましを理解してくれたようだ。それと同時にぱくちゃんが、ネギラーメンと、味噌ラーメンを持ってきて、
「日本人は、何でもできるからいいよ。だって僕達は、学校なんて行かせてもらえないし、鉛筆一本買うのだって、できなかったんだよ。学校へ行けたら、僕達にとってはスーパーヒーローなんだ。僕らは、学校に行けた子に、読み書きを教えてもらうしか、できなかったから。」
と言った。それは重いセリフだった。確かに、ぱくちゃんがいた中国では、学校に行けること自体が珍しいのかもしれない。それにウイグル族のぱくちゃんは、学校に入れて貰えない、いや、それが当たり前のことであるのかもしれなかった。たくさんの少数民族を抱える中国だが、多数派だけが有利になるように作られているので、少数派に属する人は、すぐに捨てられてしまうのである。それによって、暴動が起きたこともある。でも、何も改善しようということはないのだけど。
「まあ、そんなこと言っても、日本人にはわかってもらえないけどさ。僕、学校に行けたスーパーヒーローから、日本語教えてもらったんだよ。」
ぱくちゃんが、日本語の敬語をまるで理解していないのは、そういうことだと思う。世界には、そういう学問できる人が神様みたいに扱われる国家が、まだまだある。
「そうですか。そういう貧しいというか、そういう国家があるんですね。大事なものはなくしては行けないですね。それを教えてくれてありがとうございます。」
お父さんはそう言って、割り箸を割った。そして、女の子と一緒に、ラーメンを食べ始めた。それでは、お父さんがもう少し、彼女を励ましてくれるのではないかと思うのだった。ジャックさんはぱくちゃんにラーメンのお金を払うと、ありがとうと言って、店を出ていった。
しばらく道路を歩いて、ジャックさんは製鉄所に着いた。製鉄所と言っても、鉄を作るところではなく、勉強したり、仕事をする場所を貸しているところである。特に対象者を絞っているわけじゃないけど、学校や家で居場所をなくしてしまった女性たちが利用していることが多い。ジャックさんは、インターフォンのない、製鉄所の引き戸をガラッと開けた。インターフォンが無いのは、挨拶の大切さを示すためであるという。
「こんにちは。武史を迎えに来ました。」
というと、製鉄所の利用者の女性が彼に気がついて、
「はい、今水穂さんと一緒に遊んでいます。お昼ご飯は、みんなでカレーを食べました。もう育ち盛りのお子さんはたくさん食べるんですね。武史くんたら、3杯もお代わりしたんですよ。」
と、言った。ジャックさんはそうですか、とだけ言って、製鉄所の中に入らせてもらった。そして四畳半に行くとピアノの音が聞こえてきた。なんでも武史くんはキラキラ星変奏曲を教わっているようである。小学校1年生が、モーツァルトの曲をひくのはなかなか珍しいが、武史くんはそういう古典的な曲が好きなようだ。ふすまを開けると、武史くんが一生懸命ピアノを弾いているのが見えた。それを見てジャックさんは、日本では自己主張せず、だまって家族を喜ばすことが正しいと言われた事を思い出す。だけど武史くんがあんな楽しそうにしていたら、それは間違いだなんて言っていいのか、疑問に思った。やっぱり担任教師の先生は間違っているのでないか。学校でいい点数をとるより、今ここで居ることを楽しんだほうがいいのではないか。隣の食堂では、製鉄所の利用者たちが、勉強を教えあっているのが聞こえてきた。彼女たちもとても楽しそうだ。一人でモクモクと勉強するよりよほどいいじゃないか。ジャックさんは、やっぱり、そういう楽しさを奪っては行けないと思った。そして武史くんが、きらきら星変奏曲の第12変奏を弾き終えるまで待った。武史くんが最後の音を弾き終えたところで、
「さあ武史、帰ろう。」
と言った。
「うん。おじさんありがとうございました!」
そういう武史くんの顔は何も悪意のない無垢な顔だった。あの、イシュメイルラーメンで会った女の子とはぜんぜん違う、楽しそうな顔だった。武史くんだけでなく、あの女の子も、そういう顔になってもらいたいとジャックさんは思った。
武史くんが水穂さんと握手して、帰り支度を始めたのを眺めながら、ジャックさんは、今回学校の先生に言われたことは、武史くんには伝えないほうがいいなと心のそこから思ったのだった。全く、日本の教育はと言いたかったけれど、それもやめておいた。
白の境に舞う金烏 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます