第25話 厄除大祭 黒紅の来訪

 早朝の卯月神社。

 まだ参詣者もなく、神使たちがそれぞれの仕事をこなしている。

 卯月もこの日は外に出、境内の様子を見て回っていた。

 そこへ、

「卯月ちゃん、久しぶりやねえ」

 鳥居をくぐってきた女が声をかける。

 黒髪をきっちりと結い上げた、色白の女。赤と黒を基調とした着物をまとっている。

 ちらと女を見、卯月がぱっと顔を輝かせる。

「黒紅様! ご無沙汰しております」

「うんうん、うちもずっと向こうにおったしなあ。ちょっと時間もらえる?」

「ええ、もちろん。中へどうぞ」

 にこりと微笑み、黒紅を自室へ招く。

 部屋には浄化の効果がある白檀の香が焚かれている。

「向こうはどうなっています?」

「うん、最近は落ち着いてきたなあ。辰巳も前より自分で抱えこむことが減ったみたいやし。何か言うたん?」

「さて、私は別に……。今日はどうなさいました?」

「魁と辰巳からちょっと話聞いたから、様子見にな。こっち来たら生成なまなりがおって、びっくりしたわ。……卯月、あんまり具合がよいようは見えんけど、率直に言って、その器、あとどれくらいもつん?」

 それまでの笑みを消し、黒紅が静かに、威圧さえ伴って卯月に問いかけた。

 黒紅は竜胆や朱華が祭神となる以前、常磐や木蘭とともに五宮神社の祭神をつとめていたことがある。

 今はその座を降り、魁のお目付け役のような形で幽世かくりよで暮らしているが、今でも五宮神社の祭神の座が空いたときには代理をつとめることもある。

 それゆえ神の座を降りた今でも、その威は薄れていない。

 そんな相手を前に、卯月は淡々と答える。

「打てる限りの手を打って、一年半……楽観的に考えても二年、でしょうね」

「次は……辰巳の子に決めとんの?」

「ええ。何とかこのままで、とは思っていたのですけれど、こればかりはどうしようもないようで」

「魁が、どうしようもなかったら自分が代わる、言うとったけど……」

 ふ、と卯月が苦笑する。

「魁では、無理ですよ。それに第一、木蘭様が許しますまい」

「せやろなあ。うちも止めといたわ。……でも、やっぱり方法はあれしかないんか?」

「他の方法があるならそれをしていますよ。私だって好きこのんで手を汚し続けているわけではありません」

 卯月の態度は一見落ち着いていたが、その金の目にはつかのま、鋭い光がきらめいた。

「……ごめん、失言やったね」

「お気になさらず。……卯月という神が、先代から全てを襲う神である以上、仕方のないことです。五宮や月葉のように、祭神としての一族があるわけではありませんから」

「襲うのは……神としての力、だけではあかんの」

「『記憶を保ち続けること』が必要なのです。誰であっても構わない、ただ真実を知ってほしいと望んだ哀れな女の生涯を。その記憶だけを引き継ぐことはできませんでしたので、結果的に卯月の力と記憶を全て引き継ぎ続けたのが、今なのです。これまでにも色々と試しはしましたが、繋がりを作っておく方法が一番長く器がもつようですね。三百年ももてば上出来でしょう。織部様のことがなければもう何年かはもったのでしょうが、過ぎたことを嘆いても仕方がありません。それに近々祭りもあるそうですから、上手くすればもう少しくらいは皆といられるでしょう」

