幕間4 ある剣客の過去

 床の中で、うつらうつらと刻をすごしている。

 呪屋の奥座敷である。

 床の間には誰の作か、立派な掛軸がかかっているし、違い棚にも高価たかそうな香炉が置いてある。病間とするには、随分立派な部屋だ。

 寝返りをうつと、しばらく頭がくらくらした。まだ熱が下がりきっていないのだ。

 二日前、朽名の件で卯月神社へ礼に行ったのはいいが、それで気がゆるんだのか、帰ってきてから熱を出して寝こんでいる。

 全く――情けない。

 人間で言えば、私はまだ不惑四十にもなっていない。にもかかわらずこのざまだ。

 瞼を閉じる。

 どこからか、ざわざわと話し声のようなものが聞こえる。声とも音ともつかないそれらは、近づいたり遠ざかったりしている。

 しばらくとろとろとまどろんで目を覚ますと、部屋はもう薄暗くなっていた。以前と比べると、日が短くなったようだ。

 枕の上で、頭を動かす。

 まだ少しめまいはしたが、先ほどひどくはない。頭もかなり軽くなっていた。

 廊下から足音。

「どうだい、気分は」

 男――磯崎が顔を出す。

「今はそこまで悪くはない。熱も、下がったようだ」

「そりゃよかった。彩雅が粥を煮たんで持ってきたが、食欲はあるか?」

「ああ」

 磯崎から、梅干と鰹節の入った粥を受け取る。

 暗いな、と呟いて、彼は棚から燐寸マッチを取り、行灯に火を入れた。

 部屋がぼんやりと明るくなる。

「まあ、食ってゆっくり養生することだ。養生するのは別に情けなくはないだろうさ」

 内心を見透かされた気がして、どきりとした。

「心でも読めるのかってつらだな」

「あ、いや……」

「あいにく、俺にゃそんな力はねえよ」

 磯崎が笑う。

「なら――よほど、顔に出ていたか」

「まあ、そんなところだ。あんた、自分が不甲斐ないとでも思ってるだろう?」

 図星を指され、黙りこむ。今回の一件が起きてから、身体が言うことを聞けばと何度思ったか知れない。

 だろうな、と、磯崎はどこか独り言のように言った。そんなことはない――という、よく言われる慰めでも、そんなに卑屈になるな――という叱咤でもなく。

「やっぱりあんたは、昔の――人間だったときの俺によく似てるよ」

「人間だったとき?」

 そういえば、前にちらりと聞いたことがある。この男はその昔、人間だった、と。

「磯崎様は」

 さらりと襖が開き、呪屋の店主・彩雅が茶を持って入ってきた。

「磯崎様は、大変にお強いお侍様だったのですよ。たしか、免許の伝書も受けられたので御座いましょう?」

「いや、免許はもらっていないよ。先生はくださるおつもりだったらしいが……その前に俺が死んだからな」

 肩をすくめた磯崎が茶を飲む。私も茶をもらったが、湯呑は指を火傷するかと思うほど熱かった。

 襖が細く開く。その向こうに人の姿はない。

 代わりに、にゃあ、と鳴き声がした。

「……猫?」

「鰹節につられたか? 彩雅、向こうで餌やってこい」

「そういたします。しかしいつの間に襖を開ける方法を覚えたのか……」

 首をかしげて苦笑した彩雅が、そばを通り抜けようとした黒猫を抱き上げて部屋を出ていく。

「それで、似ている、というのは?」

「うん? ああ、その話か。しかし聞いたところで飯が美味くはならんぞ」

 かまわない、と答えた。

 む、と磯崎が顔をしかめる。

「まあ、言い出したのは俺だしな。今更黙っても仕方がないか。だが聞く気が無くなったら言ってくれ。止めるから。

 俺が昔人間だったのは、あんたも知ってるよな。十一のときに父親が死んで、それからは母親と暮らしていたんだ。裕福な暮らしじゃなかったが、まあ食うものに困るってほどでもなかった。道場にも通わせてもらってたしな。

