第22話 青行燈の鋏 狐面の男(二)
夕暮れ時の卯月神社。
鳥居の前で、にぎわう境内をうかがうように立っている狐面の男がいる。
入ろうか入るまいかと、しばらくそのあたりをうろついていた男は、やがて覚悟を決めた様子で鳥居をくぐった。
ざわざわと木々が鳴る。
人々の間をすりぬけ、卯月が男の前に現れた。
男を認め、卯月が珍しく目を見開く。
「魁、ですか?」
魁、と呼ばれ、男が唇をつりあげる。
「卯月? 久しぶりだな! 何年ぶりだ?」
「あれから千年近く経っていますね。元気そうで何よりです。黒紅様もお元気ですか?」
「ああ、元気にしている。卯月、聞きたいんだが、辰巳の居場所を知らないか?」
「知りません。ですが、ひどい怪我をしたことは聞いています」
「なんとか……なんとか場所がわからないか?」
拝み倒さんばかりの魁を、卯月は黙って見つめかえした。
「
「詳しく話してる余裕がないんだ。とにかく辰巳の安否を確かめないと……」
「わかりました。少し、待っていてください」
卯月が一度本殿に戻り、すぐに戻ってくる。その手には、小さな白い鳥が止まっていた。
「これを追っていきなさい。それと、これをお持ちなさい。私の知人となれば、多少の信用は得られるでしょう」
「感謝する」
小さく鳴いて、鳥が飛び立つ。
結び文を受け取って卯月に目礼し、魁は早足で鳥を追っていった。
大通りをしばらく飛んでいた鳥は、不意に横道にそれ、そこからさらに裏路地へと入った。
路地のつきあたりには、一軒の平屋が建っている。
玄関のそばにすえられた長椅子には、〔呪屋〕と書かれた木の看板が置かれている。
鳥がこつこつと玄関扉を叩く。
引き戸に手をかけると、扉はするすると開いた。
「いらっしゃいませ、御客様」
奥から少女の声が聞こえてきた。
左右の壁に沿って置かれた棚や、中央の大きな机には、種々の雑貨が並んでいる。
(店?)
奥の帳場らしいところには、朱い振袖姿の少女が座っていた。
どことなく市松人形を思わせる、おかっぱ頭の少女である。
「いや、客じゃないんだ。えっと、ここの主人はどこにいる?」
「はい、店主は
「は?」
耳を疑い、ぽかんと口を開けた魁を見て、振り袖の少女――彩雅が首を傾げる。絹のような髪が揺れた。
「冗談に付き合ってる暇はないんだ、店主と会わせてくれ」
「店主は
帳場から出てきた彩雅が魁を見上げる。吸いこまれそうに黒い目が、訝しげな色をたたえていた。
「どうした、彩雅。そろそろ店仕舞いじゃないのか」
「はい。御客様がまだいらっしゃいますので」
「客?」
声の主――総髪の男が顔を出し、魁を見て腰へ手を動かす。
「磯崎様」
彩雅がおだやかに声をあげる。魁から目を離さないまま。
「店での刃傷沙汰は御遠慮くださいませ」
磯崎と呼ばれた男が黙って手をおろす。
「何か探しているのなら、そこの店主に聞け。店にあるものなら何でも知っている」
ぶっきらぼうにそう言って、磯崎は奥へひっこんだ。
まじまじと魁は少女を見、彩雅はことりと首をかしげる。
「俺は……俺は怪しい者ではない。卯月神社の祭神の知己だ。これを見てくれ」
卯月の結び文を手渡す。
文を開いて一読した彩雅はうなずき、文を懐に入れた。
「それで、何の御用で御座います?」
「ここに、怪我をした男がいるだろう。頼む、会わせてくれ。その男は俺の友人なんだ」
仮面を外し、彩雅を見つめる。
魁の青い目に何を見たのか、彩雅はどうぞ、と彼を奥の部屋へいざなった。
通された一間に、男は横たわっていた。
枕頭に詰めていた磯崎が、彩雅がうなずいたのを見て場所を開ける。
「辰巳!」
魁が声をかけると、男――辰巳はようよう薄目を開いた。
生気の感じられない、土気色をした顔の中で、赤い目だけがぎらぎらと光っていた。
「か、い」
弱々しい掠れ声で、辰巳が呟く。
直後、不意に手を伸ばした辰巳は、ひしと魁の腕を掴んだ。
「魁、波津、波津は――」
「落ちつけ、波津は無事だ。黒紅が匿ってる。あのひとが一緒にいるんだから、あいつらも手は出せない。安心しろ」
「卯月、様に、話を――」
「俺が行く。お前は何も気にするな、寝ていろ」
辰巳の手から力が抜ける。
「気を失ったか」
磯崎が辰巳をのぞきこむ。
「容態は?」
「ここに来たときと比べると、少しはよくなってるようだが、かなり深手だし、どうも瘴気にやられてるらしいから何とも言えん。まさか医者に担ぎこむわけにもいかないしな。それはそうと、あんた、理由を知ってるんだろう? 何があった? およそ普通の刃傷沙汰じゃあるまい?」
「こいつをひどく逆恨みしている奴がいる。そいつが襲ってきたんだ」
言いながら、魁は辰巳に手をかざした。
蛍火のような淡い光がまたたく。
光はまもなく消えたが、それまで苦しげだった辰巳の顔は、いくらか穏やかになっていた。
その変化に、彩雅が目を丸くする。
「浄化が御出来になりますか」
「得意じゃないけど、少しは。本当なら、神社にでも連れていったほうがいいんだろうけど……今動かすのはまずいか」
「せめて傷が塞がらないと、動かすのは難しいな」
「そうだろうな。こいつが来てから、何か周りで変わったことは起きていないか?」
「……ああ、彩雅、この前の――」
磯崎にうながされ、彩雅が卯月神社からの帰途、何者かに襲われたことを語る。
「そんなことが……」
「御心当たりは御座いますか?」
「ある。十中八九、辰巳を襲ったやつだ。あいつは自分の姿をある程度自由に変えられる。よく逃げられたな」
「あんた、これからどうするんだ?」
「辰巳の安否はわかった。原因を叩きに行く。それで……もうしばらく、こいつのことを頼めないだろうか?」
「わかりました。御任せください」
彩雅が二つ返事で答える。
魁が磯崎に目をやると、彼はこともなげに、
「彩雅がああ言うんなら、俺が反対する理由はないさ」
あっさりとそう言った。
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