第23話 青行燈の鋏 秘めた衝動(三)

 翌朝。

「木蘭様、お届けものです」

 木蘭の部屋の前で、双子の神使の丙と庚が声をそろえる。

「届けもの? 誰からだね?」

 双子が目を見合わせる。

「えっと……街で会った男の人が、木蘭様にこれ、渡してくれって」

「一応千草様に見てもらったら、妖しいものは感じないって言われました!」

「そう……わかったよ。お下がり」

 はーい、と声をそろえ、二人がぱたぱたと走っていく。

 襖を閉め、木蘭は届けられたものをあらためて見た。

 木賊色の和紙で包まれ、飾り紐で留められた薄い包み。紐には卯月神社の紋様である赤い蛇が描かれた短冊が差しこんである。

 それには宛名も差出人の名も書かれていない。

 書かれているのは、割合に整った手で歌が一首。


 星見草の八重咲くごとく八つ代にを

  いませ我が母ひとり偲はむ


 黙りこんだまま、木蘭は何度も手紙を読みかえした。

 魁は、幼いころから腕白で勝ち気な子供だった。

 それでも無事に成長し、元服と同時に祭神の一柱として『木賊とくさ』の名を受けることになっていた。

 そんな矢先、魁は妖退治に出かけ――戻ってこなかった。

 常磐づてに聞かされたのは、魁が瘴気を浴びて妖に堕ち、卯月に討たれた、とのみ。

 せめて亡骸だけでも見せてほしい、と願っても、それさえ叶わなかった。

 やがて、静かに息を吐いた木蘭は、そっと手紙を畳み、和紙とともに、丁寧に文箱にしまいこんだ。


 同じころ。

「おはようございます」

「おはようございま――え」

 枕頭に座っていた卯月を認め、樂は飛び起きんばかりの勢いで起きあがった。

「気分はどうですか?」

「え、ええと、大丈夫、です。あの、申しわけ、ありません」

「咎めるつもりはありませんよ。相手が相手でしたし。まだ起きるには早い時間ですし、もうしばらく寝ていらっしゃいな。でも、もし何か異常を感じたら、すぐに教えてくださいね」

「はい」

 再び、樂が横になる。

 本殿を出た卯月は、歩いてくる魁を認めた。

「おはようございます。辰巳の具合はいかがでした?」

「もらった札のおかげで、かなり良くなったみたいだ。今朝は起きて少し粥を食べられていたし」

「それはよかった。そういえば、誰に襲われたのかは聞きましたか?」

「ああ、聞いたよ。朽名だそうだ。岩屋を抜ける直前にばっさりやられて、どうにか足止めして逃げたんだそうだ。しかしあの身体であれだけの深手を負って、よく生き延びられたもんだ」

「もともと身体が頑健なのですよ、彼の一族は。そうでなければ昔、期波に瀕死の重傷を負わされたときに死んでいます。ところで、貴方はこれからどうするんです? 幽世かくりよに戻るのですか?」

「辰巳が動けるようになったら一緒に戻るよ。何があるかわからないしさ。それにあいつ、動けるようになったら神社へ礼に行くと言っていたし」

「そうですか。それで、他には何か?」

 金の目が、じっと魁を見つめる。

 魁は整った顔を居心地悪そうに歪めて目をそらした。

 沈黙。

「いや、実は――」

 魁の話を聞く卯月は微笑んでこそいたが、周囲の空気はどんどん冷えていく。

「まったく、何をやっているんですか。昔から貴方は浅慮なところがあると思っていましたが……。まさか、素性が知れたから開き直ったのではないでしょうね?」

 あのさ、と魁が口を尖らせる。

「さすがに開き直ってはいないよ。いくら俺でもそこまで神経図太くない。ただ……せめて一言伝えたかったんだよ、あのひとに。何も言わないまま“魁は死んだ”んだからさ」

「それはそうですけれど、なぜよりによって卯月神社うちの名を使うんです。木蘭様が私を快く思っておられないことくらい、貴方だって知っているはずでしょう」

「いや、妖から渡されたものなんて、そうでもしないと届けてもらえないと思って」

「まったく。――“五宮の魁”はすでに死んでいるんです。死んだ子の歳を数えることをやっと止めた方に、また未練を与えてどうするんです。第一、“魁の死”はそもそも貴方が言いだしたことでしょう」

