第28話 残月の遊宴 来客二人

 五宮神社では、今年も月見の宴が盛大に行われている。

 境内にはずらりと屋台が並び、人が賑やかに笑いさざめく声がそこここで聞こえている。

 屋台の呼びこみ、子供たちの歓声、大人の話し声。

 どこを見ても楽しそうな空気が溢れている。人に混じって、五宮神社の神使たちも忙しく行き来しながら、どことなく楽しそうにしていた。

 そんな喧騒が、不意に静まる。

 ざ、と風が吹き、境内に植えられていた木々がざわざわと葉を鳴らす。

 境内に灯されていたいくつもの提灯が大きく揺れ、人の影を不気味に揺らめかせる。

 それはちょうど、卯月神社の若草色の袴を履いた神使・樂が鳥居をくぐったのと同時だった。

 あちこちから、樂に向けて刺々しい視線が向けられる。

(やっぱり、ここは苦手だな)

 何度も来ている場所ではあるが、月見の宴の時期は特に向けられる敵意が強い気がする。

 人間や神使で混み合っている境内で、比較的手が空いていそうな神使を探し、常磐に会いたいと伝える。

 胡散臭そうに樂を一瞥したその神使は、少しお待ちください、と答えて人混みに紛れて姿を消した。

 言われたとおりに待っていた樂だったが、神使はいっこうに戻ってこない。

 嫌な予想がよぎりかけるのを、忙しいのだろう、と打ち消す。

「祟り神の神使が、何の用で顔を見せたのだね」

 他より数倍険しい顔つきで、樂を睨みながら声をかけたのは、五宮神社の祭神・木蘭だった。

 昔から木蘭は苦手なのだが、だからといって失礼な態度を取るわけには行かない。

「卯月様の名代で、常磐様に御挨拶にうかがいました」

「卯月の……? あの禍津神、神殺しの神がわざわざ挨拶にぬしをよこすとは――」

 木蘭が訝しげに眉を寄せ、そうこぼす。

 わざわざ聞えよがしに言ったわけではないだろうが、その言葉ははっきりとあたりに響いた。

 神使のざわめきが樂の耳を打つ。

 自分の顔から血の気が引くのが、はっきりとわかった。

 不意に、眼前に影が立った。

「宴の場に、余計な騒動は不要」

 竜胆の声が降ってきた。重々しい声に、ざわめいていた周囲が徐々に静まる。

 いつもの仏頂面で周りを見回し、仕事に戻れ、と一喝した竜胆は、やおら樂に向き直った。

「用があって来たのか」

「はい。常磐様に御挨拶にうかがいました」

 一瞬、意外そうな表情をちらりと見せたものの、竜胆は樂を促して常磐の元へ向かった。

 自室にいた常磐は驚くでもなく、まるで樂の来訪を知っていたかのように、彼を部屋へ入れた。

「卯月が行けと言うたのであろう」

「はい、あの……」

「何、そろそろその時期であろうと思うていただけのことよ。戻ったら卯月に伝えよ。『それで良いのか』とな」

「常磐様、それは、どういう――」

「下がれ」

 常磐がぴしゃりと言葉を返す。取り付く島もないその様子に、樂もそれ以上の質問を諦めた。

 常磐の部屋を出て境内に戻る。木蘭はいなくなっていたが、妖である樂に向けられる視線はやはりどことなく冷たい。

「ああ、良かった。まだいましたか」

 誰かを探すように、あたりを見回しながら近付いてきた千草が、樂を認めてほっとした様子になる。

「千草様?」

「そこの二人と一緒に見回りに行ってくれませんか。ここの神使でもないお前に頼むことではないのだけれど、この二人は放っておくと、見回りを口実に遊んでくることでしょうから」

 そこの二人、と示されたのは案の定、千草の神使のひのえかのえである。樂もこの二人とは昔から顔馴染みであり、気心は知れている。

「宴の時期ですし、多少見回りに時間がかかるのは仕方がありませんが、帰りはあまり遅くならないように。それと、樂。挨拶は済ませたのでしょう? 見回りが終わったら卯月神社に戻ってかまいませんよ」

「行くぞー!」

「ちょ、引っ張るなって」

 丙と庚に引っ張られて神社を出ていく樂を、千草はどこか安堵した面持ちで見送っていた。

「おや、うまくいったみたいだね」

 そこへ顔を出したのは祭神・朱華である。

「ええ。樂には卯月神社に戻っていいと伝えてあります。これなら見回りを口実に神社を出られますし、そのまま帰っても、卯月も妙だとは思わないでしょう。それに、人に混じって宴に加わることもできるでしょうし、そうしたとしても、樂の性格では羽目を外すこともないでしょうから、問題も起きないかと」

「うんうん。それにあの神使には、ここの空気はきついだろうしねえ。夜店でも回って楽しんできたほうがいいだろうよ。せっかくのお祭りなんだし。ところで千草、どこかで竜胆を見ていないかい?」

「竜胆様なら、少し神社の周りを見回ってくると言って出て行かれました」

「おや、そうかい」

朱音あかね様、いえ、朱華様。無人なきと様がお忙しいようでしたら、お会いするのは後でもよろしいのですが……」

 朱華の後ろに立っていた、白髪の小柄な女がおずおずと口を入れる。

 白髪とは言え、決して老婆ではない。明るい黄色の目をした、髪を丁寧に結った女である。その面立ちはどことなく、竜胆の神使の銀華に似ていた。

「何、せっかく来たんだし、会っておいきよ。あいつも気にしてたし。まあ、見回りに行ったんだったら、帰ってくるまで待つとしようか」

「朱華様、こちらは?」

「ああ、あたしと竜胆の昔の知り合い」

 そう紹介され、女は千草に向かって深々と頭を下げた。

「とりあえずあたしの部屋にでも……あ、戻ってきたね」

 竜胆を見つけ、朱華が手招く。

 やはり仏頂面で近付いてきた竜胆に、外はどうだったかと訊ねた朱華は、

「あんたにお客だよ」

 そう言って、隣に立つ例の女を示した。

 わずかに首をかしげて女を見、竜胆がはっと目を見開いた。

「お久しぶりです、無人なきと様……いえ、竜胆様。お疲れ様です」

鳳華ほうか……」

 呻くように呟いた竜胆が、二の句が継げない様子で立ちつくした。

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