第22話 青行燈の鋏 狐面の男(一)

 祭囃子がにぎやかに響いている。

 楽しげな親子連れや浴衣姿で祭りを楽しむ男女が大通りのあちこちに見られる。

 楽しそうなのは人ばかりでなく妖怪たちも同様で、よくよく見れば人でないモノもいる。

 そんな中を仏頂面で歩いているのは、五宮神社の祭神・竜胆である。

 毎日のように酷暑が続き、夕方になっても日中の暑さが薄れる気配はないが、竜胆の額には汗の玉ひとつない。

 にぎわう大通りから、いくらか人の少ない横道へ入る。特に屋台が出ているわけでもない道に人は減ったが、妖怪の姿はここでも見られた。

(しかし、妖怪が多いな)

 境日の話は千草から聞いている。しかし話から想定していた以上に、街中で見かける妖怪は多かった。

 とはいえ悪意を持った妖怪には、今のところ出会っていない。祭りで浮かれて竜胆にちょっかいを出そうとするモノはいるが、そうしたモノは少し威圧すれば逃げていく。

 しばらく道を歩いていた竜胆は、何か言い争う声を聞いて足を止めた。

 声はすぐ近く、公民館の裏手から聞こえてくる。

 男女の声のようだが、何事かと顔を出した竜胆へ、

「た、助けてえ!」

 女が駆け寄ってきた。

 大振袖をまとい、黒髪をふり乱した女である。その顔からは血の気が引いている。

 このときの竜胆はかなり疲憊ひはいしていた。

 日々の業務に加えて祭りでの“脅かし役”の手配や街に増えた妖怪への対応、そのうえ肝試しをよく思っていない常磐や木蘭と他の祭神や神使との仲介など、仕事が増えている。

 五宮神社は宮杜町の三社の中では最も神使が多い神社ではあるが、それでも仕事が増えたぶん、特に日常の業務に穴が空きがちになる。事務仕事や見回りといった日常業務を代わって引き受けていた結果、主に朱華や千草と仕事を分担していたとは言え、竜胆はここ数日、ろくに休息を取っていなかった。

 疲労は顔にもあらわれており、日頃の仏頂面は、町ひとつ滅んだように不機嫌そうな、仏頂面を通り越して凶相ともいうべきものになっていた。

 それゆえに、竜胆は普段の彼ならすぐに気付くであろう女の違和感に気付けなかった。

 人の目には見えないはずの自分を認めたこと。いくら祭りとはいえ、大振袖などふさわしくないこと。そして、女がかすかに発している妖気すらも。

 女を庇うように立ち、相手を見据える。

 狐面で顔の上半分を隠した、紫紺の髪の男。

 面の奥で、青い目が竜胆を睨んでいる。

 男からは、肌がひりつくような妖気が感じ取れた。

(相当の、大妖か)

「何者か」

 男が竜胆の着ている単衣の襟に刺繍された、五宮神社の紋に目を留める。

「五ツ菱……五宮の関係者か。あそこの関係者に手出ししたくないんだよな。見なかったことにして、そいつ置いて帰ってくれない?」

「そうはいかない」

 腰の太刀に手をかけ、鯉口を切る。

「なら――悪く思うな!」

 瞬時に大太刀を作り出した男は、そのまま距離を詰め、竜胆に斬りかかった。

 かろうじて抜きあわせ、その一撃を受け流す。

 ち、と舌打ちをした男は、大きく後ろへ跳んだ。大太刀を大上段に構え、気合声とともに勢いよくふりおろす。

 とっさに太刀をかまえた竜胆だったが、その刃が中程からへし折れた。

 驚く間もなく、次の瞬間には竜胆は公民館の壁に思い切り叩きつけられていた。

 息が詰まる。

 そのまま、意識が遠のいていった。

 壁に背を預け、ぐったりとうなだれる竜胆をうかがい、男は小さく息を吐いた。

「げ、やりすぎた……。い、生きてる、よな? とりあえず、息はしてるし……悪いけど、面倒見てる暇ないから、他の誰かに任せるか。いずれ神社から誰か来るだろ」

 竜胆が吹き飛ばされるとほぼ同時に、女も姿を消していた。顔をしかめ、男は公民館の屋根にひらりと飛び上がり、その場から姿を消した。


 周囲から、視線が突き刺さる。

 そこかしこで陰口が聞こえる。

――末席の子供のくせに。

 嫉妬。

――可哀想に。こんなに小さいのに、重責を負わされて。

 憐憫。

――これだから末席の子供は。

 嘲り。見下し。

 その全てが胸に刺さる。

――簡単なことだよ、竜胆。

 気付けば竜胆は神社の自室に戻っており、目の前には死んだはずの織部が座っていた。

――誰かに一目置かれたいんだろう? それなら力を得ればいい。力さえあれば畏れられる。敬われる。そうだろう?