「まあ、確かに言うとおりだけど。……悪かった、確かに考えが甘かったよ。ところで、卯月」

 不意に、魁が真剣な顔で魁を見る。

「何です?」

「姿が変わっているということは、まだ、あれを続けてるのか?」

「ええ。それが『卯月』ですから」

「疑問には思わないのか? 五宮も月葉も、あんなことをしなくたって、問題なく祭神が変わっているじゃないか。なぜここだけ――」

「卯月がそういう神だからですよ。だからこそ、木蘭様は私がお嫌いなのです」

 魁が顔を歪める。

 いきなり魁が腕をつかみ、卯月を引きよせた。

 しっかりと、腕の中にとらえられる。

「何を――」

「逃げないか――■」

 魁が口にした言葉は、卯月にはただの意味のない音として聞こえた。

「はい?」

「逃げてしまわないか、卯月。幽世かくりよならお前の呪いも関係なくなる。今のように贄も同然の真似をしなくてもよくなるだろう」

 見下ろす魁の目に、真剣な熱が宿っている。

 腕に、力がこもる。

「このまま俺と逃げてしまえば、お前ももう先に悩むこともなくなる――」

 破裂音。

 ほどけた黒髪が、卯月の顔にかかる。

 同時に卯月は、魁を勢いよく突き飛ばしていた。

「私がそれを承知すると思いましたか。卯月というのはそういう神です。たとえ幽世向こうに行ったところで、性質は変わりません。それに、この神社は町に必要ですし、何より――多くの神使を抱える身で、私が雲隠れなど、できるわけがないでしょう。私は卯月――祭神の、卯月です」

「……そうか。今日はとりあえず辰巳のことを伝えに来ただけだし、いったん辰巳のところに戻る」

「ええ、気をつけて」

 小さくなっていく魁の姿を、卯月はしばらく見送っていた。


 夏もそろそろ終わろうというころ、卯月神社を二人の男が訪れた。

 紫紺の髪の男と黒髪の男――魁と辰巳である。

 魁は狐面をつけておらず、素顔をさらしていることを除けば以前と変わりないが、辰巳は以前と比べると明らかにやつれている。

「今回は、ずいぶんと迷惑をかけてしまった。申しわけない」

 部屋にとおされた辰巳が居住まいを正し、深々と頭を下げた。

「貴方の責ではないでしょう。責任を感じることはないですよ。身体はもう大丈夫なのですか?」

「ひとまず、かろうじて動ける程度には」

「しかし、無理はいけませんよ。まだ顔色もよくないですし、ゆっくり養生していらっしゃい」

「ところで、樂は……朽名と会ったとは聞いているが……」

「元気にしていますよ。呼んできましょうか?」

「いや、そう聞けただけで十分だ。引き続き、あの子を頼む」

「ええ、わかりました」

 卯月はしっかりと、それにうなずいた。

 二人が戻ろうと外に出る。

 ちょうどそのとき、掃除をしていた樂も、箒を物置に置いて戻ってきたところだった。

 ぎくりと辰巳が身体を強張らせる。

 辰巳を見た樂も、一瞬、戸惑ったように辰巳を見た。

「お帰り、ですか」

 ややためらいがちに、樂が声をかける。

「あ、ああ」

「よければ……手をお貸ししましょうか。階段、急ですから」

「…………頼む」

 ゆっくりと石段を下りていく二人の後を、魁が下りていく。

 その様子を、卯月は微笑んで眺めていた。



※参考文献

『伽婢子』浅井了意(東洋文庫)

『今昔百鬼拾遺』鳥山石燕

『怪:鳥山石燕の世界 弐』鳥山石燕 作 山崎白露 編訳(史学社文庫)

『万葉集』

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