「それでも数ヶ月くらいやないん?」

「そうですね。その間にどうにかできれば……いえ、こればかりはどうにもなりませんか。何せこんな状態ですから」

 卯月が袖をまくる。

 白い腕に黒ぐろと現れた瘴痕を認め、黒紅が顔をこわばらせる。

「言いたくないけど……先々代みたいなことにはならんようにね」

「ええ。これでも少しは浄化していますし、先々代のときほど侵されてはいませんよ。……あのときは、人から祀られなくなったことも、堕ちた原因でしたから」

「そんならええけど……」

 不安げに、黒紅が顔を曇らせる。

「まあ、この先のこと、考えてはいるんやろ?」

「もちろんです」

「そう……。これから五宮にも顔出してくるけど、何か伝えとくことある?」

「いえ、特には。五宮まで誰かに送らせましょうか」

「ええよぉ、一人のほうが気楽やしねえ」

 またね、と黒紅が部屋を出ていく。

 外へ出ると、ちょうど樂が見回りを終えて神社に戻ってきた。

 樂に気付き、黒紅はにこにこと笑って声をかけた。

「樂ちゃん、久しぶりやねえ、大きくなって」

 卯月に長く仕えている樂も、黒紅のことは見知っている。

「お久しぶりです、黒紅様。卯月様にご用事ですか?」

「うん、今済んだとこなんよ。――樂ちゃん、■ちゃんに気ぃ付けてな」

「黒紅様、それは……?」

 怪訝そうな樂を残し、黒紅は神社を出ていった。



 五宮神社を訪れた黒紅をまず見つけたのは、月葉神社の祭神、月葉だった。

「月葉ちゃん、久しぶり。またお忍び? 葛ちゃんに怒られるよ?」

「やだなあ、今はちゃんと話してますよ」

「貴方の場合、『出かけてくる』としか言っていないでしょう。葛がこの間こぼしていましたよ。出かけるのはわかるけど、どこに行っているんだかわからない、って」

 そこへ出てきた千草が、呆れた声を投げる。

 肩をすくめた月葉を気にせず、千草は黒紅を見て頭を下げた。

「黒紅様、お元気そうで何よりです」

「千草ちゃんも元気そうやねえ。常磐様か木蘭様、いはる?」

「はい、お伝えして参りましょうか」

「せやね、お願い。朱華ちゃんと竜胆ちゃんも元気にしとる?」

「はい」

 失礼します、と千草がその場を去ったあと、出かけていたらしい竜胆が、彼付きの神使、銀華とともに神社に戻ってきた。

 黒紅を見て竜胆が頭を下げる。黒紅は黒紅で、竜胆を見てふと眉を寄せた。

「ご無沙汰を……」

「竜胆ちゃん、前よりやつれとらん? ちゃんと休んどる?」

「はい」

「お待たせしました、お二方とも、お会いになるそうです」

 戻ってきた千草に言われ、竜胆と黒紅がその場を離れる。

「ところで、貴方は何をしに来たのです、月葉?」

「ああ、そうそう。葛からちょっと気になることを聞いたんだけど。卯月神社の周辺にだけ、妖怪が増えてる、って。何かそんな話を聞いたかい?」

「……そういえば、丙と庚もそう言っていましたね。近々確かめに行ってみようとは思ったのですが、こちらも何かと手が空かなくて。しかし、何か気になることがあるのですか? もともと卯月神社のあたりは、妖怪が多い印象がありましたけど」

 千草が首をかしげる。

「うん、確かに卯月神社のあたりは、他よりも妖怪が出やすいのはそうだし、一時的なものだといいんだけど……状況がね。先々代から先代に変わる前の状況と、ずいぶん似てるからさ」

「そのときのことを私は知らないのですが、何かあったのですか?」

 あ、と月葉があからさまに焦った様子で口を押さえる。

「あはは、聞かなかったことに――」

「無理です」

「だよねえ……。卯月神社の先々代は、飢饉の影響で大禍津に堕ちてね、そのときの卯月神社には、今ほどではないけど何人か神使がいたんだけど、その神使をほとんど全員……殺したんだよ」

 千草が息を呑む。月葉もさすがにいつもの笑みを消していた。

「一人だけ、たまたま運良く生き残った子が卯月を討って後を継いだんだよ。それだから、先代はここの常磐様や木蘭様からよく思われていなかったんだ。先代のほうも他の祭神とは馬が合わなかったみたいだけどね」

「確かに、卯月神社の先代は一度も来なかったよねえ。神使はよく来てたけど」

 後ろから割りこんだ声に、月葉と千草はそろってふりかえった。

「朱華様!」

 祭神・朱華が二人のすぐ後ろで、片方の眉を上げて立っていた。

「声が大きいよ、二人とも。そういう話はしちゃいけないとは言わないけど、せめて周りに耳のないところでやりなさいな」

「あ……すみません」

 千草がしゅんと肩を落とす。

 すみませんでした、と月葉も頭を下げた。

「あら、朱華ちゃん。綺麗になって……そこの二人は何かあったん?」

 そこへ、話を終えたらしい黒紅が戻ってくる。

「いえ、何でもありません」

「そう? せや、朱華ちゃん、さっき竜胆ちゃんに伝えるの忘れとったんやけど、鳳華ちゃん、こっちで元気にしとるって伝えといてくれん? そのうち顔を見たいって言うとったって」

「ええ、伝えておきます。竜胆、今でも鳳華が屋敷を出て行ったの気にしてるから……元気だって聞いたら喜びますよ。あ、銀華も元気にしてますから、それも伝えておいてください」

「うん、言うとくわ。ありがとうね」

「もうお帰りですか」

「うん。今度ゆっくり遊びに来るわ。そのときは鳳華も連れて来るさかい」

「楽しみにしてますよ」

 笑顔で頭を下げ、黒紅は五宮神社を後にし、荒神山のほうへと歩いていった。

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