 どろりと織部のかたちが崩れる。

――孤独なお前なら、俺の気持ちがわかるだろう?

 織部であった闇が、ゆっくりと迫ってきた。


「――竜胆!」

 聞き覚えのある声が耳に入る。

「……はね、ず?」

 ぼやけた視界が、徐々に輪郭を取り戻す。

 青ざめた朱華の顔が、すぐ近くに見えた。

「動ける?」

 黙ってうなずき、ゆっくりと立ちあがる。身体は重く、打ち付けた背中はずきずきと痛むが、大きな怪我はないようだ。

 しかし普段なら何でもないはずの動作が、今はやけに気怠かった。

「ちょっと待って。それだけ瘴気が絡んでたら、動くのきついでしょ」

 朱華が竜胆に絡む瘴気を祓う。

「よし、っと。少しは楽になった?」

「……ああ」

 折れた刀を回収し、帰途につく。

「神社に戻ったら今日は休みなよ。常磐の爺様には話しておくから」

「ああ」

 ぼんやりと、なかば上の空で朱華に答える。

 それからどうやって神社まで戻ったのか、竜胆には記憶がない。

 目を覚ましたときには自分の部屋で、日が高く昇っていた。

 数日ぶりにゆっくりと眠ったこともあり、疲れはほとんど取れていた。

 着物を着替え、常磐へ報告に向かう。

「――ということがありました」

「……その妖、紫紺の髪と言ったか? 目の色は覚えているか?」

「確か、青、だったかと」

 青、と常磐が口の中で呟く。妖嫌いの常磐が妖を気にすることは珍しい。

「まさか……?」

 常磐の顔に、厳しい色がよぎる。

「常磐様?」

「いや、わかった。時期が時期ゆえ、引き続いて気を付けておいてくれ。その妖のことはもう少し確かなことがわかってから、必要があれば儂から伝えるゆえ、まだ黙っておいてくれ」

 珍しい、というより、これまでになかった指示だった。五宮では、妖の情報は共有されることが基本だ。しかしこれではまるで、常磐が隠蔽を指示しているようにも思える。

 だが、竜胆はそれを指摘することはなかった。言ったところで納得のいく答えはもらえないだろうと察したからだ。

「ああ、それと、あまり根を詰めすぎるでないぞ。身体を壊しては元も子もないゆえな」

「は、失礼します」

 部屋に戻ってみると、ちゃぶ台のうえに最中が二つ乗っていた。

 こうした差し入れの心当たりはひとり――朱華しかいない。

 最中を取り、部屋を出る。

「朱華」

「あ、起きた? 具合どう?」

「だいぶ楽になった」

 縁側に座っていた朱華の隣に腰をおろす。

 有難う、と礼を言うと、朱華は目を細めて笑った。

 最中をひとつ朱華にさしだす。

「あんたが食べたら? 好きでしょ、それ」

「もうひとつある」

 最中と竜胆を見比べ、朱華はじゃあお相伴、と最中を取った。

「何か、変わったことは」

「特に何もないよ」

 小さくうなずいた竜胆は、しばらく最中をかじっていた。

 朱華がそんな彼をちらりと見る。

 顔つきから疲労の色が薄れたとはいえ、竜胆はどことなく暗い顔をしている。普段から内心を面に出さず、感情がわかりづらい竜胆だが、幼少期からのつきあいの朱華には、手に取るようにとは言わずとも、およそ彼の内心の想像はつく。

「あんたは何かあった?」

「……昔の夢を見た」

 竜胆は境内を眺めながら短く答える。朱華に対しては、隠しごとができない竜胆なのである。

 それが良い内容でなかったことは、朱華にもすぐに察しがついた。

「あんまり気にしないほうがいいよ。ただの夢だもの」

「ああ」

「それに、あんたがいないとあたしは困るよ。あんたみたいに気安く話せる相手っていないんだもの」

「……そうか」

 ほんのわずか、竜胆は口元を緩めた。

 よほど気を許した相手でなければ、彼がこの表情を見せることはない。

 最中を食べ終え、さて、と竜胆が立ちあがる。

「仕事にかかるか」

「無理はよしなよ。ここ何日か、正直言って見てられなかったんだからね」

 ああ、とうなずいて、竜胆は自室へ戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る