第23話 青行燈の鋏 秘めた衝動(一)

 卯月と魁は、暗い山道を進んでいた。

 卯月は普段と同じ、白い単衣に朱袴、淡黄蘗うすきはだ色の羽織姿。魁は狐面で顔を隠し、紺のロングコートに青灰色のベスト、青いスラックスに加えて木蘭色のネクタイという、どこか奇術師じみた洋装をしている。

 山歩きには全く適さない――強いて言えば洋服なぶん魁のほうがましかもしれない――格好のふたりだが、ふたりとも山道を歩いていると思えない足取りで、先へ先へと歩んでいく。

 空は暗い雲で覆われ、満月のはずの月はその端すら見えない。

「それで」

 山に入ってから、一言も口をきかなかった卯月がようやく口を開いた。

幽世むこうで何があったのですか?」

「朽名が期波の手下を引き連れて、辰巳の屋敷を襲ったんだよ。あいつ、ご丁寧に手下の何人かを屋敷に使用人として潜りこませていやがった。朽名が動くかもしれないからと、その少し前から、俺と黒紅が屋敷に呼ばれていたんだが――後手に回った」

 狐面の下で、魁が顔をしかめる。

 魁によると、夕餉のときに膳を運んできた女中が、帯に隠していた剃刀を抜き、波津に切りかかったという。その女中は長年屋敷につとめており、よく気がつくうえに仕事が丁寧だと、波津から目をかけられていた。

 驚いている暇もなく、食堂に朽名と手下たちがどっと押し寄せてきた。しかもその顔ぶれの半数以上が、屋敷の使用人だったという。

 四人は波津と黒紅、辰巳と魁に分断されるかたちになり、魁は辰巳を担いでどうにか屋敷から逃れた。

 しかし追跡はしつこく、加えて、かつて期波から受けた傷がもとで身体を悪くしている辰巳は、追手をふりほどけるほど早く走れない。

 魁が肩を貸しているとはいえ、一人で逃げるときに比べれば速度は落ちる。

――このままでは共倒れだ。

 そう判断し、魁は卯月に助けを求めに行くという辰巳を先に逃がし、自身は追手と対峙した。

 追手は七人。いずれもその昔、期波の手下としてふるまっていた者たちだった。

「全員たいした腕じゃなかったが、さすがに一対七じゃだいぶ分が悪かった。全員片付けるのに、思っていたより時間がかかっちまった」

「なるほど。辰巳が襲われたのはその後でしょうね。ところで波津と黒紅様は?」

「俺が現世うつしよに来る前に、無事だと連絡があった。黒紅が匿ってるんだから、奴らもそう簡単に手は出せないはずだ」

「ああ、それなら波津は安心ですね。問題は朽名ですか。今、樂といるのが朽名だというのは確かなのですよね」

「間違いないと思う。町で見つけたとき、今度こそ辰巳の息子を殺してやると言っていたし。期波ができなかったことを代わりにやりとげるとか何とか。何より、変化へんげはあいつの十八番おはこだ。まさか神使すら騙せるほどとは思わなかったが。町で見つけたときに邪魔が入ったのが痛かった。五宮の関係者に下手に目をつけられたくなかったから逃してしまったが……やっぱりあのとき、無理にも殺しておくのだった」

「そういえば貴方、竜胆様と会ったのでしたね。すると……あの女が朽名でしたか」

 卯月が柳眉を寄せる。

「あの程度の妖なら、樂が遅れをとることはないでしょうけれど――」

 ちらりと葉の間から透けて見える曇り空に目をやる。

 二人の後ろで、がさりと草が揺れた。

 卯月、と呼びかけられ、彼女は言葉を切ってふりかえった。

 月葉と千草が、ちょうど二人に追いついたところだった。

「言伝を聞いたけど、樂が危ないんだって?」

 そう言った月葉とその後ろにいた千草が、そろって魁に訝しげな目を向ける。

 視線を辿って魁を見た卯月は、知人です、と短く答えた。

「別に怪しい方ではないですよ」

「どう見ても怪しいです。せめて仮面めんをとってはどうです」

「あー、それは勘弁。悪いけど」

 肩をすくめる魁に、千草がいよいよ不審そうな目を向ける。

「ところで、樂に何があったんだい?」

「どうやら、朽名に連れていかれたようで。樂が朽名相手に遅れをとるとは思えませんが、相手が相手ですから。それに少し気になることもありまして」

「気になること?」

「朽名の得物、瘴気をまとわせた短刀だったのですよ。朽名自身も私が見たときには瘴気がかなり絡んでいましたし……万一、樂が堕ちていたなら、彼を討たねばならないかもしれません」

 ちらりと卯月が暗い目になる。

「いや、何も討たなくても……祓えばいいんじゃないのか?」

「完全に堕ちる前に見つけられれば、確かに祓えば済む話なのですけれどね。貴方のときとはまた違います。相手が朽名、それに今夜は満月ですから」

「妖としては普段より力が強まるぶん、何かあれば堕ちやすい、ということかい?」

 口を挟んだ月葉に、そうです、と卯月がうなずく。

「樂が――というよりは辰巳がどんな妖か、貴方は知っているでしょう、魁」

「鬼、だっけ? 全然そう見えないけど」

オニではなく、つまりは化生の類です。かつては人をさらってその生き血をすするモノだったとか。もっとも、今は昔の話、ですけれどね。しかし辰巳の一族は、その吸血衝動を恥じ、それを無くすために、代々様々な相手との混血をくりかえしてきたのだそうです。そのおかげか、現代では吸血衝動が表に出ることはなくなったそうですが」

「それならあの具現化は、その混血の影響なのですか? ずいぶん珍しい能力だと思っていたんですけれど」

「そうらしいですね。いつからあの能力が発現したのかはわかりませんけれど」

 話しながらも、卯月は先へ先へと足を進める。

「ただ、彼の吸血衝動はあくまでも表に出ていないだけです。生まれ持った性質は、抑えられても消せないものですよ。私がいい例ですが」

「堕ちれば本性が出る、と言いたいのですか?」

「そういうことです。特に普段抑えているなら――より強く」

 千草にうなずき、卯月はそれまでよりも歩調を速めた。

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