令和旗手

小狸

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 生きていて申し訳ないと思いながら生きている。


 誰か自分のことを殺害してくれないだろうか。

 

 罪には思わないし、問わない。

 

 何より裁判をする家族がいない。

 

 自分が死亡したところで特に誰も貴方のことを恨まない。誰も悲しまないし誰も怒らないから――それを保証するから、誰か殺してくれないだろうか。


 自分の生存が他者の迷惑になると気が付いたのは、中学生の頃である。


 集団に入り込むことができない。学級が変わるたびに、人間関係を初期化しながら生きてきていた。どうにかして集団の中にいようとしても、必ず浮いてしまうのだ。


 昨今の多様性という言葉は、自分にとっては何の救いにもなってはくれぬ。


 それは恵まれた人間が発する言葉だからである。


 多様性――多様的。


 果たして、他人にとって迷惑にしかならない自分が、その枠の中に入ることができるだろうか。


 いや――できない。


 不可能である。


 その結果、どこにも属すことができず、何にもなることができないまま、自分は大人になってしまった。家族も友人もいない。誰のことも信用できない。


 何にもなれなかった自分は、それこそ犯罪者にでもなるしかないのである。


 存在証明という言葉がある。 


 自分はその言葉に懐疑的である。


 人間に生きている意味などないからである。この人はこうこうこういう理由で生きているのだ――などと値札を張ることを、誰ができようか。


 自分は自分だと、成長の過程で己の中に刻まれるべきものなのだ。


 それこそが自己同一性であり、自己証明に等しい。


 そして自分には、それがない。


 自信がないのではなく――自分がない。


 何かになりたいと、ずっと思っていた。しかし、何かになる自分というものが想像できなかった。どこでも自分は付属品の予備品でしかなく、使い古されて使い尽くされるものでしかない。


 何かになりたい――その思いは今でも変わらない。


 しかし世の中はどうだろう。まるで当然のように、人々は何かになっている。それは職業であったり、家族であったり、友人であったり、当たり前のように、自分が一生かかっても持てないようなものを持って、自分に上から目線で言い聞かせて来る。


 努力しなさい。


 頑張りなさい。


 死ぬ気でやりなさい。


 ふざけるな――という話である。


 努力して頑張って死ぬ気でやって、死んだら責任を取ってくれるのだろうか。


 答えは否である。


 それでも世の中では、そういう自分は許容されない。


 どこかに属していなければ奇異の視線で見られ、どこに属していようとそこに安住することは叶わない。


 だったら。


 死んでしまおうと思うのは――自然の考えではないだろうか。


 大衆は、皆は、恵まれた貴方たちは、死にたいなどと思ったことはないのだろう。自殺未遂をしたことがないのだろう。助けてくれる誰かがいつでもどこでもいるのだろう。


 間違っているから、それを治して正しくなれ。


 ずっとそうして、自己を研磨して掘削して生きてきた。もう、削る自分がないのだ。これ以上生きているくらいなら、死んだ方が良いのだ。


 誰か自分を殺してくれ。


 墓は要らない。


 その代わり――旗を立てて欲しい。


 小さな旗で良いし、風化してしまって構わない。


 ただ――救われず、助けられず、生きられない。そういう人間がいたという事実を、ほんの一日だけでも、世界に提示したいのである。


 それくらいの傲慢は、許されるだろうか。


 いいや――許されまい。


 世の中は厳しい。自分は幼い頃から、大人からそれだけを教わってきたのだ。


 厳しく、理不尽で、不条理で、不公平で、不幸で、それでいて皆、死にたいのを我慢して生きているのだ。


 我慢できなくなった者は、道を外れるか、死ぬしかない。


 そんな中で、道を外れながら――その存在を世に残そうなどという遺志が尊重されるだろうか。


 否。


 そんな不公平は許されない。


 毎日自殺者が更新されている。自分はその内の一人として、ただ数値として数えられるだけに過ぎないだろう。


 三日もすれば、自分という存在も人物も、きっと世の人間の記憶からは消え去るだろう。


 それが世の中であり、世界なのだ。


 皆自分のことに必死で、他人などを気にかけてなどいられまい。


 それが普通であり、通常なのだ。


 そう言い聞かせて、自分は河を見下ろした。


 雨で増水した川の水は黄土色に濁っていた。


 汚く、気持ちが悪く、恐ろしく、醜い。


 社会不適合者の死に場としては、最適の場所であろう。


 自分は、一歩を踏み出した。


 人類にとっては小さな一歩であったが、自分にとっては最後の一歩だった。



(了)

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