 だがあるときに母が死んでな、死に方もおかしかったのさ。夜中にいきなり狂ったように叫びだして、そのまま喉に懐剣を突き立てて死んだんだ。……後で知ったんだが、母はそのころ、依頼を受けて祈祷をすることで金を得ていたんだ。

 今はどうだか知らないが、当時はそれはご法度でな、母はこっそりやっていたらしいんだが、死に方が死に方だったんで役人の調査が入ってな、確かな証拠は出てこなかったし、別に罰もなかったんだが、結局、俺はそれまで住んでいた長屋を出ていかざるを得なくなった。隣近所から腫れ物扱いされてな。

 そのうえ、夜毎に母が夢に出るようになった。それだけならまだしも、母が首を絞めてくるんだ。それが……二月か三月は続いたかな。

 眠ればそれだし、寺に行けば門前払い、道場に通うこともできなかった。先生に迷惑がかかると思っていたんだ。死にたいと思っても、自分で腹を切るのは恐ろしかった。……どこかおかしくなってたんだろうなあ、俺も。

 最終的に切られて死のうと思って、出会った人間に闇討ちをふっかけることまでしたからな。その相手が友人だったのと、そいつと俺の親戚で寺の住職やってた人が知り合いで、加えてそこの寺にここの店主がよく参詣に来てたんで、夢の件は一応解決したし、住む場所も、寺に寄宿することになったんでそっちも丸く収まったんだがな」

「しかし、よくそれだけ耐えていたな」

 思わずそんな言葉が私の口をついていた。自分で茶を注ぎ足していた磯崎が首を振った。

「いや、耐えていたわけじゃない。さっさと誰かに相談でもすればよかったんだが、剣客として、というより武士として、幽霊に責め殺されるなどと口にできなかった。それだけだ。腰抜けだと思われたくなかったんだな。結局、無茶を重ねて、道を踏み外すところだった。道を踏み外して死んでいたならたぶん、悪霊にでもなっていただろうよ。……あんたは別に道を外れることはないだろうが、どうにも無理をしているように見えたから、ついつまらん話を聞かせちまった。まあ、ゆっくり養生することだ」

 そう言って、磯崎は部屋を出て行ってしまった。

 話に聞き入って食べるほうがおろそかになり、粥はだいぶ冷めていた。

「よう、辰巳。どうだ、具合は?」

 ゆっくりと粥を食べ進めていると、今度は魁が顔を見せた。

「だいぶ、よくなったよ。……そうだ、魁。今度、波津に話をしてきてくれないか。今回のことと……樂のことを」

 魁が目を丸くする。

「それは構わないんだが……お前はどうするんだ?」

「ここでもうしばらく養生しているよ。もう少しまともに動けるようになってから向こうに戻らないと、戻った途端にまた寝こむようなことになりかねないからな」

「それはまあ、な。わかった、話してくるよ」

「頼む。そういえば、何か異変は?」

「何もなかったよ。まあ三社の神さんが目光らせてんだし、そうそう妙なことは起きないだろ。特に卯月を敵に回すような真似、よっぽどの阿呆でもなきゃやらんだろ。朽名ももういないわけだし」

「ああ、そうだな。卯月様がいるのなら、そう心配することもないか」

 三社の祭神、特に卯月は敵と見なした相手に容赦することはまずない。そのことは私もよく知っている。だからこそ樂を預けたのだ。

 しかし、不安もある。

 今の卯月は代を変わって長い。本来ならとうに、代を変わっていておかしくない長さだ。

 彼女は、先のことをどこまで決めているのだろう。

「辰巳? 大丈夫か?」

「え? ああ、いや、波津はどうしているかと、ふと思っただけだ」

「大丈夫だよ、黒紅様もいるんだし。……そんなに気にかかるんなら、今からでも行ってくるよ」

 止めるより早く、魁がくるりと踵をかえす。

 ぽかんとしている間に、その足音は遠ざかっていった。

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